第三章 地方総督との謁見
総督府は属州最大の都市の中心にあった。
白い大理石で造られた壮麗な建物の前には、ローマ軍団兵が槍を持って立っている。農村で育ったマルクスにとって、それはまるで別世界だった。
「緊張しているか?」
案内役の書記官が尋ねた。
「少しだけです。」
マルクスは平静を装った。
だが心の中では別の不安があった。
収穫量の増加が注目されたのは良い。しかし、あまりにも先進的な知識を見せれば警戒される可能性もある。
やがて大広間の扉が開かれた。
奥には属州総督ガイウス・クラウディウスが座っていた。
五十代半ばの鋭い目をした男で、軍務と行政の両方を経験した実力者である。
「前へ。」
総督の声が響く。
マルクスは一礼した。
「君が農業改革を行った若者か。」
「はい、総督閣下。」
「報告によれば、周辺農地の収穫量が三割以上増加したという。本当か?」
「本当です。」
総督は眉を上げた。
「方法を説明してみろ。」
マルクスは堆肥、輪作、灌漑について順序立てて説明した。
総督は何度も質問を挟んだ。
普通の農民なら答えられない内容だったが、マルクスは冷静に説明を続けた。
やがて総督は椅子から立ち上がった。
「面白い。」
その一言で空気が変わった。
側近たちも顔を見合わせる。
「帝国は広い。しかし土地の生産力には限界がある。もし君の方法が属州全体で成功すれば、税収も増え、軍への補給も安定する。」
総督は地図を広げた。
属州各地の農村が描かれている。
「マルクス。」
「はい。」
「君を属州農業顧問に任命する。」
大広間がざわついた。
十六歳の少年が役職を与えられるなど異例中の異例だった。
「今後は各地を巡り、農業改善を指導せよ。必要な人員と資金は私が用意する。」
マルクスは頭を下げた。
「光栄です。」
だが心の中では別の考えが浮かんでいた。
――これは農業改革だけでは終わらない。
道路。
水道。
倉庫。
行政制度。
現代の知識で改善できるものは無数にある。
総督は満足そうに言った。
「若者よ。君の知恵は属州を豊かにするだろう。」
マルクスは窓の外を見た。
遠くには広大なローマ帝国の領土が広がっている。
その瞬間、彼は確信した。
農場の改革は始まりに過ぎない。
帝国そのものを変える挑戦が、今始まったのだ。
第四章 帝国農業改革計画
総督府から正式な任命を受けたマルクスは、属州各地を巡る旅に出た。
最初に訪れた村では、農民たちは半信半疑だった。
「若造に何が分かる。」
「畑仕事は何十年も続けてきた。」
誰もがそう言った。
しかしマルクスは言葉ではなく結果で示した。
村の一角に実験農地を設け、堆肥を投入し、輪作を行い、水路を整備した。
翌年。
収穫量は目に見えて増加した。
反対していた農民たちが真っ先に教えを請うようになった。
改革は次々と広がった。
各村に農業指導員を配置し、成功事例を共有する仕組みを作る。
さらに種子の品質管理も始めた。
収穫量の多い畑から種を選び、翌年に使用する。
数年後には属州全体の農地が大きく変わっていた。
干ばつへの耐性が向上し、不作による飢饉も激減した。
帝国への穀物納入量は急増した。
総督はその成果をローマへ報告した。
やがて元老院にも報告書が届けられる。
「属州の税収が二倍近く増加。」
「軍団への食糧供給が安定。」
「住民の生活水準向上。」
元老院議員たちは驚愕した。
そしてある日。
皇帝ハドリアヌスの名で勅命が下る。
『マルクス・アウレリウスをローマへ招集せよ』
帝国最強の権力者が興味を持ったのである。
その頃、マルクスはさらに大きな計画を進めていた。
巨大穀物倉庫網の建設である。
収穫した穀物を各地に分散保管し、不作地域へ迅速に輸送する。
道路網と河川輸送も組み合わせることで、帝国全体の食糧安全保障を強化した。
数年後。
改革は属州を越え、近隣州へ広がった。
穀物生産量は過去最高を記録する。
飢饉は大幅に減少し、軍団は安定した補給を受けられるようになった。
民衆は彼を「豊穣の改革者」と呼び始めた。
しかしマルクスは知っていた。
農業改革は帝国発展の第一歩に過ぎない。
この先には衛生改革、教育改革、物流改革、技術開発が待っている。
そしてローマ皇帝との謁見の日が近づいていた。
帝国の未来を左右する出会いが、目前まで迫っていたのである。