はらたいらさんに1000点。



スメルズ・ライク・エイジアン (18)


昼さがりのスーパーで、

ハルが祖母の梅干しのポテンシャルを
最大限に引き出せるお米を厳選していたのとちょうど同じタイミングで、


髪を青く揺らしていたカナエは、

空港のロビーで、レンタカーを利用し終えた顧客から

車のキーを受け取っていた。




乗り捨て的な利用の日産のシビックを、

カナエが運転して名古屋の上杜のレンタカー店に戻す。



伊丹空港の駐車場でシビックのエンジンをかけたカナエは、

車を発進させるより前に、


持ちこんでいたMDをかけた。


カナエは、そういえば、最新のチャート曲をほとんど聞いていないな、

と思った。


今日のロングドライブのために持ってきたMDも、
90年代後半から00年代までの曲ばかりだった。


自分以外の人間、自分の世代以外の世代の連中も、

そういうものだろうか? と気になったが、

たしかめようもなかったので、ひとり、大阪から名古屋まで


高速道路を使わず、シタ道だけの運転を始めた。



中国自動車道にそった、


千里の丘を削ってできた「くぼみ」を走っている
一般道を進み、

新スタジアムが建設されるとうわさされている
万博競技場を過ぎ、

高槻の駅周辺で一度コンビニで休憩をとった。


カナエは「チキンナゲット」の商品名が

「チキンナゲッツ」だったら買っていたのにな、

と彼にしかわからない言語感覚で自分を振り回しながら


お茶とホットドッグとお菓子を買った。

ホットドッグ、「温めますか?」
「いいえ、このままで」


長岡京あたりでおおきく方位を変え、


宇治方面へ進路を伸ばし、


観月橋を通過する。



琵琶湖からそそぐ淀川の河口をまたぐ橋を渡ったあとは、

八幡の中華ファミリーレストランで


ラーメンと杏仁豆腐ではらごしらえをする。



冬季から春先には、雪で通行止めになる山間部を抜ければ、

名古屋にだいぶ近づいているはずだ。





お城に住んでいる、「お隣さん」には、

「ログ」の半分しか教えていなかった、とカナエは

思い返していた。


そもそもログ屋になるには
数々の苦闘に勝利しなければならない。


海外旅行にいって、
結局「家がいちばんやわ」 vs ログ ・・・ログ


夏、かきごおりを食べている時に、
「きゅうにたくさん食べたら
あたまキーンってなるで」 vs ログ ・・・ログ


女子アナの
「おかえりなさい」 vs ログ ・・・「おかえりなさい」


といった、例をあげればキリのないほどの
難関をくぐりぬけたものにしか、

ログ屋の称号は与えられないのである。



車をレンタカー会社の駐車スペースに置き、

車のキーをスタッフに渡して、カナエの今日の仕事は終了した。

寝ている青い髪におでこを隠されているのは

そのままに、彼は名古屋の栄地区まで

地下鉄に乗った。





今から名古屋駅まで歩いて、

何も問題が起こらなければ、

阪急の終電に間に合うな、と計算した。


彼は繁華街のネオンがつらなる界隈の

コンビニで駄菓子のドーナツと、ハンバーガーを買った。



「こちら温めますか?」

「いいえ、このままで。」



途中、とおりすがったビルで、

観光客のような人々が、ひんぱんに出入りしてる光景に

でくわした。


どうやら、アート活動の発信地にするために、

ビルを改修したのらしい。


どんな絵があるのだろうか?

いや、絵とは限らない。

ちょっとのぞいてみよう。



これは、予定通りに大阪に間に合わないな。



美術に不慣れなカナエには難解な

若い芸術家たちの力作が

陳列されている、ビルの内部を、


他の鑑賞者たちについていくように

のそのそとカナエは歩いた。


ふと廊下の反対がわの展示室に、

ひとが近寄らない彫刻のようなものが

一体だけ立っていた。




なんだ、ただのハニワやん。


「ただのとはなんだ、ただの、とは。」

「またおまえか、ハチュー人。」


ハチュー人は複数存在する。

そしてカナエは、お隣さんのハルと対称の、

右の4番目の歯に空洞がある。


カナエは誰にも自分の素性を話したことはなかった。

ハルに対して以外は。


だが、ハチュー人はカナエの内部にいるため、

普通、人に知れる範囲のこと以上を知っていた。

カナエは自分は「未来が予測できる」と本気で思っていた。


あるときまでは。


SF小説のように時間を行き来するよりは、

予測するぐらいのことは簡単だろう、と

アンバランスな比較で考えていたのだ。



そして彼は、「ログ」にたどりついた。


「ログ」、とはつまり、人間に理解できることと、

理解できないことの総合なのだ。


さらには「ログ解析」では、妥当とみちびきだされたことでも、
「非ログ解析」によって反証しなければならないのである。


カナエがさっき操車をしているときにも

自分にいいきかせていたことだ。


楽しく生きろ


「おかえり」みたいな、家族のことば

ともだち、こいびとが使うような普通のことばを

たくさん話し、聞くこと



会いたいと思う人と会える機会があれば、

できるだけそれに浴すること。


「ログ」は、時間とともに変動していく。


だから明確すぎる「ログ」を打ち出すことは、
かえってその本質からとおざかる。




ログ屋の究極的な役割は、

人を「ログ」から解放することや。


楽しく生きろ。

おいしいものを食べろ。

それから、


こどもの目、赤ちゃんの目を見てみろ。



未来は、お前ひとりに与えられたものやない。


あくまで共有のものや。



そろそろ自分自身を解放してもいいんやないのか?


自由に生きろ、


好きなことをしろ、


それから、



それから・・・・。



ほんまに好きになれる人は、

一生で何回かしか出会えへん。


100パーセント完璧にしようとするから、しんどくなる。


まずは女ともだちをつくりなさい。




いまやれ! すぐ出せ! げんき出せ!