異世界商人
第5章
王女アンネリーゼ
専属契約
アクリア調香学院
温暖化装置
効率的な精油抽出方法
輸送費削減
王都に店舗と工房
明日への期待
第5章
◆王女アンネリーゼ
ある朝、宿で帳簿を見ていたヨシオの元に、一通の封書が届いた。封蝋には王家の紋章が押されている。
封筒を空けると王女様から香水の納入希望が書かれていた。
封書の中身は上質な羊皮紙に丁寧な筆跡で書かれていた。内容は簡潔だ。
王女アンネリーゼがヨシオの香水を王都の店で試し、大変気に入ったので定期的に納入してほしいという依頼。
さらに、可能であれば王宮に出向いて王女に直接香水の説明をしてほしいとの一文も添えられていた。
末尾には王宮の担当侍女の署名と、面会希望日が記されている。三日後だ。
シーラは後ろから覗き見て、
王女様からのご指名ですか……すごいじゃないですかマスター!
これは大きなチャンスだった。王族御用達となればブランドの箔が格段に上がる。
しかし同時に気を引き締めなければならない。相手は王族だ。失礼があれば首が飛ぶ。
香水の質は問題ないとして、面会時に何を話すか、どう振る舞うかが重要になる。
王都での面会に備え、服装や礼儀作法を調べておく必要があった。商人としての正装も用意しなければならないだろう。
ヨシオとシーラは礼儀作法を習い、王都で最高級のタキシードとドレスを用意し、日時通りに王宮を訪れた。
貴族たちの視線を意識しつつも、胸を張って毅然と振る舞う。
王宮の正門は壮麗だった。白大理石の柱が左右に並び、鉄製の門扉には精緻な彫刻が施されている。
門番に封書を見せると、しばらく待たされた後に中庭へ通された。
中庭の薔薇園を抜けた先、応接室に案内される。調度品の一つ一つが庶民の年収を超える代物だろう。
革張りの長椅子に腰掛けて待つこと数分、扉が開いた。
侍女を二人従えて現れたのは、二十歳前後の若い女性だった。淡い金髪を緩やかに結い上げ、薄い水色のドレスに身を包んでいる。
華やかだが嫌味のない装い。碧い瞳がヨシオとシーラを捉えた瞬間、ふわりと微笑んだ。
椅子には座らず、自ら歩み寄って、
あなたが「ヨシオ」の調香師?お会いできて嬉しいわ。あの香水、どれも素晴らしかったけれど、特にムーンライトは忘れられなくて。
王女は想像していたより気さくだった。堅苦しい儀礼よりも、純粋に香水への興味が勝っているようだ。
侍女たちが茶を用意し、アンネリーゼは向かいの席に座ると身を乗り出すようにしてヨシオを見た。
はじめまして、私はアイザキヨシオと申します。となりは助手のシーラです。このたびは、私どもの香水をお気にめして下さりありがとうございます。
王女は手を振って、
そんなに畏まらないで。私、堅苦しいのは苦手なの。ねえ、もっと近くでお話ししましょう?
立ち上がってヨシオたちのそばに来ると、
実はね、今度隣国のレオハルト王子がいらっしゃるの。晩餐会でムーンライトをつけて出席したいと思って。王子のお好みに合うかしら。
王女の頬がわずかに赤らんだ。どうやら単なる社交ではなく、個人的な事情が絡んでいるらしい。
レオハルト王子といえば隣国ヴェルディアの第一王子で、文武に秀でた美丈夫と評判の人物だ。両国の関係強化のための外交訪問だが、年頃の王女にとっては別の意味もあるのだろう。
シーラは小声で、
マスター……これは商機ですよ。晩餐会用の特別調合、提案してみては。
ムーンライトは、高貴な王女様に良くお似合いです。晩餐会用に特別に調合したゴージャスムーンライトを試作中です。
これを納品しますのでお使いください。
王女は目を輝かせて、
特別に調合してくださるの?嬉しい!ねえ、どんな香りになるのかしら、今ここで少しだけ嗅がせていただくことはできる?
無限収納から試作品を取り出す許可を求める必要がある。王宮内での魔法使用は制限されている場合が多いが、「所持品の取り出し」程度なら問題ないか確認が要る。
シーラが小声で耳打ちした。
私のマジックポケットから最高級のゴージャスムーンライトを取出し王女様に手渡した。
小瓶を受け取って蓋を開け、手首の内側にひと吹き。目を閉じて香りを確かめると、
……まあ。ムーンライトより深いのに、重たくない。これなら晩餐会でも負けないわ。
侍女にも香りを試させて、
どう思う?
恭しく、
大変よろしいかと存じます。華やかさの中に気品がございます。
満足げに微笑んで、
ではこれを百本お願いするわ。それと、今後も定期的に王宮への納入を続けていただける?専属契約という形で。
百本。通常の百倍の量だ。金額にして一本当たり2,000Gで計算すれば20万G。
月商が跳ね上がるどころの話ではない。しかも専属契約となれば、王家の御用調香師という肩書きが手に入る。
商人としては破格の待遇だった。
ただし条件の詳細は詰めなければならない。納期、支払い方法、品質保持の期限、王家以外への販売制限の有無。
浮かれる前に確認すべきことは多い。
誠にありがとうございます。よろしくお願いします。
王宮を後にした。

◆専属契約
王宮を後にしたヨシオとシーラは、しばらく無言で石畳の通りを歩いた。
現実感が追いついてきたのは王都の喧騒が耳に戻ってきた頃だった。
シーラは両手で口を覆って、
百本ですよ百本!しかも専属契約!月商いくらになるんですかこれ!
帰路、馬車の中でシーラは興奮冷めやらぬ様子だった。アクリアに戻った二人はさっそく精油の増産体制に取りかかった。月下香の農地をさらに拡張し、精油蒸留設備も増設。リーナと新たに雇ったもう一人の助手で回せるぎりぎりの規模だ。
王女との契約書も完成した。内容は以下の通り。
・月下香精油百本を毎月納入
・一本あたり2500G
・王家以外への販売は王女の許可を要する
・契約期間は一年、以降は双方合意の上で更新
年間売上は3000万Gに達する。当初の百倍以上だ。商売としては大成功と言っていい。
だが、急激な拡大はリスクも伴う。農園の管理、精油の品質管理、そして人手。すべてが回り続ける保証はどこにもなかった。
私は、改めてスキルを確認した。
ヨシオがスキルウィンドウを開くと、これまでの活動で新たな項目が追加されていたり、既存スキルのレベルが上がっていたりした。
確認できた内容は以下の通りだ。
無限収納(中):収納容量が大幅に増加し、家一軒分ほどの物資を格納可能
調香術(中級):香水の調合精度が向上し、新しい香りの組み合わせを直感的に把握できる
商才(中級):商取引における交渉力や市場の動きを読む勘が強化されている
鑑定眼(初級):物品の品質や価値をある程度見抜けるようになった
言語理解(全種族):この世界のあらゆる言語を自然に理解・会話できる
また、スキルポイントが5貯まっていた。「スキルの強化」や「新スキルの取得」に使用できる。

◆アクリア調香学院
香水も大量生産となると品質管理が重要となる。
私以外に調合師を多く育てる必要がある。
優秀な人材を登用するために、教育する学校が必要かもしれない。
調香師の育成は急務だった。現在の調合はすべてヨシオ一人で行っているが、百本以上の月下香精油を香水に仕上げるには手が足りない。
品質にばらつきが出れば王女への納品に差し障る。
そこで教育機関の設立を考えた。香水専門の学校。この世界にはまだ存在しない概念だ。
候補地はアクリアが適当だろう。港町で交易が盛んゆえに各地から人が集まりやすい。
町の有力者に話を通せば土地も確保できるはずだ。資金は潤沢にある。
問題は教師を誰が務めるかだ。ヨシオ自身が教壇に立つか、それとも信頼できる調香の経験者を探すか。
あるいはスキルで「調香指導者」のような人材を召喚する手もある。
まずは構想をシーラに相談してみるといいだろう。
シーラ。香水の教育をする学校を設立しようと思う。
初めは小人数からだが、教師を私とシーラで受け持ち、
高級品は私が、普通品はシーラが講師となって香水師を育てる。
意見を聞きたい。
シーラは少し考えて、
いいと思います。ただ、私に普通品の講師が務まるかは正直自信がないです。マスターの調合を間近で見てきたから基本は分かりますけど、まだ経験が浅いので。
シーラは正直だった。自身の実力を過大評価しない点は美徳だが、このままでは講師役を任せるのは荷が重い。
続けて、
教師役の補佐としてもう一人か二人、経験のある調香師を雇うのはどうですか?
王都で探せば小規模な工房で働いてた人がいるかもしれません。独立したくても資金がないとか、腕はあるのに機会がないとか。
王都の商業区には香水を扱う工房がいくつかあった。中には後継者問題で閉業を考えている職人もいると聞く。
スカウトすれば即戦力になる可能性がある。
学校の設立場所については、商業区の外れに空いている二階建ての建物が候補に挙がっていた。
元は薬草店だったらしく、調合用の設備がそのまま残っている。改装すれば教室として使えるだろう。
指を立てて、
あと生徒の募集ですね。給料を出すなら応募は来ると思いますが、「香水師」なんて職業はこの世界にないですから、どんな人が集まるか未知数です。
私は、王都で香水師の募集を開始した。
それと並行して花の特性や香水作成の教本も図解入りで作成した。
募集は王都とアクリアの両方で行った。条件は調香に興味があり、基礎的な読み書きができること。
給与は月8万G、住み込みの場合は家賃を差し引いた額が支給される。
一ヶ月の募集期間で集まった応募者は十二人。面接の結果、四人を採用した。
エルザ:元薬草師の娘。父の仕事を手伝っていた経験から嗅覚が鋭く、植物への知識も豊富
カイル:元冒険者。怪我で引退した後、手先の器用さを活かした職を探していた
ミーナ:花農家の三女。実家の手伝いで花の扱いに慣れている
リコ:没落貴族の息子。高等教育を受けた教養がある
いずれも癖はあるが素質を感じさせる面々だった。教本も完成し、図解入りの分かりやすい内容に仕上がっている。
学校は「アクリア調香学院」と名付けられた。生徒四人と教師二人。小さな船出だが、まずはここからだ。
開校初日、教室に四人が並んで座っている。期待と不安が入り混じった表情でヨシオを見上げていた。
皆さん、ようこそ。我がアクリア調香学園に。
これから1ヶ月間、香水の調香について勉強してもらいます。
その後、私たちの工房で香水作製の仕事をしてもらいます。
よろしくお願いします。
エルザは真っ先に立ち上がり、
よろしくお願いします!父から香料のことは少し聞いていましたが、体系的に学べるのは初めてです。
カイルはぶっきらぼうに頭を下げて、
よろしく。手先には自信がある、期待してくれ。
ミーナはにこにこしながら、
花の香りでお仕事できるなんて夢みたいです!
リコは落ち着いた声で、
ご指導よろしくお願いいたします。
四人の反応はそれぞれだったが、やる気は十分に感じられた。
初日は座学から始まった。花の種類と香気成分、精油の抽出法、基剤の選定と配合比率。教本を使いながらヨシオとシーラが交代で講義する。
エルザは目を輝かせながらノートを取り、カイルは黙々と図面を写し取った。ミーナは実際に花に触れられる実習を心待ちにし、リコは的確に質問を挟んで理解を深めていく。
二週目からは実技に移った。月下香とラベンダーを使った基本の調合から始まり、三週目には各自がオリジナルの香水を設計する課題を出した。
そして一ヶ月後。四人は見習い調香師として工房に配属された。まだヨシオやシーラの足元にも及ばないが、「ヨシオ」ブランドを支える手は確実に増えた。
香水製造は毎日高稼働で材料の花も足りない状態が続いていた。

◆温暖化装置
冬に入ると更に深刻化した。
花は寒さに弱い。
そこで、温暖化装置を考案する必要があった。
この世界にはビニールハウスは無い。
さてどうするか?
冬の到来は容赦なかった。アクリアは温暖な地方とはいえ、十二月から二月にかけては気温が一桁まで下がる。
月下香は寒さに弱く、霜が降りると葉が傷んでしまう。
現状の対策は焼石に水だった。傷んだ月下香から精油を搾ると品質が落ちる。
落ちた品質を補うためにさらに月下香を消費するという悪循環に陥りつつあった。
選択肢を整理しよう。
一つ目は耐寒性のある品種への切り替え。しかし月下香の代替品はまだ見つかっていない。
二つ目は温室の建設。ガラス張りで内部を温めれば冬季でも栽培は可能だが、この世界にビニールハウスの概念はない。
ガラスは高価で壁一面に張るとなると莫大な費用がかかる上に強度の問題もある。
三つ目の方法として、魔法を活用する手がある。火魔法で地中に熱を蓄える、
あるいは火属性の魔石を利用して地表の温度を保つ。コストは魔石の維持費次第だが、工夫次第で安価に抑えられるかもしれない。
シーラなら何か知恵を持っているだろうか。
シーナに魔石について聞いてみた。
シーナは作業の手を止めて、
魔石ですか。火の魔石なら手頃なのがありますよ。火蜥蜴(サラマンダー)の巣穴から採れる小粒のやつ、市場に出回ってます。
一個500Gくらいかな。
シーラは続けた。
火蜥蜴の魔石は火属性の熱を蓄えてるんで、砕いて地面に埋め込めばじんわり温かくなります。
農業用に使ってる農家もありますね。ただし熱が広がるのが遅いから、畑全体をカバーするにはかなりの数が要ります。
指折り数えて、
百平米でだいたい五十個。全部で月下香の栽培区画は……ざっと三百平米だから、千五百個。七十五万Gですね。
一見高額に見えるが、「ヨシオ」の年間売上は数千万Gに達している。
千個程度の魔石なら誤差の範囲だ。問題は熱の持続時間と、冬の間ずっと交換や補充が必要になるかどうかだった。
魔石千五百個を結集した大きな魔石を製錬した。
中央には巨大な浮遊水晶炉があり、内部で青白い魔炎が穏やかに燃えています。
炎は熱ではなく「生命の温度」を放ち、周囲の気候を安定させます。
しかし、魔石エネルギーは使い捨てがこの異世界の常識だった。
魔石のリサイクルは出来ないだろうか?使い終わった魔石に魔法を付与すれば再利用出来るかもしれない。
シーラは目を見開いて、
あ、それ面白いかも。魔石って使い切ったらただの石ころですけど、魔力を込め直せば再充填できるって話は聞いたことあります。
魔石への魔力再充填は専門の術師に依頼するのが一般的だが、調香術を極めたヨシオなら自前で魔力付与ができる可能性があった。
魔力の流れを読み、操る感覚は調合の過程で培ってきたものと近いはずだ。
試しに廃棄予定の小さな魔石を一つ手に取ってみる。掌の上で転がすと微かに温もりが残っていた。
完全に空になった魔石でも、構造自体は壊れていない。ここに魔力を流し込むイメージで……。
調香術の要領で香気の層を重ねるように、魔力の膜を魔石に纏わせていく。
すると石が仄かに赤みを帯び始めた。微かな熱が掌に伝わってくる。
シーラは覗き込んで、
できてるじゃないですか!これならリサイクルできるかも。
再充填の効率を検証する必要はあるが、もし実用に耐えるなら魔石代を大幅に削減できる。まずは専門家に意見を聞くべきだろう。
魔法使いの冒険者に魔石のリサイクルについて聞いてみた。
アクリアの冒険者ギルドに併設された酒場で、一人の魔法使いに声をかけた。
銀髪を短く刈り込んだ中年の男で、「炎槍のガルド」という二つ名を持つベテランだ。
テーブルには空になったジョッキが三つ並んでいたが、話に応じてくれた。
顎髭を撫でながら、
魔石の再充填?やったことねえな、普通は。
ガルドは腕を組んで少し考え込んだ。
ただ理屈としちゃあ分からんでもねえ。
魔石ってのは魔力の通り道みてえなもんで、使い果たしても石自体が割れるわけじゃねえからな。
空の器に魔力注ぎゃ溜まるってのは筋が通る。
ジョッキを持ち上げて、
問題は効率だ。自然放置じゃまず無理だろうよ。術師が直接流し込むにしても、魔石の容量を超えた魔力ぶち込んだら石が砕ける。加減がいる。
つまりヨシオのやり方は方向性としては間違っていなかったが、出力の調整という課題が残る。ガルドが興味を示したのはそこだった。
「暇な時に手伝ってやるよ」と協力を申し出てきた。魔石リサイクルの実験に、元冒険者の魔力操作の知見は心強い味方になるだろう。
こうして魔石をリサイクルする事で、温暖化装置のコスト削減に成功した。
月下香栽培が安定し、香水生産量が上がった。
嬉しいことに、私の基礎魔力レベルが1から2に上がった。

◆効率的な精油抽出方法
そこで、より効率的な精油抽出方法を考えることにした。
蒸留装置の改良が必要だ。
リサイクル魔石のおかげで温暖化装置の運用コストは当初の見込みの十分の一に収まった。
月下香は冬季でも安定して育ち、精油の生産量は以前の倍に達した。
しかし、いくら原料が増えてもボトルネックは精油の蒸留工程にあった。
現行の蒸留装置は単式で、一度沸騰させて冷却し精油を分離するという古典的な方法だ。これでは処理量に限界がある。
改良の方向性としては二つ考えられる。一つは連続式蒸留装置の導入。
パイプを循環させて連続的に蒸留と冷却を繰り返す仕組みで、理論上は生産量が飛躍的に伸びる。
もう一つは高圧蒸留法。水蒸気の温度と圧力を上げることで沸点の低い揮発成分だけを効率よく抽出する方法だ。どちらもこの世界では前例のない技術になる。
ドワーフの鍛冶師に相談すれば、設計と試作は可能だろう。
費用はそれなりにかかるが、「ヨシオ」の売上を考えれば十分に投資の価値がある。
ドワーフ鍛治師の所に行き相談を持ちかけた。
アクリアから馬車で半日の鉱山町ドルク。
ここに腕利きのドワーフ鍛冶師がいると聞き、訪ねた先は「鉄火工房」という看板を掲げた工房だった。
金属を打つ音が絶え間なく響いている。
出てきたのは身長の低い赤毛のドワーフだった。
ずんぐりした体躯に太い腕、顔には煤がこびりついている。名はゴルドというらしい。
ゴルドは汗を拭きながら、
なんだ、ひょろ長い兄ちゃんがこんな山奥まで。武器の注文か?
蒸留装置の設計図を見せると、ゴルドの目の色が変わった。職人の目だ。分厚い指で図面をなぞりながら唸る。
ほほう……こいつは見たことねえ構造だな。水を沸かして花から油を絞るってか。
設計の一点を指差して、
ここの冷却部分だが、もう少し効率よくできるぞ。二重管にして内側に水流を通しゃ、外管の冷えが早え。
ゴルドは図面に直接書き込み始めた。どうやら気に入ったらしい。
「三日くれ、試作してみる」と言い放ち、すでに頭の中では部品の形状を組み立てているようだった。
試作品をお願いします。上手く行けば、数台製作依頼します。
ゴルドは歯を見せて笑い、
数台じゃ足りねえかもしれんぞ。こいつは面白え仕事だ。
三日後、ゴルドから連絡があった。工房を訪れると、作業台の上に試作品が鎮座していた。
鉄と銅の管が複雑に絡み合い、底部には蒸発皿が据えられている。
想像以上にコンパクトな設計だった。
実際に月下香の花弁を入れて稼働させてみると、旧来の単式装置とは段違いの速度で精油が滴り落ちた。
ゴルドが考案した二重管冷却の効果は絶大で、加熱から冷却までの時間が半分以下に短縮されている。
ただし課題もあった。連続運転を続けると管の内壁に精油の成分が付着して詰まる。定期的な洗浄が必要だ。
それと、初期投資として試作一台で50万Gがかかった。
量産するなら複数台必要だが、その前に精油の品質チェックが先だ。
旧装置と新装置で抽出した精油に違いがあるかどうか、比較試験を行わなければならない。
私は、旧装置と新装置の精油状態を試験し、製造量のコストを計算した。
両装置で抽出した精油をヨシオ自身の鑑定眼で比較した。成分分析の結果、品質にはほとんど差がなかった。
純度は新装置の方がわずかに高い程度で、香水としての価値に影響するほどの差ではない。
続いてコスト計算を行う。旧装置は一時間あたり約十五本分の精油を生産できた。
新装置は設計通りなら約三十本。さらに魔石の再充填を考慮すれば、ランニングコストは旧装置の三分の一以下に収まる。
さらにゴルドは改良を約束しており、将来的には一台で五十本以上の生産が見込めるとのことだった。
つまり新装置を五台導入すれば旧装置の十五倍の精油が生産できる。投資額は五台で250万G。対して月下香一株あたりの収益を計算すると、一株から精油約二十本分が採れる。五台体制なら一株から得られる利益は旧装置の約四倍。
結論として、新装置への切り替えは極めて合理的だった。さらにゴルドに量産を依頼すれば生産速度はさらに上がるだろう。
ゴルドに装置の製作を正式に5台依頼した。
ゴルドは拳で胸を叩いて、
任せとけ。十日で仕上げてやらあ。
十日後、鉄火工房から新装置五台が届けられた。設置作業はゴルド自らが立ち会い、配管の微調整まで丁寧に仕上げた。
職人としての矜持が窺える仕事ぶりだった。
稼働を開始して三日目には、月下香畑の景色が一変した。以前は数人の人手で回していた作業が、装置の自動化で大幅に効率化されたのだ。
空いた人員は品質管理や出荷準備に回せるようになり、工房全体の生産性が底上げされた。
その効果は数字にも表れた。
アクリア調香学院の生徒たちが作る見習いブランドの香水も安定して出荷できるようになり、ブランド全体の月間生産量は千二百本を突破。
王女への納入分を差し引いても月商は九百万Gに迫った。
アクリアの港町を歩けば、道行く人々がほんのりと香水の匂いを纏っている。
ヨシオブランドの香りはもはやこの町の風景の一部になりつつあった。
新装置による、香水の生産量の増加は、さらに新たな課題を私に提示した。

◆輸送費削減
香水の売り上げが伸びるにつれて、輸送費が馬鹿にならない。
ここでも、コスト削減が必要だと考えられた。
問題は単純明快だった。いくら生産量を増やしても、アクリアから王都までの輸送コストが売上を圧迫し始めていたのだ。
片道の馬車便で五日、往復で十日。その間に品質が劣化するため、高級品は魔法で冷却しながら運ばなければならず、その費用も馬鹿にならない。
現在の輸送コストは一本あたり約50G。千本出荷すれば5万G、つまり売上の約五パーセントが輸送だけで消えている計算になる。
これがもし自社で輸送手段を確保できれば、人件費と燃料費だけで済み、大幅なコスト削減が見込める。さらに冷却不要の常温輸送が可能になれば経費はさらに下がる。
考えられる選択肢は二つ。自前の輸送隊を組織するか、あるいは定期船の航路に乗せてもらうかだ。
後者なら船賃との相殺で大幅に安くなる可能性があるが、交渉次第だろう。
港にはちょうど王都からの船が停泊している。使者に会うついでに、港湾の責任者にも話を通しておくのが得策かもしれなかった。
港湾の責任者に運送コストと運航日数を確認した。
港湾事務所を訪ねると、恰幅のいい中年の男が出迎えた。港湾長のバルドという人物だ。
バルドは書類を引っ張り出しながら、
あー、香水の運送ね。王都行きの定期便なら片道三日で着く。船なら馬車よりずっと早い。
そろばんを弾いて、
一本あたりの船賃は二十本単位で契約なら一本当たり15Gってとこだな。
ただし割れ物扱いだから梱包に気ぃ遣うし、揺れで瓶が破損した時の補償は別料金だ。
つまり二十本単位の定期契約を結べば、輸送コストは一本あたり約15G。馬車便の三分の一以下だ。
さらに冷却不要で運べるため保冷費用も削減できる。
ただし注意点もあった。現在の定期便は週に二便、つまり月に八回しか出ない。
月に千本以上出荷するなら便数が足りず、かといって船を一隻専属で確保するとなると月間の船賃が百万Gを超える。
大口の契約を結んで専用枠を設けてもらう必要があるだろう。
当面は、陸と海で運搬し王都に香水の工場を建設する計画を考案することにした。
◆王都に店舗と工房
王都に工場を建てるという案は、輸送問題を根本から解決する最善手だった。現地で生産すれば輸送費はゼロ、保冷の手間もない。しかし実行には莫大な資金と政治的な後ろ盾が必要になる。
まず初期投資の見積もりだ。王都の土地代はアクリアの数倍、工業用地となればさらに高い。建物の建設費、調香設備の導入、人材の確保。最低でも数千万Gは必要だろう。
次に政治面。王都で商売をするには王の許可がいる。今回の使者の訪問は、あるいはこの件に関係しているのかもしれなかった。
港で待つ王宮の使者はまだ帰っていない。会って話を聞く価値は十分にある。王都進出の足がかりになるかどうかは、これからの交渉次第だ。
王宮の使者に香水工場の許可は出るか確認に行った。
港の待合室で待っていたのは、白髪交じりの壮年の男と若い文官の二人組だった。文官の名はレナード、男の名はグスタフと名乗った。
グスタフは穏やかな口調で、
お忙しいところ申し訳ない。実は本日参りましたのは、こちらからお願いがあってのことでして。
グスタフは懐から書状を取り出した。封蝋には王家の紋章が押されている。
王女殿下がヨシオ殿の香水を大変お気に召されまして、最近では侍女たちの間でも評判になっております。
そこで殿下より直々に、王都にも店舗と工房を構えていただけないかと。
つまり王都進出の許可どころか、王女側から誘致の話が来たのだ。渡りに船とはまさにこのことだった。グスタフは続けて、
土地と建物は王家で用意いたします。ただ、いくつか条件がございまして。
グスタフは書状の条項を読み上げ、
まず王都での売上の一部を税として納めること。次に王家御用達の看板を掲げていただくこと。
最後に、新作ができた際には王家に優先的に献上すること。
要するに王家の威光を利用させてやるから、見返りを寄越せという話だ。悪くない条件だった。
土地と建物がタダで手に入るなら、数千万Gの投資が丸ごと浮く。
承知しました。ありがとうございますと王女様にお伝え下さい。
グスタフは深く頷いて、
殿下もお喜びになるでしょう。それでは早速、準備に取りかかります。
話はとんとん拍子に進んだ。使者たちは翌週までに土地の選定と建物の手配を済ませると約束し、帰路についた。
この知らせをアクリアに持ち帰ると、工房はちょっとした騒ぎになった。
シーラは目を丸くして、
王都に工房!?ヨシオさん、いつの間にそんな話に……。
興奮気味に、
王都なら人口も桁違いですし、販路が一気に広がりますね!
しかし浮かれてばかりもいられない。
王都での生産体制を構築するには人材を送り込まなければならず、学院の生徒たちの中から選抜が必要になる。
また、アクリアと王都の二拠点をどう運営していくかという問題も生じる。片方が疎かになればブランドの信用に関わる。
春風が窓から吹き込む中、ヨシオは王都進出に向けた具体的な計画を練り始めなければならなかった。
高級香水は王都で、普通香水はアクリアで生産することにした。王都の人材は私とエルザ。
アクリアはシーラと他の工員で生産する事にし、軌道にのれば、逐次ローテーションする様にした。
また新たに工員の募集もし学校の授業も継続している。
体制は着々と整っていった。王都組はヨシオとエルザの二人、アクリア組はシーラを筆頭にカイル、ミーナ、リコの四人。
それぞれの工房長として生産を統括する。
新たな工員募集にも応募が殺到した。アクリア調香学院の評判は近隣の村にまで広まっており、調香師になりたい若者が毎月のように門を叩く。
その中から適性を見極めて採用していく。
こうして二つの工房が同時に稼働し始めてから三ヶ月。夏を迎える頃には両拠点とも軌道に乗った。
ローテーションも順調で、王都組がアクリアに戻って技術を伝え、また王都へ送り出す。
この循環が回り始めたことで、職人の技術格差は縮まりつつあった。
売上も右肩上がりだ。王都での高級香水は貴族や富裕層に飛ぶように売れ、アクリアの普通香水は庶民の手が届く価格帯として定着した。
月商は王都工房が四百万G、アクリア工房が三百万G。合計七百万Gを超え、名実ともにアクリア最大の産業になっていた。
そんなある日のこと、王都から一通の手紙が届いた。差出人はグスタフ。内容は短かった。
「至急お会いしたい」とだけ記されている。
王女様からのご依頼でしょうか?
翌週、ヨシオは王都へ赴いた。エルザに留守を任せての単身出張だ。工房はすでにエルザが問題なく回せるようになっている。
王都の工房でグスタフと面会すると、彼の表情はいつもの穏やかさが消えていた。眉間に皺を寄せ、明らかに困り顔だ。
グスタフは声を潜めて、
実はヨシオ殿、厄介なことになりました。
グスタフが語ったのは次のような話だった。先日、隣国の使節団が王都を訪れた際に「ヨシオブランド」の香水が話題になった。
使節の一人が自国の王妃への土産として大量に購入していったのだが、それが他の使節団員の耳にも入り、我も我もと買い求め始めた。
結果として王都の在庫が底をつきかけている。それだけならまだいい。問題はその噂が国境を越えて周辺国に広まり始めたことだ。
各国の貴族や富豪から注文が殺到し、このままでは王都工房だけでは到底捌ききれなくなる。*
グスタフは一枚の紙を差し出した。そこには各国から届いた注文書の一覧が並んでいる。数十件の名前が連なり、中には大陸の反対側にある国の名前まであった。
現時点で確認できている注文だけでこの有様です。おそらく今後さらに増えるでしょう。いかがなさいますか。
腕を組んで考え込んでしまった。注文が多いことは嬉しいが、生産体制が追いつかない。原材料の花も足りない。即答は出来ない。後日返事をすることとした。
グスタフは理解を示して、
もちろん即答は求めません。よくお考えください。ただ、あまり長くはお待たせできない状況であることだけはご承知おきを。
工房を出たヨシオは、王都の通りを歩きながら思考を巡らせた。通りには香水を纏った女性たちが行き交い、店先にはヨシオブランドの看板が掛かっている。
この光景がやがて大陸中に広がるかもしれないという実感は、正直まだ湧かなかった。
宿に戻り、机に向かう。
問題を整理しよう。
まず生産能力。王都工房の現在の生産量は月四百本。原材料の月下香はアクリアからの船便で供給しているが、これ以上の増産には花の栽培面積を大幅に拡張する必要がある。
シーラに相談すれば畑の拡大は可能だろうが、それでも限界はある。
次に人材。調香師の数が圧倒的に足りない。学院の卒業生はこれまでに十二人出ているが、そのうち実戦投入できるのは六人程度。
このペースでは年間に百人が限度だ。現地での調香師育成も視野に入れなければならないが、教えられる人間が限られている。
そして最大の課題は花の調達だった。月下香は希少な野生種で、栽培も難しい。
代替品を探すか、花に頼らない香水を開発するか。あるいはまったく別の解決策があるのか。
夜が更けても、ペンは紙の上で止まったままだった。
花以外の香水を開発する必要がある。しかしどうすれば良いか工員全員で知恵を絞ることにした。
翌日、ヨシオはアクリアに飛んだ。工房の全員を集めて緊急会議を開く。
会議室のテーブルに着いたのはヨシオ、エルザ、シーラ、カイル、ミーナ、リコ、そして新人工員のリーネの八人。議題は「花に頼らない香水の開発」だ。
最初に口を開いたのはシーラだった。
あの花以外となると、果物や樹脂系ですかね。例えば東方の島国では竜涎香っていう鯨の体内でできる香料があるって聞いたことがあります。
エルサはメモを取りながら、
でもそれって入手が難しくないですか?ここでは手に入りませんよね。
カイルは腕を組んで、
樹脂なら森で採れるものもあるんじゃないか?樟脳みたいなやつとか。
リーナはおずおずと、
あの……花の香りを再現するんじゃなくて、まったく新しい方向で攻めるのはどうでしょう。例えば、柑橘系の爽やかな香りとか、男性向けのウッディな香りとか。
様々な意見が飛び交う中で、一つの突破口が見え始めた。花に固執する必要はないのだ。これまで月下香という素材に依存してきたが、香水は香りの芸術。
使う素材に制限などない。八人の頭脳が絞り出したアイデアの断片がテーブルの上に散らばり、新たな可能性の輪郭が少しずつ浮かび上がってきた。
柑橘系の果物。レモンやミカンや桃。皆で手分けしてあらゆる香りを探索して下さい。これからは皆さんの創作の時間です。
その一言で工房に火がついた。八人は一斉に立ち上がり、それぞれの持ち場へ散っていく。目は爛々と輝いていた。
探索は三日間に及んだ。

◆ 明日への期待
シーラとカイルは港に走り、各地から届く果物の木箱を片っ端から開けて回った。レモン、オレンジ、グレープフルーツ、ライム、金柑、夏みかん、ザボン、ネーブル、そして季節外れの桃。香りの強いもの、弱いもの、酸味の立つもの、甘いもの。数十種類の柑橘系果実が工房の作業台にずらりと並んだ。
エルザとリーネは王都の市場を回り、乾燥させた柑橘の皮や果皮を大量に買い付けてきた。陳皮や乾皮は生の果実とはまた違った香気を持つ。漢方薬のような奥深い風味が調香に新たな表情を加えるかもしれない。
ミーナとリコは森に入り、樹木の樹皮や樹液、葉の汁などを採取してきた。ヒノキに似た香りを持つ木、シダーウッドのように重厚な木、果実とは違う森の空気そのものを閉じ込めたような素材たち。
三日目の夕方、ヨシオの前に八人分のノートが集まった。それぞれが試作した香りの記録と感想がびっしりと書き込まれている。
その夜、ヨシオが一人で工房に残って試作品を嗅ぎ比べた。レモングラスを基調にした爽快な一本、桃の甘さを活かした柔らかな一滴、ヒノキ系の落ち着いた香り。どれも既存の月下香とはまったく違う個性を放っている。
翌朝、全員を集めて発表の場を設けた。
皆さんご苦労様でした。皆さんのおかげで色々なサンプルがそろいました。これらの香料から香水を開発する様にするため皆さんの意見を聞かせて下さい。
最初に手を挙げたのはシーラだった。彼女のノートには柑橘系の果皮を使った香りがいくつも記録されている。
私は乾燥させた金柑の皮に注目しました。甘くて重い香りの中にほのかな苦味があって、既存の月下香とは全然違う方向性だと思います。これをベースにして、若い女性向けの香水が作れないかなと。
続いてエルザが立ち上がった。
私とリーネで試したのはベルガモットです。オレンジの皮から抽出した精油なんですが、上品で華やかさもあって。男性用にも女性用にもいけると思います。ヨシオブランドの新しい看板商品になり得るかと
カイルが鼻をこすりながら続いた。
森で採ってきた木の樹脂が面白かった。松に似たやつで、燻したような深い香りがする。煙草の匂いに近いんだが、嫌な感じじゃない。狩人とか職人向けの男性香水に合うんじゃないか。
ミーナとリコが顔を見合わせてから口を開いた。二人のノートには森の素材を組み合わせた香りが並んでいた。
森の素材を三つ混ぜたものを作ってみたんです。シダーウッドとヒノキと、あと葉っぱの汁。森の中にいるみたいな香りになって……そのまんまなんですけど、なんか落ち着くというか。
最後にリーネがおずおずと手を挙げた。
あの、私のはまだ全然まとまってないんですけど……レモンとグレープフルーツを組み合わせて、すごくさっぱりした香りになりました。夏場に使えたらいいかなって。
皆さんありがとう。香水とはまた違った芳香剤も作れそうです。
室内の芳香剤とかトイレの芳香剤にも使えそうです。
睡眠時の心地よい香りにもなる物も作れそうです。
みなさんと一緒に開発しましょう。
そして王女様には良い返事をしましょう。
工房全体が沸き立った。香水だけでなく、芳香剤という新しい市場が開けるかもしれない。その可能性に全員の目が輝いている。
それからの日々は怒涛の開発期間となった。朝から晩まで工房には甘い香りや森の匂いが漂い続け、壁には試作品の番号札がずらりと並ぶ。失敗作も山のようにあったが、その山の分だけ新しい発見が生まれた。
二週間後、ついに六種類の新作が形になった。金柑ベースの甘く重い「琥珀の雫」、ベルガモットの上品な「月光の微笑み」、松系樹脂の渋い「深林の誇り」、森の香りそのままの「安らぎの森」、レモンとグレープフルーツの清涼感ある「涼風の囁き」、そしてラベンダーとヒノキを合わせた「眠りの揺り籠」。
睡眠用の「眠りの揺り籠」は意外な大発見だった。枕元に数滴垂らすだけで、森の中で眠っているかのような安らぎを得られる。工房で仮眠を取ったシーラが「もう朝ですか」と寝過ごしたほどだ。
六種類を小瓶に詰め、王都へ向かった。グスタフへの返事を携えて。
第6章
◆ポーション
◆老魔術師のガルドス
◆香水に魔法添加
◆新作の香水
◆若返りですって
◆治癒ポーションの王宮試験
◆美容ポーション
◆美容ポーションの効果
次回につづく