カザマスキーの販促の責任者として販促チーム「ホワイトクルー」生みの親、1972年札幌オリンピックのコーチ、キロメーターランセ(スピードスキー)監督など、あらゆる面でスキー界に貢献した同氏。とりわけ印象強いのは、キロメーターランセ。世界最強チームを構築し、世界記録を連発したことだ。まだスポーツ業界紙記者だった時代、羽田空港までジャパンチームの出発を取材に行き、大出監督にイタリアでの目標などインタビューしたことを思い出す。

 その時の代表、森下勝は後に交通事故で亡くなり、西克はスキーのサービスマンからゴルフクラブのシャフトのサービスマンとして現在もプロツアーに帯同して活躍している。高橋喜平太は上越国際スキー場の現場の責任者として活動、新潟県スキー連盟の常務理事でもある。