娘の小学校も
今日で終業式。
毎日お疲れ様でした。
私から見れば
頑張っていたと思います。
ちょっと離れた小学校に
雨の日も雪の日も歩いて通い
皆勤賞!
勉強も計算カードの暗算も
すらすらできるようになったし
漢字も書けるようになりました。
大きな成長ですね。
ただ通知表は
勉強は○(できる)ばかりが並んでいて
???という感じです。
先生によって
評価の仕方も違うようですが
生活面も
申し訳程度に
健康に注意して元気、とかいう所に
一つだけ○がついていました。
先生のコメントも印字で
1学期と同じ感じに
~の授業で~をがんばっていました、とか
クラスの係をちゃんとやっていた、という事だけ。
担任で無くても
その子を知らなくても
書けるような事を少しだけです。
これじゃあ
ちゃんと
娘の事を見てくれているのかな?という
不信感が湧いてしまいますね。
そのくせ勉強や宿題ばかりは
お決まり通りに出てくる。
毎日の習練は大事です。
でも
工場の製品の様に皆に同じ事を強いて
教師の判断で点数をつけられる子供達。
それは会社に入った
大人の社会でも同じですね。
義務教育、高校、大学、会社・・・
そのレールがもう敷かれているんです。
私はそんな普通のレールに
早いうちから脱線して
地位や名誉、学歴には
全くこだわらない生き方をしてきました。
そんなものが何の役に立つ?と。
いい会社に入り
いい給料とボーナスを貰い
いい暮らしをし
老後にいい年金を貰うために
人生はあるのか。
確かに
給料、ボーナスには差が出ます。
1日中
汗水たらして働きアリの様に働いても
学歴や経歴が無ければ
薄給です。
だからといって
高給取りが幸せか
薄給が不幸かといえば
それだけじゃないですよね。
自分自身が
自分の生活にどれだけ
幸福感を得られるかが
大事なんだと思います。
家庭で、仕事で、
やりがいや小さな幸せを感じる事ができれば
それでいいと思う・・・。
だから私は
その「普通の人生幸せコース」のレールに
疑問を持つのです。
我が娘は
どんなところでも適応し、生きていけるような
逞しい子ですが
私は彼女には
自分自身の楽しめる人生を歩いていってほしいと思っています。
その為には
今の学校ではあまり
学ばせたくないな。
他の学校だったらいいのか、と言われると
それは分からないとしか言いようがないけれど
国が推奨する1クラス1担任35人制では
教師によっては一人一人に対応しきれないと思う。
私の理想は
少人数で
教師や友達とも親密な人間関係と
地域ぐるみで子供を見守る様な環境。
それから
自然が残る場所であってほしい。
今私は
移住先を探し
色んな人の話を聞いている。
大切な子供時代。
どこで
どのようにして過ごす事が
子供たちにとって幸せなのかなぁ。