こんにちは。

早期性教育を考える会にメンバー 近藤きょうこです。

 

昨日は

こちらの本の著者のリヒテルズ直子さんから

学んでおりました。

 

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オランダでは、性教育は「0歳から始まる」と

 

考えられているそうです!

 

 

↓昨日は、こちらの本の話題も多く、

私達のこの団体との考え方とも

 

似ているところも多く、

 

うなずきっぱなしの時間でした。

 

 

 

一番最後に、「あぁなるほど!」と

 

思った事があります。

 

それは!!! 

 

「○○だから、日本では学校教育で

 

性教育をしても子どもたちに浸透しないのだ」と。

 

 

 

もう少し詳しくかきますと。

 

学校教育では、学習として

 

授業時間を使わなければならないから。

 

学習として=つまり、テストをして

 

評価をしなければならない。

 

知識だけでは

 

身にならない原因は、ここなんだなーと思いました。

 

 

 

学校での性教育分野のテスト問題って、

 

どんなのだと思いますか?

 

保健や理科の分野に組み込まれているんですが、

 

問題を作って、正解or不正解で

 

点をつけ、個々の評価する。

 

 

つまり、知識を問うだけなの。

 

 

平均何歳ごろに第二次性徴が始まるとか、

 

「胎盤」とか「胎児」という名称を正確に書ける事が

 

評価する部分。

 

二次性徴で言えば、

 

まだの子にとっては、興味がないことだし、

 

もう通り過ぎてしまえば、その知識は必要ない。

 

 

妊娠出産でいえば、

 

「胎盤」「胎児」なんて名称は

 

今小学生の子にとって、ただ

 

右から左に聞き流すような

 

「へぇ~、なんか先生が言ってる」って

 

その程度の物じゃない?

 

 

 

うちの子も、毎回テストがある度に

 

そういった名称を書かされたり

 

二次性徴時に

 

「毛が生えるからだの部位」を書かされるなど…

 

テストの意図が子どもにとって分からないし、

 

無意味さに若干腹立たしいさすら感じて

(プライベートな事に、ずかずか入ってこられる感じとか…

嫌なんだそう)

 

イライラ、プリプリしながら学校から帰ってきます。

 

 

 

だから、生活に!生き方に!使えない。

 

 

自分とは何か。私ってどんな人?

 

あなたってどんな人?

 

私はこうしたい!あなたはイヤなのね!

 

ならこうするのはどう?

 

そういうバリエーションや、


相違を認め合うという

 

血が通ったモノがなくて、

 

数字や名称、順番など同一の知識を得るだけ。

(成長には「個人差がある」という事も知識として

教わるんだそう)

 

どれも、調べればどこかに書いてあること。


 

性教育って、知識じゃなく

 

その子が知りたい事だったり、

 

その人の価値観だったり、

 

もともと生きている背景がものすごく

 

その人の生き方に影響するもの。

 

でも、みーんな同一の知識じゃ、


さまざまな子どもたちに

 

フィットしてない。

 

そう思ったのでした。

 

 

リヒテルズさんは、こんなことを仰っていました。

(私のメモが単語単語なので、多少の意訳があるかもしれません…)

 

「日本の学校教育は、例えば「掛け算」は

レシピを読んで料理をすることが目的になって居る。

 

学校での評価は、

その子の成長を本当の意味では

測れていない。

 

本当の意味での教育目的は、

レシピを作れる人を育てること。

 

新しいことを

どんどんクリエイティブしていかなきゃいけない。

 

私達 大人のできることを探していきましょう」

 

「本当に変わらなきゃいけないのは、

 

古い知識しかない私達 大人。

 

まず、自分に気づくことが

 

変化させるために必要だと思うの。」

 

 

本当にそうだなーと私も思いました。

 

 

 

 

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