仙台・宮城沖地震の時もそうだった…
ただ、ひたすら、仲間の安否を気使い、仲間達と連絡を取り合った
北は、北海道から、南は沖縄まで随所に居る仲間達の安否を求めて、
私達は、いつでも出動出来る体制を整えて来た
中でも、一番、被害に遭いそうも無い、私は、
連絡の拠点となる事が多い
今回もそうだ
私の所に、被害に遭っている仲間から連絡が入り、
私の元から、仲間達に一斉連絡が届く
それから、バタバタと、色々な事が決められて、
最悪の避難受け入れ体制までアバウト化する
誰も、見返りは期待していない!
次は、我が身だと思っているから…
現地に乗り込む部隊と、こちらで支持を仰ぐ部隊…
宮城の時は、私は支持部隊になった。
皆、もう若くない…
いつまで続けられるか判らないけれど…
『頼れる仲間が居る』と言う確信が、
大きな救いになる
綺麗ごとなんかじゃ無い、
私達は、こうやって、生きて来た
本気で喧嘩もしたし、口もきかない時もあった
だけれど、それがあったからこそ、今がある、
ただ、お酒を飲んでるだけじゃないんです
↑今日の1曲
ほらね…又、私と同じヘッドフォン
マイクと本人の間にある網みたいなものは、
NOIZを消す為の物です
(昔は、刺繡する時に使う丸い枠と、ストッキングで、作っていました)