母は25歳で私を産む。
そのきっかり3年前に、内孫として男子を産む。床屋の後継ぎとして、曾祖父に可愛がられ祖父にも溺愛され、祖母は1日中後継ぎである兄を抱いて離さなかった。
祖母は、我が子を育てられなかった若いときの多忙な自営業補助の埋め合わせのように、40代で孫をえて孫育てに夢中だった。家事は嫁に総て丸投げ。母は産前産後でさえ奴隷のように働かされた。
嫁とは家畜のように召使いのようにこき使って良いものだと認識されていたようだ。
はやくに実母を亡くし、母親代わりとして弟妹を育てたという祖母は、とても賢く美しく強かった。長男である私の実父を床屋の跡取りとして決して家から離さなかった。
成績は常に上位。
日本大学に在籍していたという話もある。
父は喫茶店を営む夢があった。
勿論家長である祖母は許さなかった。
祖父は何度も倒れ、おむつで座っているだけ。食事は卵かけご飯をスプーンで。嚥下に問題があったのだろう。言語も会話が難しいほど不自由だった。おむつをかえるたびに、祖母は祖父のお尻をぴしゃっと打つ。
若く美しく賢い祖母の復讐である。
呑んで呑んでリヤカーで連れ帰る程、かまどを潰すほど酒に溺れた夫を恨んでいたとおもう。
祖父には身寄りがなく、祖母と結婚した後、曾祖父や弟妹たちが自宅に押し掛け大家族になってしまい自宅に居づらい状況ではなかっただろうか。
祖母はきっと祖父の人生や健康をも蝕んだ張本人である。ねんぽうさんにハマって幹部に「母親である貴女のせいです」と言われるまで、父の借金グセや家族を蔑ろにしがちなことを、じぶんに無関係だと信じていた。
未熟なまま弟妹を育て上げたことが自信になり、子育てにも疑いなく、じぶんは正しいと言う信念があっただろうが、たぶん元凶は祖母である。床屋になるのは嫌だと逃げる息子を追いかけ、借金しては家族に払わせる幼稚な復讐を繰り返す阿呆を生産した。
育ての親は祖母の妹である。
多額の借金を、此のかたが返済したらしい。
父は独身時代からロクデナシだったが、根本的な問題は母親にあった。強すぎ。
自衛隊にも放り込む。
試験に簡単に受かるのだろう。
父はどんな職業にでも就ける謎の男だ。
隊内でも悪行の限りを尽くす。
同僚を陥れて金銭を得る。
自衛隊からも逃げたらしい。
捕まえてまた床屋に。
理容師としてのスキルも高い。
父。
万能。
だがこころが弱い。
床屋としての接客はパーソナルスペースの許容範囲を超えていた筈。ひとり終えると横になる。ナマケモノ🦥と言われていた。
違う。
クタクタになって寝てしまうだけだろう。
天職にめぐり逢う。
タクシー運転手。
喫茶店のようにカウンター越し的な座席の仕切りがあり、対面ではない。
ムツゴロウさんを乗せて動物王国に行っただとか、チップが多いとか、色々逸話がある。
だが、やはりクセは治らず。
チヤホヤされたくてススキノに通い、父は家庭崩壊へと全速力で向かうのだ。
だから私は借金を嫌い、嘘を嫌う。
此の阿呆父のおかげで。
教育というものが痛みを伴うものだと、10歳で教わったからである。
結婚=奴隷化
此の図式も刷り込まれていて、私には結婚への夢も憧れも皆無㌨だが、まぁよくある話だ。
家事を強要され、働きにも行かされ、育児も当然のノルマ。親戚づきあいも通常オプション。
近所ともそつなくおつきあいして常に隙なく。
莫迦や。
結婚なんぞ誰がするか。
20歳のときはこどもがほしかっただけ。
アイツと一生暮らすのか。
病んだぜ。会話もろくにできないパチンコ狂い。煙草臭い。会えば義務的にせねばならぬ任務を命じられ。楽しくない。
でも。
結婚は仕切り直せるし、逃げて良い。
こどもはほしかった。
子連れで逃走が最良だった。
惜しい。
相手が嫌いでもこどもは作れる。
勿体なかった。
耐えた時間に対価がなかった。
効率的ではない交際に無意味に費やした時間が無駄だったぜ
あ。
タイトルが。
蝉。
此れ書くの忘れてたし⋯