母が股関節の手術をある医師に強要された。
ごく僅かであると思うのだが、思いたいのだが、一部の医師は患者を傷つける。
手術の説明はほぼ脅しで、医師の決めた手術をしなければ大変なことになると言う。
母は以前、脚の痛みでその病院を受診した時に、別の医師に腰痛から来るものと診断されている。
股関節のことについてはその時の担当医師は一切触れていない。
不運ではある。
元々腰痛持ちであることで、見落とされたのかもしれない。
医師に絶対的な完璧さは求めてはいけないのだろうけれども、脚の痛み膝の痛みのある患者の股関節の状態を当時何故確認しなかったのだろうか。
「骨を切り股関節に使い、失う部分を人工骨にする」
医師にとっては平然と日常的に伝えることばであっても、もう少々向かい合う患者の側の気持ちになってみてほしい。
医師にとって患者は多数の中のひとりでも、患者にとっては医師は目の前のひとりだけだ。
その医師たちとの出会いは、運が悪かったとしか言いようが無いのだろう。
ひとは機械じゃあ無い。
壊れた部品を取替えて治すだけでは、こころは追いつかない。
股関節を壊したのは母自身の無茶もあったし、腰痛も介護や介助に携わった為の職業病だったとは思うのだが、大抵のひとは健康を失うかもと気づく時にしかじぶんの行いを悔いることは無い。
悔いても仕事であれば避けようの無い場合も多い。
医師には学んだ知識や経験がある。
患者は無知である場合も、病気を調べるすべを持たない場合もある。
せめて患者を脅すようなことばの使用を避けてほしかった。
病で苦しんで病院に行って、医師に怒られて、治る為とはいえ手術や治療でまた苦しむ。
健康じゃないから元気じゃないから病院に行くのだから。
いちばん病んでいるのはこころなのだから。
病院に求め過ぎだとは思うのだが。
むよむよしてしまう。
じぶんが病院のシステムの中で働いていた頃に患者さんと向き合えて居たのか、今思うと足りない部分が多過ぎであった(๑´・_・`๑)
患者になってみないと患者のほしいものはわからない。