カッコよさを誇りに”勝てない名手”はレーシングピステを去った。パオロ・デ・キエサ

 いつも上位に顔を出すが、なぜか勝てない。ワールドカップに出場すること13シーズン、表彰台に立つこと12回、しかし、一度も表彰台の最も高いところに立てなかったスラローマーがいる。

 イタリアのパオロ・デ・キエサである。彼がデビューしたのは1974年、地元イタリアのマドンナ・ディ・カンピリオだった。このデビュー戦(回転)でいきなり2位となり、そのシーズンは3位も2回あり、彼もチームも優勝は時間の問題とみていた。デビュー当初は大回転にも出場していたが、3シーズン目からはスラロームオンリーとなった。同種目オンリーのスペシャリストは、当時では大変珍しくほとんどは技術系2種目に出場した。

 期待された1975年、1976年、1977年と3シーズンは5位以内にも入れなかった。しかし、どの会場でもキエサの人気は凄く、とくに女性ファンはキエサ目当てでワールドカップ観戦にきていたほど。イタリアの伊達男といわれるほどルックスが良く、ファッションも際立っていた。シルビィのセーターを世界一流にしたのは彼だともいわれた。

 19822度の表彰台を記録するも優勝なし、1984年は22回、3位2回と活躍するも勝つことはできなかった。1986年、アメリカ・ヘブンリーバレーでのスラローム5位を最後に伊達男キエサは、誇りを胸にカッコよくレーシングピステを去った。

 勝てない名手が唯一、大変な記録を残している。それはスラーム出場51戦で途中棄権がないということである。そんなはずはないと思い、何度も資料を見返したが「DNF」は一度もなかった。勝てない名手はまた、“失敗しない”名手でもあった。51レースに出場して5位以内が28回という内容も素晴らしい記録である。

 引退から数年後、新聞の片隅に「元オリンピック選手、イタリアのパオロ・デ・キエサさんが女性に銃で撃たれる」というショッキングな記事がでていた。なんともイタリアのモテ男らしいスキャンダルだった。本人は軽症で至って元気だったというオチがついていた。

DE CHIESA Paolo (ITA)

SL出場51レース(1974年~1986年)

 2/4

 3/8

 5位以内/28

 11位以降の順位/4