哲学書を読みふける前に是非、城山三郎を熟読していただきたい
妻を看取り、ふりかえる
出逢いも
日々のことも
涙をおさえきれない珠玉の一作とはあきらかにちがうものではあるが
文体が
すきである
ひとは
いちどきり
たったひとりとめぐりあえば
じゅうぶんであるとはらはらとおもう
遺品ばかりであることを惜しいとおもうばかり
蒐集癖がある
もう
とどきはしなくとも
てもとに遺せる
書物とはそのような記憶のかたち
読めれば良いのではなく
書物が呼ぶ
そばにいさせやがれ
と
読みもしないのに
手に取らせる
開きもしない書籍のやまがあちこちにあり
どうみてもごみ屋敷なのだが
発掘しては記憶ごととりもどす
まるで
飼育員にごはんをかくしてもらっておおよろこびのゴリラか
あとでたべるんだもんちゅうて
うめたどんぐりが芽を出すリスか
記憶の箪笥の鍵は
いたるところにあり
ぽろぽろどころか
どかどか
であって
ふと手に取ろうものなら
まぁ
鮮明になにもかも数珠繋ぎにでてきやがる
うんざり
ひとは
うまれてきたので
しぬまでいきる
意味などしんでからでなくばわからん
ご機嫌であればそれで良い
たかがながくても120年
たいがい
統計的に見たとすれば80歳あたりが
こころのげんかいなのではなかろうか
からだだけであれば
まだいきてゆける
こころが
重みに耐えきれず
はなれてゆくだけだ
ならばぐだぐだゆうてないで
したいことをすれば良い
あすいきているかどうかもわからない
すきなように
いきたらいいだけのことを
意味など求めても無駄である
政治が楽しければ楽しみ
したいようにすれば良い
したくないのならばしなければ良い
それだけのことだのに
じぶんでしななくてもかならずしねるのなら
まっているあいだに
できることをすれば良い
不景気であるのならば消費行動をし
おかねをうごかせばよい
どこにもはこべず
いさかいのたねにしかならぬものを貯め込むよりも
すきほうだいでいいのである
なくなったらはたらき
なければ飢えて終れば良い
たからず
いきたいようにすれば良い
みみっちいことはいわず
借金をせず
身軽に
どこへでもゆく
にほんも
そうしたほうがおもしょいとおもうの
借金はいかん
TPPなどの交渉ごとは参加が遅いほうが不利
主動をにぎり
したいほうこうに導けば良いだけであることははなからわかりきっている
反対意見は
がめついじじぃの策略
な
こともあるからなー
農業は脳業で能業だので
なにも
ちがうんじゃね?ってことに
ならわんでええのじゃないかと
おもうのだが
現場がだいいいち
吸い上げはみっともねぇで
じぶんでたがやしてしゅうかくしたらいい
くみあいって役員のためのものじゃなく
くみあいいんのものだろう
「汲みあい」なら利益も分配すべきだ
組むのは一方の利益にしかならないとすれば
ピンになればいいだけのことで
必要な時に組めば?としかおもわん
群れはほどほど
じじぃはおおすぎてもおもしょくねぃんだが
むすめはむすめでしかない
どこかメスであるかぎり
しくじる
ひためんで勝負できないいきものにかちはない
勝ちも
価値も
ない
手を組む相手を見誤ると
なにもかもが
ぺしゃんこになる
たいこくになったつもりでも
たかが猿の国である
ひとは
猿
基本が猿山
だれがおしあげたものか
真の首脳は頂上には立たない
ずるっちゅうか
効率的なせいだろう
めだつとうごけなくなるからな
だれが
うらで
むすめのいとをあやつるのか
にんぎょうつかいがいる
このにんぎょうでは
アンコールもスタンディングオベーションもねぇな
めぢからねぇもん
つまんねぃ
また沈むぞ
もいっかい再生するのは非効率的だとおもわないのだろうか
さて
読むか
まだちょろっとぱらぱらしただけ
よみおわるかどうかもしらん
ひらいたところだけ読むというあらわざもあり
なんだね・・・
読んだっけていどで
ごめんねしろちゃん・・・・