はじめに

この度は第65回聖光祭へのご参加、並びに交通研究部の展示へのご来場ありがとうございました。(今年来れなかった方も来年はお越しください!)展示大賞は交通研究部に入れましたか?入れましたよね?(今年入れなかった方は来年は入れてください!)これをお読みになっている頃にはもう結果は出ていると思いますが、、どうなっているんでしょうか。執筆時の僕には見当も付きません。

さて、前置きも長くなってしまいましたが今年の交研模型のテーマは「函館」でした!相当な大作(になっていると信じたい)ができるまでの経緯を部誌に残してたくさんの方に知っていただきたいです。長くなりますが読んでいただけると幸いです。(以下である調で書く。)

 

登場人物紹介

 

  僕:63期ストラクチャー班長。11月末から部長。非常に怠惰。

班長B:63期模型班長。函館に縁が深い。筆者とは最寄り駅が隣。

班員I:63期平模型班員。9月から6月までこたつを出している。

その0 〜俺らの代、どこ作る?〜

交研の模型の主導は高1(文化祭の頃には高2)なので、高校生なりたてほやほやの頃には模型作りを始めないといけない。つまり中学生の間にある程度構想を固めないといけないのである。今年の模型班最高学年である63期は3人いるので話し合いをしていた。案がいくつかあったが(詳細は前すぎて忘れた)班長Bの1人の親の実家がある函館なら名所も多くやりごたえがあるのではないかと函館に決定。設計の基盤を僕が受け持つことになった。毎年函館に行っている班長Bとは違い僕は函館に行ったことが一度しかない(小4)ので少し作りにくい。ということで函館に行った。

 

その0.5 〜函館旅行記〜

2022/7/10

 

羽田空港

12:55

函館空港

14:20

JAL587便函館行き

函館

16:40

17:26

特急北斗17号札幌行き

17:45

函館

19:20

普通函館行き(砂原経由)

 

異例の夏古都研修(例年は3月)の後の特別授業が終わり、翌日に飛行機で父と函館へ。

羽田→函館便が7:35発と12:55発があり、後者に乗ることに。(我が家はJALヘビーユーザー)フライトの記憶はない。これを執筆しているのは旅行から一年後だし仕方ない。飛行機慣れしていないので毎度のごとく耳が大変なことになった。函館空港着後はバスを使って函館駅へ。ちょうど函館市電のハイカラ號が来るところだったので撮影。

↑ハイカラ號

 

駅前のホテルにチェックイン。函館駅が見えるいい部屋だった。ここからはJRの時間。複雑な線形をしている函館本線を2日で乗り倒す。ここで活躍したのが「はこだて旅するパスポート」というフリーきっぷ。自由席特急を含めた函館〜森が3650円で2日間乗り放題というきっぷである。函館駅を30分ほど測量した後、北斗に乗り込んで森へ向かう。新函館北斗での特急行き違いがなぜか左右逆になっていたのが印象的だった。壮大な駒ケ岳を右手に本線を疾走し、45分ほどで森駅に到着。いかめしが有名。だが僕はイカが苦手なので食べず。

駅前にマーイーカとアローラロコン(ポケモン)のマンホールがあった。

↑ピンクと青のがマーイーカ。白と水色がロコン。

 

駅前をぶらぶらしたら函館に引き返す。乗る普通が接続を取った北斗はキハ281系だった。この年の10月に引退する形式で、走っている姿を見るのはこれが最初で最後だった。普通に乗り込む。班長Bがお気に入りのキハ40−1800だった。

本人に送りつけて1時間半ゆったり乗る。先程通った函館本線ではなく内浦湾沿いを走る砂原支線を通る列車で、あまり本数がない。大沼で本線に合流するまで秘境駅にひたすら停車していた。空が暗くなってきた頃に函館に到着。今日の鉄旅はこれにておしまいなので夕食へ。函館といえばラッキーピエロである。超有名ハンバーガー店なので混んでいるかと思ったがそんなことはなかった。定番のチャイニーズチキンバーガーにした。おいしかった。もうマックには戻れない(戻った)。(確か)そのまま宿に戻り就寝。

↑森駅とキハ40          

↑誰もいない夜(20時)の函館駅

 

2022/7/11

 

函館

12:35

大沼公園

13:14

普通長万部行き(新函館北斗経由なし)

大沼公園

14:17

五稜郭

14:37

特急北斗10号函館行き

五稜郭

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函館

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普通函館行き

函館

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五稜郭

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普通??行き

五稜郭

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函館

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普通函館行き

この日は函館市電の1日乗車券も買い、朝から五稜郭へ。鉄道でのアクセスが絶望的な五稜郭(JRはおろか函館市電も駅名詐欺)まで電停から歩いた。訪問は2回目で、前回はクリスマスだったので雪の印象しかなかった。凍ったお堀に雪玉投げつけてた。五稜郭タワーに上って写真を…としたところで気付いた。バッテリーがない。ホテルに充電しっぱなしで置いてきたことに今更気付いた。もう遅いのでスマホで撮った。


↑星型が特徴的な五稜郭

 

タワーを降りて城内を散策したあと、タクシーかバスかJRか市電のどれかで一度宿まで戻る。昼食(何食べたか忘れた)を済ませバッテリーを回収し、函館本線に向かう。次に乗るのは通称「藤城支線」。七飯を出た後新函館北斗と仁山を通らないで大沼に行くルートで、1日3本通っている。途中駅はない。すごい高架線を通って山を抜け、大沼で本線に合流、大沼公園で下車。

数十分ほど大沼湖畔を散策したり、僕の地サイダー好きの原点である「ハコダテニキテクダサイダー」という函館地サイダーを5年ぶりに飲んだりした。


↑ハコダテニキテクダサイダー

↑大沼の森の中

 

大沼公園から北斗で函館に戻るが、五稜郭で下車。目的は三脚の部品。函館夜景を撮るために三脚(伸ばすと2mあるでっかいやつ)を持ってきたのにシュー(カメラを取り付ける部分)を忘れたので使い物にならないのでそれだけ欲しかった。なんとなく使えそうなのを買ってホテルへ行ったが自分の三脚には合わず…そこでもう一度五稜郭へ行き返品。今度は安い三脚を1本買った。まだ夜までは時間があるので函館市内観光(建物のデータ収集)へ向かう。まず向かったのはカトリック元町教会。

↑きれいな教会だった。

 

道の反対側にあったソフトクリーム屋で買って食べた。おいしかった。函館の教会群でも特に有名なハリストス正教会は工事中で行けなかった。インスタ映えで有名な八幡坂を通りつつ次に向かったのは旧函館区公会堂。青と黄色のド派手な建物で印象に残った。最後に旧北海道函館支庁庁舎や旧イギリス領事館を見て回った。流石は最初に開国した港町、古い洋風の建物がこんなに集まっているのはここと長崎くらいしかないのではないだろうか。


↑函館公会堂

 

この時点で5時過ぎなので確かこの後に夕食を食べに行ったはず。金森赤レンガ倉庫を歩いた後に居酒屋っぽいところで海鮮丼を食べた。とてもおいしかった。やっぱ海鮮はおいしい。日も暮れたので函館山に登るぞ!と意気込んだのも束の間

あれ?めっちゃ霧かかってね?

↑上の明るいのが山頂

 

詰み。一応ロープウェイの山麓駅まで行ったが山頂ライブカメラを見ても真っ白である。函館山の高さは334m(阪神は関係ない)なので相当低い霧雲がかかっていたことになる。残念ながら有名な夜景を撮ることはできなかった。山麓にある少し高台の公園からちょっとだけ撮った。みなさんお忘れではないだろうか。数時間前に夜景を撮るためだけに三脚を買っていた。まさかの伏線回収を決めて三脚が活躍する機会はなくホテルへ戻り、就寝。

 

↓元町公園から撮った夜景。これでも十分きれいではある。

 

2022/7/12

 

函館

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五稜郭

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普通??行き

五稜郭

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函館

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普通函館行き

函館空港

     15:05   

羽田空港

   16:30 JAL586便羽田行き

 

函館旅行も最終日なのでやり残したことをやっていく。朝市を見て回ったらまずは青函連絡船の摩周丸。青函連絡船の歴史や悲惨な事故などの展示が多かった。甲板からは桟橋でいちゃついてるカップルが見えて気分が下がった。模型の写真を細かく撮って資料は集めたので撤退。昨日買った三脚が未使用なので返品しようと函館駅に入ったら「TRAINSUITE四季島」の文字があった。奇跡的に運行日と時間が重なって見ることができたのである。やはり豪華だった。五稜郭に行き三脚を返品した。函館駅に戻ったらちょうど四季島が発車するところだったので見送って函館の市街地を発った。バスで向かった先はトラピスチヌ修道院。現在も修道女がいて、メインの建物には立ち入ることはできず手前の敷地をうろうろ散策していた。近くにある函館市民の森でソフトクリームを食べ、バスで函館空港へ。函館空港で昼食にザンギ(北海道の言葉で鶏の唐揚げ)を食べ、ゆっくりしながら飛行機に乗り込む。羽田に着いた後は高速バスに乗って耳の痛みと闘いながらおうちへ帰りましたとさ。


以上旅行記でした。1年前の記憶を頼りにあったことを書き並べていくだけの拙い文章になってしまいましたが…ここからは模型の制作へ入ります。やってることが多くまとまりがない本編になっているかと思いますが…まだまだ続きますのでよろしくお願いします!

 

〜その1  後回し、また後回し~

函館から帰ってきて夏休みが始まった。夏休みは遊びと公文(数学の追い付いてない部分を短期集中した)に時間を取られていたのであまり設計はせず。休みが明けた頃に班長Bからおおまかな構想が送られてくる。これを基にして線路設計を始めた。班長Bのイメージにはかなり忠実に設計したが、何度かダメ出しを食らって結局線路の位置が確定したのは23年7月のこと。カーブなどが複雑になってしまったので一周をつなげるのに苦労した。追記:2023年12月にまた変わりました^_^気付いたら冬休み。そして冬休みが終わる。学校行事のスキー教室に行く。帰ってきたら4月の文化祭の建物設計をしないといけなかったのでそれをしていた。函館のほうもどこになにがくる~とかここはこんな感じ〜とかは話していた。1月終わり。2月になると4月の文化祭に向け仕事が増えた。僕は駅弁店長をやったのである。2年間平店員をやっていたのでできるだろうと思っていたが想像以上に仕事が多かった。学年末試験を終え駅弁の仕事をこなしてるうちに高校生になっていた。急にハードになる高校生の勉強と駅弁を両立している間に文化祭が終わった。つまり、もう函館の製作が始まったのである。この時点ではまだ細かい数値などを設定した設計は手付かず。すべてを後回しにしたツケがやってきた。

 

〜その2  土台を作ろう!~

交研では毎年同じ板を使っているので前年の模型をぶっ壊して基盤である板を出す必要がある。なので毎年恒例の破壊を行う。これで1学期前半が終わるので個人的には楽だった。1学期中間試験で大爆死し(交研自体が成績の悪い部活)、夏巡検の班決めをしつつ板の上に土台となるスタイロフォームという断熱材を敷いていく。大体20枚ほどの板にスタイロを敷き終え、1学期の通常活動は終わり。そもそも交研の模型展示は910mm×910mmの板を3×8に並べた、約2.7m×8.7mのサイズである。この規模を丸一年かけて作るのだから大変だ。7月の期末試験後は山の骨組みを作る作業に入った。模型展示の目玉にもなる山は、中はハリボテ、ビニールを張りその上にティッシュを貼り付け、スプレーで着色してフォーリッジというスポンジ状の小物を置いて作る。とにかく大きいので板丸4枚が山岳になってしまった。さらに、トンネルなどの都合上斜面の設計がとても難しいので苦戦していた。線路の釘を打つ際に浮かないようにするため厚紙を貼っていき、ここで1学期のすべての活動を終えた。

↑模型破壊の様子

↑板を新造した

↑函館山の骨組み

〜その2.5  大掃除だ!〜

自分たちの代になったらやりたかったこと、それは倉庫の掃除だ。どこに何があるかわからない倉庫、汚い倉庫。今後こんなところを拠点に作業するのはよろしくないと奮起し、7月最終活動の翌日に大掃除をする決心をした。とりあえず中にあるものを全部出してみたがまあひどい。ゴミが多すぎるのでどんどん整理していく。出てきた中で一番衝撃だったのは1989年1月17日の東京新聞の夕刊。一面は、電気ガス代の値下げと円安の話だった。128円で円安と叫んでいるが今は150円である。聖光の校舎を建て替えたのが10年前なのだが、そのときなぜこの倉庫に放り込まれたのだろうか?他にもいつのかわからない、油の浮いた塗料缶など特級呪物がいくつか…その他特筆すべきものはなかったが、丸一日でめちゃくちゃ倉庫をすっきりさせた。倉庫自体は掃除をしたが、染み付いたものなどは流石に剥がせないので妥協。モノを置く場所も区分けをして見やすくしたり、今後活動しやすくなったので大満足。夏休みは面倒くさいしっかり休みたいので部活はない。

↑倉庫のものを全部出した

↑平成元年の新聞

〜その3  下地を進める〜

2学期になり、暑さも和らいで…来るわけもなく、9月だというのに暑すぎる。猛暑どうにかならないかと思いつつ4回部活を終えた9月の第3週、なんと学校閉鎖となる。人生初の学校閉鎖だが高1は被害者がいなかったのでただの休み得だった。友達の学校の文化祭や自分たちの体育祭に時間を取られ、一瞬で10月に。この頃何をしていたのか、写真を頼りに思い出してみようとするも写真がほぼなかった。ただ一つ残っていたのは、体育祭で負けて坊主になった僕がカツラを被っている写真…この背景を見る限り、山のハリボテを進めていたようだ。山の内側を通る高架線を置いてみたがいい感じである。見えないところだけど。また、街の板のスタイロの上にティッシュを貼ったりもしていた。中間試験が色々な意味で終わり2学期も後半、函館山のハリボテに新聞紙を詰めてビニール、ティッシュと貼る。どうでもいいがビニールは「張る」でティッシュは「貼る」なのがややこしい。どうでもいい。小さな斜面になるところを、伝統の新聞紙粘土で作っていく。シュレッダーにかけた新聞紙を水で溶きペースト状にしたものを貼り付けていく。ぐちょぐちょしたあの感触が好き嫌いが分かれるようだ。過去には水で溶く作業を簡易化するためにミキサーを導入して30分でぶっ壊れたとかいう面白い話もあるのだが、結局今は手でこねている。2学期前半にティッシュを貼った街板にグレースプレーを吹き付ける。これだけで割りと街っぽくなるのだが、シンナー臭がすごくすごかった。11月も終わる頃に班長Bが五稜郭の寸法を持ってきてくれたので取り掛かることに。特徴的な星型だが角度が難しかったのでとても助かった。形を作り終え、2学期を終えることになる。

↑函館山にティッシュを張っていく

↑五稜郭の基礎

〜その4  失敗も計画的に〜

2学期期末試験が色々な意味で終わり、週末を満喫したのち1週間の部活が始まる。海の準備や五稜郭の続き、山の続きなどやりたいことはいっぱいあったのだが…月曜の夕方からどうもしんどいと思い熱を測ると38℃。一年前に1週間熱が続き翌週も外出する体力がなくなったトラウマが頭をよぎった。無事ではすまず翌日欠席、水曜は微熱はあったもののなんとか家を出て部活に行くことはできた。海底に液漏れ防止で敷く石膏がなかなかうまく行かず、僕が倒れたせいで山の設計が追いつかず…で作業があまりない中、金曜に一度全ての板を並べてみることに。そこでわかったのは、海岸線や山の高さなどズレまくっていることだった。設計自体は間違っていなかったのだが制作段階でズレてしまったようだ。今気づけてよかったと思う。冬休みに入り、冬巡検から帰って2023年も終わった。

↑全部の板を並べた際の様子

 

〜その5 中間発表会へ〜

あけましておめでとうございます。冬休みもあっという間に終わってしまった。3学期も始まってすぐ、交研は少し忙しくなる。1/27(土)に開催されるイベント、それは中間発表。交研の保護者を招待し、これまでの活動報告をする会。研究班は小講堂で発表をするが、模型班は全部の板や線路を並べて進捗報告をする。そこまでの用意をしなければならなかった。模型の方はミスっていた箇所の修正や山の続きをやっていた。さらに、ようやく海の制作に入ることができた。海は土台のスタイロに石膏を流し、固まったところで海底色を塗ってリアリスティックウォーターというものを流し込んで作る。KATOから出ている商品で樹脂みたいなやつだけど値段が少しお高め…それはさておき、模型の方は順調そうだ。一方のスト班は…もうボロッボロの3Dプリンター、逆に笑えてきた。造形の失敗がずっと続くので期待も何もない。そんなこんなで迎えた中間発表の日は生物実験室を借りて全部の板を急ピッチで並べる。線路も全部並べたが通電不良で電車はあまり走らなかった。班長Bと僕(スト班長)が保護者に活動の説明などをして中間発表は幕を閉じた。班長Bが作ったパワポの完成度の高さに感嘆した。再び24枚並べてみて問題点が浮き彫りになったため記録しつつ撤収。

↑直方体を作ろうとした3Dプリンター君の悲劇

 

〜その6  多忙of多忙〜

2月になり入試休みを終えようとしていたとき、関東にも大雪がやってきた。そのせいで2/6の模試が2時間遅れで始まり、いきなり部活が潰れた。この模試の最中、聖光祭まで12週間を切っていることに気付く。このままプリンターが直らず建物を自作することになったら間に合うのかと不安がよぎる。プリンター、直ってくれ…と思っていたら2/8になんと60期の先輩が来てくださりプリンターが使えるようになった!え、すご、、プリンターが使えるうちにどんどん刷ろうと思って必死にデータを作る3連休。ここで一気に五稜郭タワー、ハリストス正教会、覆道の壁に加えてロープウェイの土台を制作した。途中で班長Bからテトラポッドを作ってほしいと言われたので作ってみたがなかなかの完成度で満足。また、2月最後の活動でロープウェイの試運転をしたが課題が見つかったので修正をして春休みに続く。模型班の方は海、道路、畑を中心にやっていたようだ。ストが忙しかったので班長Bと班員Iに委ねられて助かった。畑は段ボールのうねうねしたところを剥ぎ取って畝を再現している。その上にボンドを引いて装飾用の作物を乗せて完成。地道な作業だが後輩が頑張ってくれたようで感謝。これで3学期の活動も終わったが聖光祭に間に合うのか不安が出てきた…

↑初試運転のロープウェイ

↑このとき山はまだ全然出来上がっていない

 

~その7  天王山の春休み~

3学期期末試験が色々な意味で終わり、聖光祭まで50日を切ったところで春休みの活動がスタートした。春休みのうち3/9.10.17.19.20.29.30.31、4/5は活動がないので実質19日。BとIに海や道路などを任せて相変わらずストラクチャーや山に専念していた。特に3/25.26で教室を借りて全部広げる予定なので大体の全体像を掴みたかった。街の方はどんな感じかというとトラムレールが載るところを掘り下げて道路との段差をなくしたり印刷した道路を厚紙に貼っつけて切ったりしていた。一方の僕は本当に建物がまずいので1時間早く学校に来て塗装するなどしていた。そして3/25に2ヶ月ぶりの全並べをした。以前よりも山が大きくなっていることや海ができていることなどかなりの進歩に見えた。午後から翌日にかけて線路を敷いて通電を確認、地上線・街線・山線の3路線5周の線路に電車が走った。いよいよ聖光祭まで1ヶ月。準備も大詰めかと思う。3月最後の3日は貴重な連休。友達と渋谷で遊んで(2日連続)息抜きもできたところで高校2年生になる。4月になってBから急に踏切を作って欲しいと頼まれたので作ってみたりもした。小さすぎて塗装が大変だったが、完成度の自信はそこそこある。始業式までの数日は高校生だけで道路と山を少しずつ進めて春休みも終わりを迎えた。

↑春休みの全展開。奥の山が大きすぎる

↑港の出来栄えも良好

 

 

さて、ここまでは「行跡24」の雑記に掲載した内容になります。残りの"4月から文化祭が終わるまで"は後日公開しますので交通研究部公式X(https://twitter.com/skgkoken)のフォローをチェックをお忘れなく!!それでは。