地平線が見える荒涼とした平原。

 背の高い樹木は見当たらない。乾燥や温度差に強いのであろう下草がまばらに茂っている場所もあるが、他はごつごつとした岩肌を覗かせる低い丘と、それが長い年月をかけて崩れ、今以上に平らになろうとしているような岩と砂が、一望できる限りの地表を覆っている。

 その只中に、石柱が列を成して立っている。立っていた、と表した方が的確なほど、そのほとんどは倒壊していて、高さの揃わない石塊と成り果てている。しかしながら、崩れてもなお元の形を想像で修復するのは容易く、その石塊が表面に装飾が施され、積み木のように積まれていた石柱であったことは明白だ。近づけば、石畳が敷かれた大通りが真ん中に通っていて、その両脇には幾つもの方形に組まれていたであろう石垣の痕跡も見て取れる。想像をさらに深めれば、その上に土や木や布で作られた住居が現れ、往時はそれなりの数の人が暮らし、それなりの往来がある、それなりの街であったことが浮かび上がる。何故、人が去り、荒れ果ててしまったのかなど知る由もないほどの長い年月が流れ、朽ち果てるものは全て消え去り、石だけが取り残された遺跡。

 そんな遺跡の人の気配のない大通りの中央に、ぽつんと一つ、人を感じさせるものが在る。石像だ。朽ちかかってはいるものの、かろうじて人の形を残している。台座の上に立ち、誇らしげに剣を掲げている。彼が守り、彼を称えた住人が誰も居なくなった街で独り、折れた剣を掲げ、苔生した英雄像。

 これから英雄になろうという旅の途中で、この遺跡を訪れた4人は、英雄像を前にして静かに佇んでいた。これから挑もうとしている道の行く末が、その先の未来が、あまりにも鮮やかに眼前に現れ、しばしの間、言葉を無くし、英雄像を見上げていた。

 その哀愁の沈黙を破ったのは、4人の中で最も感情の乏しい魔法使いだった。彼女は気まぐれに「花畑を出す魔法」を唱えた。すると、辺り一面に花畑が広がり、瞬く間にモノトーンだった世界が色とりどりのカラフルな世界に変わった。過去の栄華も、消えた住人たちも、忘れ去られた英雄も、決して戻ることはないが、カラフルな花に包まれることで何かが浄化されたようだった。それはまるで、弔いのようでもあり、祝福のようでもあった。

 突如として現れた花畑を見て、仲間の3人は「おお」と感嘆の声を漏らした。そして、まだ見ぬ行く末よりも目の前の花の美しさに心を躍らせた。魔法を唱えた本人は、ただ「何もないのは寂しいから」くらいにしか思っていなかっただろうが、予想以上に仲間が喜び、はしゃぎ出したことに悪い気はしなかった。それが「希望」や「愛情」という感情に繋がるとは思いもせずに。

 

『葬送のフリーレン』1シーンの書き起こし。

 (多少、記憶の錯誤&再構築あり)

 

 

 僕が大学生になった時、姉から入学祝いとして財布をもらった。それまでは、財布になど頓着しない田舎の高校生だったから、ナイロン製のマジックテープで開閉する、いわゆる「バリバリ財布」を使っていたと思う。そのダサさを見かねていた姉は、「大学生になるんだから財布くらいは洒落たものを持ちなさい」と僕を百貨店に連れて行き、ブランドものの財布を買い与えた。初めて手にするブランド品だった。

 それ以降、僕はこの通過儀礼を継承している。高校の卒業祝いとしてブランド財布を甥2人と長男次男にプレゼントしてきた。「デートの支払い時にバリバリ財布はダサいからな。ちょっとは小マシな財布を使えよ」と大いに先輩面をかまして。

 

 さて。

 ここまでの全くもって脈絡のないエピソードを並べ、どう伏線回収するのか。

 その答えは、次の「長女に財布を買っちゃった事件」に集約されるのである。

 

 今春の2月に、僕は長女に「財布は長財布派?折り財布派?」というメールを送った。これは甥や長男次男の時にも同じ問いかけをしている。自分好みの形じゃない財布ほど使い勝手の悪いものはない。なので事前調査をしてから購入するようにしてきた。すると、長女から「長財布」と返事。野郎とは異なるので「好きな色は?」も聞いておくと「黒か紺」とのこと。彼女はガーリーなものを好まない。「了解」として、ネットで検索を始めた。

 真っ先に、自分が好きで、甥にも長男次男にも贈ってきたブランドを検索した所、一応ウィメンズの品々があり、ガーリーなものもあるけれど結構シックなものも品揃えされていた。すると、その中に「外見はメンズと変わらないけれど、裏地に花畑っぽい花柄がプリントされている長財布」を発見したのである。黒い長財布をパカっと開けると花畑が現れる。これはもう、「花畑を出す魔法」じゃないか。1日に何回かは財布を開く、その度に希望があるなんて、何と素敵なことだろうか。速攻で購入を決め、ポチった。

 次の面会が最後の定期面会になると分かっていた。兄ちゃんも就職かぁ。お嬢も卒業かぁ。ちょっと早いけど卒業祝いは用意しておかなきゃなぁ。そんな感慨に浸りながら、「いいかい、娘よ。財布くらいは小マシなものを持ちたまえよ。そしてこれは、開く度に希望をくれる魔法の財布なのだよ。なぜなら…」と口上まで考えていた。

 で、面会日。娘は開口一番、「私、今、高2。4月から高3。卒業は来年」。…。言えよ。確認メールの段階で言えって。さらに兄たちは「財布を聞いてくるのは、絶対勘違いしてると思ったんだよ」と。…。言えよ。妹から「お父さんから何かメール来た」って聞いた段階で言えって。

 結果、「あのですね。まずはお前の年齢を間違えていたことは大変すまんと思ってる。親として情けないです。はい。で、ですね。これはもう買っちゃったものだから取っておいても仕方ないというか、タイムリーじゃないと意味がないというか、本当は一年後ではあるけれども卒業祝いとしてですね、渡しておこうと思うわけなんですけれども…実はですね、これは魔法の財布でして、なぜなら…」と、しどろもどろにも程がある贈り物の儀式になってしまったのですよ。とほほ。

 

 そして、さらに。

 記事を継続して読んでおられる奇特な方、お気づきだろうか?

 

 『JK、父の日に気を遣う』の記事にて、私は「長女は高校2年生になった」と記載している。きゃー。…もう自分の記憶がホラー。大変すまんと思ってる。とほほのほ。

 

きっと、あれだな。

財布買ってもらったから父の日にくれたんだな。