あび風呂

あび風呂

文章の練習として記される駄文である。

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 ミストを見た。
 とにかくこの映画の見所はラスト15分。一説によると、監督のフランク・ダラボンがふと思いついて、原作のスティーブン・キングに提案してみるとあっさり通ったものらしい。確かに絶望と希望が入り混じり、切なさが一層引き立っている。しかし、切ないのはいいのだが、あのラストではただ単に「アメリカの軍事力は世界一ィィィィィィイイイ!!!」と言いたいだけにも思われる。つまり、アメリカ軍は、次元を超えることも、その異次元から何かわからぬものが侵入してきても、駆除できるほどの軍事力を持っていますよと。そして、最後にあそこまで巨大な生物を出してしまうのも良くない。普通はあんな怪物やっつけられる訳なかろうに、最後の感じで行くとあれも虫みたいに屠っておしまいかな。
 そしてこのラストで一番気になった点。歩み寄ってきた軍人二人(ガスマスクをしているから表情は見えないが)お前ら演技が塩すぎるぞ。泣いてる!?キョロキョロ、じゃねーよ。
 そういった点で最後は少し拍子抜けだった。


 この映画の趣旨はスーパーマーケットを脱出する前の時点で出尽くしている。つまるところ、キリスト教批判である。
 この映画は、明らかにキリスト教徒を悪者に仕立て上げている。話の中で、誰がどう見ても彼らを鬱陶しく感じるし、女が頭を撃たれたときは誰もがスカッとするであろう。僕もその一人だ。
 劇中、キリスト教たちが批判しているものとして、アポロ計画・原子力・クローンなどが挙がっているが、それを主張するキリスト教を悪人に仕立てていることから、監督及び原作のスティーブン・キングは、起きてしまったことはもうどうすることもできないという考えを持っていると考えられる。上記の技術開発は、人間が進化していく過程で至極当然であり、これからもどんどん行われるだろう。その当然の開発を、また開発してきた科学者たちを、人間は贖罪だと否定することなどできないのである。
 「殺人の罪を犯した」っていうのはおかしな話である。贖罪を謳いながら、自分たちは神へ捧げる生贄だとして人を殺しているのに、銃で撃って殺したから殺人?こちらからすると銃で殺した方がよっぽど人間臭くていい。こういった描写を取り入れたのも、キリスト教の偏った思考を批判しているのであろう。
 だめだよくわからなくなってきた。
 犬が喋るという、非現実的なもので世間を賑わせているソフトバンクのCMの話です。僕、今回のCMを見て思わず笑ってしまいました。

 以前、androidAUのCMで、嵐が犬に向かって「しゃべらないの?」と語りかける、といったものがありましたね。あれはどこからどう見ても、ソフトバンクへの対抗意識(iPhoneがシェアナンバーワンだったからね)からくるパロディーでした。

 そしてこの度、ソフトバンクもやり返しました!以下抜粋。

ボビーが犬に向かって「喋れよ」「喋らないの?」と若干キレ気味で語りかける。
挙句の果てには「年金出るぞ」とも。(笑)
その後に「犬が喋るわけないでしょ」と言って家族全員が笑顔、というもの。

 コレどう見ても嵐のやりとりですね。ここまで潔いと逆に清々しさすら感じます。まさかソフトバンクが、喋る犬の定義を覆してくるとは。

 そして最後に、お父さん(犬)の「馬鹿にするなっ」という言葉。これ、AUに向けられているんですね。CMで馬鹿にされたならCMでやり返せ、という「目には目を、歯には歯を」を見事に体現しております。
 いやぁ素晴らしいユーモア。こういうのはたまりませんな。
 アメリカンヒストリーXを見た。
 この題名のアメリカンヒストリーXとは、デレクの生き方がアメリカの歴史を象徴していることのメタファーであろう。また、校長が弟のダニーに対してアメリカンヒストリーXというレポートを課したが、これには、「デレクの生き方=アメリカの歴史」を振り返り、学び、見届けろという意味合いがあるかもしれない。
 この映画は、アメリカの白人黒人問題を題材としている。そして作中では白人の主人公デレクが他人種に歩み寄る。僕は歴史に疎いためよくわからないのだが、白人同士が争った戦や、ごく最近(と言ってもこの映画の少し前)白人と黒人の間で争いが起こったのだろうか。もし明確なもの(独立戦争や南北戦争、その他諸々の白人や黒人、インディアンなどの人種間の問題とか。)があれば、僕のアメリカの歴史説はより信憑性を帯びてくるのであろうが、僕は別にコメンテーターでもなければ、この文章を雑誌に載せるなどの公式な発表をする必要もない(というか恥ずかしくて載せられたもんではないわ)ので、別にこの考察が合っていても、はたまた間違っているとしても何ら問題はないのだ。寧ろ、合っていれば嬉しいなという、お茶の間でクイズ番組を無邪気に見ている程度にしか、情熱も気合も籠ってはいない。


 この映画は、場面ごとに白黒とカラーで分かれていたが、これはただ現在と過去の出来事としての区別を表現しているだけではなく、白人と黒人、インディアンといった人種がデレクの心中でどのように差別されているかによる。つまり白黒は、白人・黒人の概念がくっきりと分かれていたことを表しており、カラーはデレクが留置所で、人種を超えた何か(友情とか信頼とか)を得、他の人種に歩み寄ろうとしている心情を表しているのである。

 
 最後にダニーが黒人の少年に撃たれたことについてだが、結局人種の違いを取り払い、歩み寄ることは困難であると言いたいのか、ただ死を以て涙を誘おうとしたのかはわからないが、個人的にあのラストは気に入らない。エドワード・ノートンの演技はぐっと惹きつけられるものがあったが、どうも泣かせてやろうという監督の腹が見えてしまうようで嫌。もしくは伝えたいことがあるのかもしれないが、僕の頭じゃわかんない。


 あとはオマケ程度で、留置所内の会話にあったレイカーズとセルティックスについて。ある時代における話ではあるが、この2チームは、NBA(アメリカのプロバスケね)で、ロサンゼルス、ボストンを本拠とする、東西の名門チームである。レイカーズは黒人であるマジックジョンソンを擁し、セルティックスは白人でどんくさいラリーバードを擁していた。そういう訳であの二人は言い合いをしてたんだね。人種の違いが存在しながらも、人種を超えて盛り上がることができる。いやはや、スポーツは偉大であるなあ。