1937年(昭和12年)、ノルディック競技に遅れること14年、いよいよ歴史的な第1回(記録としては第15回となる)アルペン全日本スキー選手権大会が開催された。世界的にも、そして日本でもスキー競技はノルディックからスタートしている。興味深いのは、開催地が“スキー先進国”北海道でもなく、東北でも新潟でも長野でもない、滋賀県・伊吹山であるということである。

 その理由は、スキー年鑑にも詳しい記述がなく、当時を知る方がほとんど存命されていないことから残念ながら知る手立てがない。アルペン競技の開催に適していたのか、積極的に受け入れてくれたのか。ともかく、滋賀県・伊吹山で記念すべき第1回のアルペン全日本スキー選手権大会が開催されたのである。

 開催後、数年は実施種目について試行錯誤の後が伺える。1回目は成年、少年、壮年と別れていたが、「日本一は一人であり年齢は関係ない」という意見が多くを支配していたという。したがってその後は廃止されている。また、第二次世界大戦が勃発すると選手やSAJの役員たちも戦争に駆り出され、昭和18から終戦の2年後、昭和22年まで大会の開催はおろか、SAJの運営も停止された。

 こうした苦難の歴史を知った上で、あらためて先達たちの記録を知っていただきたい。

15回全日本スキー選手権大会(アルペン第1回)

 開催地:滋賀県・伊吹山

         1937年(昭和12年)

     滑降 成年/関金三郎(志賀高原)

        少年/兜山 登(鳥取)

        壮年/田中義武(名鉄)

     回転 成年/関口 勇(北若老会)

        少年/富井 匡(長野)

        壮年/田中義武(名鉄)

     複合 成年/関口 勇(北大若老会)

        少年/富井 匡(長野)

        壮年/田中義武(名鉄)

 少年で回転、複合で優勝した「富井 匡」は、後の「片桐 匡」さんで、SAJ副会長、長野県会長として長年日本のスキー発展に寄与された方。1998年長野オリンピックの開催では成功へ導く大きな役割を果たした。オリンピアンである片桐美雪さん、片桐幹雄さんはご令嬢でありご子息である。美雪さんは元SAJ専務理事であり長年アルペンのヘッドコーチを務めた古川年正さんの奥さんである。

 関金三郎さんは選手引退後、志賀高原・発哺温泉にあった「天狗の湯」の社長として同地発展に寄与された人だった。

新潟県上越市・金谷山にあるレルヒ少佐像。レルヒ少佐が日本にスキーを伝えてから26年

記念すべきアルペン全日本スキー選手権大会が開催された