家族って、どこが境目なのだろう。
私は
『血縁』だけではないと思う。
現に結婚というものは
血縁外の者と家族になる制度だ。
そして血縁であっても
家族であるという親しみを持てない関係もまた多いもの。
私の中の一つの判断として
そうじゃないかと思ったのが
①同じ皿や鍋から食事ができるか
②洗濯物を一緒に洗えるか
である。
今私にとって
それができるのは娘と息子だけだ。
今、実家の母が来ているが
きつい。
今日も朝ごはんを食べている時に
実母が昨日の残りのお皿の半分を食べながら
もう片側にあったものを私に食べるようにいってきた。
半分はもう食べながらいじりまくって
ねちょねちょ。
「嫌だよ・・・・」と言うと
なんで?こっちは触ってないよと言う。
でも嫌だよ・・・。
すると
「人の事バイ菌扱いして!」と怒ってきた。
色々きつい。
どうしたら一番いいのかが分からない。
何も言わなくても
台所に立ち続け
食べ物を作り続け
皿やコップがあけばすぐさま洗い
掃除をし
あちこち片付けをし
ゆっくりしていてと言っても
じっとしていられない様だ。
「やる事」を奪えば
「何もやる事が無い」と言う。
だから
もう何も言わずに
やって頂いているが・・・
そうすると不服そうになる。
お前は何もやらない、と。
なんでも何も言わずにやってしまえば
それが当然となる。
そういうものなんだと。
貴族の食事とメイドのようなもの。
まず、自分で自分の事をするのが当然
ということを取り上げてはならないと思う。
実母は、この子(トリ)には私が必要!というのが
いつまでも捨てきれないのかもしれないと思った。
子供である私だけでなく
「役割」を与えられなければ
不安で居られないのかもしれない。
そういう人だからこそ
新興宗教にハマってしまったのだともいえる。
私はもう
モラ夫に関する事をするのをやめた。
料理も洗濯も放棄した。
今まで、私がやる事が「当然」で
感謝などはない。
それが義務だったのだ。
やらなければ責められる。
今でも折に触れて
「やれよ」
「それが普通だ」と言ってくるが無視。
そして子供たちにも
そんな価値観を持ってほしくないので
できる自分の事は自分で、という
話をしている。
食器も、私が洗うのが当然
と今まで娘は認識していたが
それはおかしいでしょうと話し合い
(しぶしぶ)納得したようで
自分の食器は自分で洗う(こともある、程度だけど)。
息子も
保育園の汚れものは
帰ったら自分で出して
翌日の準備も自分で入れるように言っている。
習慣になるまで
あきらめないぞ。
『自分の事は自分でできるようにする。
年齢や能力に応じて
それぞれ出来る事をする』
それがトリ家3人の約束事
というか目指す所だ。
家族とは、助け合って生きていくものでしょ。
そして
先の投稿でも書いたが
「人の輪っかを踏まない」というのは
とても大事な事だと、思う。
思い返してみれば
子供の頃から母は
そうやって全て先回りしてなんでもやってくれた。
それは、過干渉。
昔から何かあるたびに
「甘やかしすぎた」と言ってきたが
なんというか・・・
こうモヤッとする感じ、伝わるだろうか。
障害者支援などの支援事業でも言える事だが
「支援」しすぎれば
その人の自分で立つ力を奪う事になってしまう。
それはもう支援にはならない。
親の役目とは
そういうなんでもやってあげる事ではなく
子供の特性を認め、好きなものや
長所を見つけて伸ばす手助けをする事
だと私は思っている。