
祖母の葬儀のとき
ただ必死で準備に走り回って
葬儀社を通さず家族葬のつもりだった
おじは何故か私たちの住む家に
私たちのしらないひとを集めて
香典を集めて回収して帰った
そのかたたちに
お弁当を用意して支払いをしたのも私
おじたち家族4人分の食事も何故か
私が支払った
祖母の通帳にこうほうハイツのかたに
管理していただいていた現金が多少残っていたが
おじにあたりまえのように要求された
当時住んでいた地元の葬儀社さんに
事情をお話して白い布をいただいて葬儀の準備をして
細かい記憶はもう探せないが
母と私の数珠を購入した
私の数珠だけ割れた
稀にあることだと知ったが
いまはそれもどこにあるのかわからない
病んでいた時期が長すぎて
ニンゲンはウソと欲に支配されていて
つねに競い合って生きていて
私にはそれがわからない
できるニンゲンはできないニンゲンのために生きているだけだと思う
必要がなくなれば居なくなって良いと思う
じぶんのなかのモノサシでみんな
私を叩く
わからないときに
おしえてもらいたくて尋ねたら
なんで私に訊くんですか
と言う答えが返ってきて
知っていてもおしえないいきかたがあるんだなとおもった
誰かのために阿呆でいたら
阿呆扱いされる
明るく見せると明るいと思われる
あっちこっち割れすぎて
ボロボロ
史多のおにいちゃんに
敵を作らないようにっておしえてもらったのに
できないよ
家族をないがしろにされたら
ゆるせないよ
くやしいもっとなにかできることがあればいいのに
たぶんわりと限界なので
寝まーーす
デスゾーンは史多の演出のままに描かれていますが
たぶんまだちょこっと違う
ご遺体のところで読めなくなっちゃって
なんでみんなあんなあぶないところにいくの
山は見上げて手を合わせるくらいでじゅうぶん
登ってほしいなんておもわない
あぶないからやめなさいとしかおもえない
もっと難しい山はあっちこっちにあるのに
生きてるだけで登ったりおりたり
疲れるよ
長く生きてもせいぜい120年
もったいないから
ふつうに
いちにち3回みんなでごはん食べて
ゲラゲラ笑い合って
お風呂に入って
寝て起きてそれだけで良いと思う
なんにも要らない
ばあちゃんの納骨で静岡に行ったとき
東京で一泊して
LÄ-PPISCHのライヴに行けたよ
不謹慎かもだが
ばあちゃんが連れて来てくれたのかなとおもった
ばあちゃんのお骨
抱っこして静岡に行って
山の麓にお墓があったよ
綺麗な景色だな
みんなしあわせだね
ここで眠れてしあわせだね
だから登る意味が
わかる日は来ないと思う
史多の写真があるからつらくて仏間に行けなかった
でもいまは毎日行ける
徐々にみんなも軽くなって
史多への誤解も偏見も
笑い飛ばしてほしい
史多はもう死んじゃった
戻ってこない
だから残されたら笑って生きるしかないんだよーーーーん