11月8日本牧でポレポレ祭りが行われているころ、県民ホールにて「精神障害のある人の雇用の課題と展望」というシンポジウムが”障害と人権”全国弁護士ネットの主催で行われ、パネラーとして横浜SSJから青栁理事長と当事者3名が参加しました。

 他にパネラーとして東京都精神障害者家族会連合会前代表 野村忠良氏、一般社団法人ペガサス代表理事 木村志義氏がそれぞれの立場から発表を行いました。

 

 当事者C 入院以前は仕事が長続きせず、体調が悪い時は精神的なひきこもり状態であった。退院後作業所に通ったのち北部斎場に10年半つとめ定年となったのち、久保山斎場の駐車場にパート職員として1年半勤めたのち体力的な理由により退職した。長く勤められたのは統合失調症であることを自覚して、自分の体調を管理することができたのと、程よい勤務日数と時間、理解のあるスタッフに囲まれ落ち着いて仕事ができたことです。


 シンポジウムの後に「障害のある人の地域生活の実現に向けて」という題で弁護士さんより報告がありました。内容は知的障害者のグループホーム等に対する、反対運動に対応することについての報告です。

 すべて終わったのち、中華街で打ち上げがあり、シンポジウムに見学に来ていたすきっぷメンバーも一緒に参加しました。そこでの話で偏見についての発言が相次ぎ、結局は障害者に対する理解が進まないのは障害者について知らないことが原因であり、当事者が地域の活動などに参加して互いに理解を深めることが大変に有用であると思いました。 by shoo



そうね、大分障害者の権利も理解される方向性に向かってるわよね。

この調子でお仕事もらえるようになれば、ホクホクねドキドキ

 きっと私たちのこと分かってくれるってウサギ

ファイトよビックリマーク みんながんばろうね(≧▽≦)

 by saori



当事者A 中小企業に10年ほど勤め、上司からは一緒に会社を大きくしようて言われたこと、後から二人入ってきたがおいこされてしまい、自分はこつこつと努力して仕事を覚えていった。何年か経つと労災が毎週のように発生する、危険な職場となったので退職しました。その後久保山斎場の仕事に就き、さらに公園の清掃も行っている

 by takasi



当事者B ものづくりの現場で最終組み立て最終検品を担当していたが、何年も解決できない問題が職場にあり、私の体調不良が限界を超えたため退職しました。引き続きものづくりを通して社会貢献したく思い職業訓練校の溶接コースで資格を取りましたが、在籍期間中に神奈川近隣だけで一般求人は常に1000件あるにもかかわらず、障がい者募集はまったくありませんでした。その後9月に1件だけ募集をしてくれた会社がありましたが不合格。しかし唯一門戸を開いて下さったこの会社にはとても感謝しています。


従業員50人以下のものづくりの会社さんも一般と障がい者に公平に同時募集してほしいです。シンプルに「適材適所の視点」で採否を決めればよいのであって、結果的にすべての障がい者が不採用になる事もあればすべての健常者が不採用になる事もあるでしょう。それでいいではないですか?健常者であろうが障がい者であろうが適性のない人を「お情け」で雇ってしまうと大変な事故を起こしかねず、それは本人のためにもなりませんから、適性が無いことを理由に採用しないのはある意味優しさでもあると思います。


同時に、全ての障がい者が高度なものづくりに適性がないわけでは断じて無いということも知ってほしいです。同じく全ての健常者が高度なものづくりに適性があるわけでもないことも自明のことです。医学的に適性がないことが証明されている業種と病気の組み合わせ以外はあっけらかんと門戸を開けてほしいです。一緒にやらせて下さい、一緒にやりましょう。


・・・こんなことをシンポジウムでお話ししました。貴重な機会を与えられて感謝です。


 by Takehiko