スキーコンプとしてはめずらしい企画。だが、写真、内容とも“スキーコンプらしくない”、のがいいと巻頭カラーで扱った。この企画は、埼玉県熊谷市出身の斉藤泰弘というスタッフが書いたものだが、インカレの取材を通じて彼と親しいことで実現したもの。私にはとうてい書けないオシャレな文章を得意としており、そのせいか今は学研でファッション系の雑誌の編集長をしている。

 実は一樹とは高校生のときに栂池か八方で会っている。その時指導していたのが栂池の石川寿久。ジャパンチームで長年ジュニアチームのコーチをしていたが渡辺のコーチでもあった。石川コーチから「これはいい選手になりますよ」と聞いていたで、注目していた選手のひとりである。しかし、残念ながら世界で戦えるところまでいかなかった。そんな一樹だが、基礎スキーに転向してから輝きを取り戻し「成功を収めた」ことは大変うれしく思っている。後にも先にも、スキーコンプで基礎スキーの選手を取り上げたのは彼しかいない。

 

 

 

 

 

 SAJ History

1972年(昭和46年)~1979年(昭和54年)

 1972年(昭和46年)

 日本初の第11回冬季オリンピックが札幌で開催、35か国が参加。日本はジャンプの70m  

 で金・銀・銅メダルを獲得する快挙。金メダルの笠谷幸生は、日本の冬季オリンピック史上初の金メダル獲得、そしてメダル独占も初の快挙。銀メダル金野昭次、銅メダル青地清二

 1973年(昭和47年)

 日本初のワールドカップ、苗場スキー場で開催。回転で柏木正義が、日本選手初の10位に入賞、ワールドカップポイントを獲得(1点)する。SAJが財団法人として文部大臣の認可を受ける

 1974年(昭和49年)

 第45回宮様スキー大会がFISの公認大会となる

 1975年(昭和50年)

 ワールドカップ、苗場スキー場で2度目の開催。第11回インタースキーの日本大会が決定(1979年・蔵王)

 1976年(昭和51年)

 富士重工業(現在のSUBARU)よりオフィシャルカーSUBARUの提供を受ける

 1977年(昭和52年)

 ワールドカップ、会場を富良野スキー場に移して3度目の開催。第1回ジュニア選手権大会はじまる

 1978年(昭和53年)

 アルペン世界選手権大会(スイス・サンモリッツ)で海和俊宏が回転で7位と健闘する。(入賞は6位)

 1979年(昭和54年)

 FIS副会長にSAJ副会長の伊藤義郎就任。第11回インタースキー蔵王大会開催される