皆さんは普段、アリのことを考えることがあるだろうか。
子どもの頃は無意味にふんずけてみたり、
アリの行列を延々とながめたりしたものだ。
しかし歳をとって日常生活が忙しくなってくると、
よっぽど虫好きか、アリの専門家でもないかぎり、
アリのことなど考えなくなってくる。
かくいう私も、そんな大人のひとりとなってしまった。
アリはとても小さい。
人間にとっては、目をこらしてようやく気づく程度の存在だ。
でもアリからみれば、ダニのほうが小さいし、
ダニからみればミジンコの方が小さい。
そしてミジンコからみれば…というように、
物事は果てしなく小さくなってゆく。
ミジンコより小さいミトコンドリアにいたっては、
高性能の電子顕微鏡でも使わなければ、
存在しているかどうかすらあやしい存在だ。
たとえば、考えてみてほしい。
人間の体の、一個の細胞の中に住んでいるミトコンドリアにとって、
まさか自分の生きている場所が、生物の体内で、
しかも何億とある細胞のたったひとつの中だと、想像できるだろうか?
しかもその生物が、さらに大きな空間に存在しているなんて…
人間は地球という惑星に住んでいる。
地球という惑星に住んでいて、その地球は宇宙という空間に浮かんでいる。
そこまでは子どもでも知っている。
…しかしその先は?
宇宙に果てはないというが、本当だろうか?
ひょっとしたら、我々はミトコンドリアと同じ境遇かもしれない。
宇宙は、はてしなく大きな生物の、
体内にある細胞のひとつにすぎないのかもしれないのだ。
そう考えると、世界はやっぱり広い。
グローバル化など、ものの数ではない。
自分は大いなる自然を前に、本当にちっぽけな存在なんだな~、とか、
思ってしまったりする。
でも、それはそれでいいのかもしれない。
自分の身の丈を知るのは大切なことだし、
そもそも人知の及ばないことについてあれこれ考えることの方が、
不毛でおこがましいことなのだから。
アリはアリで人間の思惑など関係なしに、
今日も一生懸命生きている。
我々も宇宙の果てのことなど関係なしに、
一生懸命生きていけばそれでいいのだ。
ありのままに生きよう、
そんな風に思ったが、
違うな、とも少し思った。
子どもの頃は無意味にふんずけてみたり、
アリの行列を延々とながめたりしたものだ。
しかし歳をとって日常生活が忙しくなってくると、
よっぽど虫好きか、アリの専門家でもないかぎり、
アリのことなど考えなくなってくる。
かくいう私も、そんな大人のひとりとなってしまった。
アリはとても小さい。
人間にとっては、目をこらしてようやく気づく程度の存在だ。
でもアリからみれば、ダニのほうが小さいし、
ダニからみればミジンコの方が小さい。
そしてミジンコからみれば…というように、
物事は果てしなく小さくなってゆく。
ミジンコより小さいミトコンドリアにいたっては、
高性能の電子顕微鏡でも使わなければ、
存在しているかどうかすらあやしい存在だ。
たとえば、考えてみてほしい。
人間の体の、一個の細胞の中に住んでいるミトコンドリアにとって、
まさか自分の生きている場所が、生物の体内で、
しかも何億とある細胞のたったひとつの中だと、想像できるだろうか?
しかもその生物が、さらに大きな空間に存在しているなんて…
人間は地球という惑星に住んでいる。
地球という惑星に住んでいて、その地球は宇宙という空間に浮かんでいる。
そこまでは子どもでも知っている。
…しかしその先は?
宇宙に果てはないというが、本当だろうか?
ひょっとしたら、我々はミトコンドリアと同じ境遇かもしれない。
宇宙は、はてしなく大きな生物の、
体内にある細胞のひとつにすぎないのかもしれないのだ。
そう考えると、世界はやっぱり広い。
グローバル化など、ものの数ではない。
自分は大いなる自然を前に、本当にちっぽけな存在なんだな~、とか、
思ってしまったりする。
でも、それはそれでいいのかもしれない。
自分の身の丈を知るのは大切なことだし、
そもそも人知の及ばないことについてあれこれ考えることの方が、
不毛でおこがましいことなのだから。
アリはアリで人間の思惑など関係なしに、
今日も一生懸命生きている。
我々も宇宙の果てのことなど関係なしに、
一生懸命生きていけばそれでいいのだ。
ありのままに生きよう、
そんな風に思ったが、
違うな、とも少し思った。