首相は「他国を誹謗(ひぼう)中傷することでわれわれが優れているという認識を持つのは間違っている。日本の国旗が焼かれても、その国の国旗を焼くべきではない。それが私たちの誇りだ」と訴えた。
いじめの構図と同じです。
いじわるなことばをつかうほうが劣っています。
ひとのうえにひとをつくらず、というすばらしいことばはありますが。
ひとは上下関係でしかじぶんを確立できません。
すぐにじぶんよりもできないものをつくりあげて、みおろしたがるのです。
りかいできないものは常識外とし、自己の築いたお城からみおろしたいのです。
そうではなくて、それぞれがちがうべきで、おなじであるひつようがない。
しゅうだんになってはずれものをつくっても、そのしくみにいつじぶんがおちいるものかつねに不安でたまらない。
効率的ではありません。
あくたれながきんちょがいても、ちゃんと目線をそろえて話せば、わかることがあるかもしれません。
職場のまわりにはおとこのこたちがとてもおおくて、やんちゃですがことばがつうじます。
たったまま、みおろさないようにしています。
しゃがむようにしています。
なかまごっこがしたくて、なかよしの班分けに忙しくて、うすっぺらいひとがおおいです。
ほんとうにゆうのうであれば、所属よりも、能力をみとめられるはずです。
ひつようなときに、おこえがけがあれば、尽力する。
そのようなしくみであればいいのにとおもいます。
せいとうのごちゃごちゃは、みったくないですし、現場にたどりつくことのないものの暴言はなお胡散臭い。
ほんとうになにかものもうしたいのであれば、せいじをめざせばよい。
できもしないことにこうぎしかしない。
ともにくにをまもろうという意識がたりない。
SNSは世界中に恥を曝す場でもあるようにかんじます。
効果的に使いこなせないのであれば、ほころびを暴露し続けるびっくり箱でしかなく、外交的にもあまりよろしくない。
五十嵐氏が亡くなりました。
87歳とのことです。
STVラジオでお悔やみのことばがなんどもながれます。
無知で存じ上げてはおりませんけれども輝かしい人生を全うなさったかたのようです。
ひとのいきていられるじかんは有限です。
もっと有益なことにつかえたら、すばらしいとおもいます。
いきてきた道筋をあとに続くものに遺せることが未来を創る基礎ではないかとおもいます。
恥も遺ります。
あんましみったくないことはしないほうがいいかんじです。