片付けができない奴に限って、何かを飾りたがるのはどうしてなんでしょ。

 うちの父上のことですが。自分を棚に上げて物申しておりますが。

 

 

 一周回って「婆さん菓子」を好む。

「婆さん菓子」とは「婆さんにもらった菓子」のことで、僕の造語。

明治生まれの祖母が茶箪笥にこっそり忍ばせていて、孫の僕にちょこっとだけ、チラシかティッシュに包まって手渡されたお菓子たち。もう確実に半世紀は存在しているであろうから、超ベストセラー商品であり、ポッと出の「台湾〇〇」だとか「東京駅お土産ランキング1位」だとかとは比べ物にならない年季の入りようだ。

 

 他にも「ルマンド」「動物ヨーチ」「シガーフライ」とか、商品名ではないけれど「かりんとう」「芋けんぴ」「田舎あられ」「たまごボーロ」「たまご落花生せんべい」とか。「ちゃいなマーブル」というアメもあったのだけれど、最近見かけなくなっちゃった。

 大体、婆さんがくれる時には、ちょっと溶けていたり、ちょっと湿気っていたりしたので、それが染みついちゃって、今でもビスケットの「マリー」は開封した後の2枚目を「ちょっと湿気らねぇかな」と故意に放置してみたり。ちょっと湿気ると甘みが増す気がする不思議。

 

 「舌に付く」とでも言うのか、よく聞くフレーズの「おふくろの味」的なやつのお菓子バージョンで、僕にとっては婆さんがくれたお菓子が、それ。

 というのも、幼少期に母上はお菓子を食べさせてくれなかったから。例の健康志向で「ポテトチップスは油も塩も多過ぎる」「炭酸ジュースは砂糖と着色料だけで体に良いものは何もない」「チョコレートなんて虫歯の原料」「駄菓子なんて問題外」と、お菓子は子供にとって害悪という思考。わずかに用意されたのは、生協の「野菜チップス」とか「動物クッキー」とか、極めて薄味の面白くないお菓子だけだった。

 ゆえに、大手を振って駄菓子が食べられたのは「遠足」の時。「おやつは300円まで」の頃。そりゃあ綿密な計算で駄菓子を選んでましたよ、ええ。あとは、「嫁さんの菓子」。近所で、結婚して「お嫁さんをもらう」家があると、そのお披露目をする行事が、僕が小学生くらいまで行われていて、家の2階や玄関から袋詰めのお菓子を投げて振る舞う。袋には小さいポテトチップスやポッキーなどが5、6種類は入っていて、棟上式の餅放り(これももう消えた風習だな)や、大きな神社の節分の豆まきのように投げまくる羽振りの良い家も多く、一度に2袋3袋とゲットできることも。そりゃあ必死でくれくれ飛んでましたよ、ええ。段々と大袋ではなくなり、配布方式になり、ついには消えてしまった風習だけれども。

 

 両親は共働きで、一人で放っておく訳にはいかない保育園から小学3年生くらいまで、婆さんが僕のお守りだった。保育園の送り迎えは、腰の曲がった婆さんが押す乳母車が僕の専用機だった。帰り着いて、両親が帰ってくるまでの間、婆さんと一緒に水戸黄門や大岡越前の再放送や大相撲を見ながら、婆さんがくれたお菓子を食べていた。ちょっと湿気った、古臭いお菓子。

 

 その後は、ほぼ全世界の若者と同様に、そういう古臭くて田舎臭いものを「ダサい」と呼び、お菓子ですらヤングでナウなものを欲したのだけれど、30歳を超えた頃から、一周回って婆さん菓子がやっぱり美味しいんだよなと回帰している次第。

 前職場では、お昼休みに持ち寄りのお茶菓子を皆で突いていたのだけれど、僕が提供するお菓子は婆さん菓子ばかりなものだから、若者は「初めて見るー」というものが多く、「食べてみ。美味いから」と謎の布教活動を行い、終いには「今日はアレないんですかー」と言わせるまでに伝統を継承したものですよ。

 

 流行りやランキングではなく、僕は自分が好きだと思うものを推奨する。

 

 

 ちなみに写真の、

「マコロン」は珈琲のアテに最適です。シナモンが効いていて、Lotusビスケットに引けを取りません。なお、マカロンではありません。

「しるこサンド」は名古屋圏らしいですが。乾燥しるこの甘みと塩気の効いたビスケットがやみつきになります。

「純露」はパッケージが刷新されていて驚きました。「黄金糖」の方がレトロなまま。両者の違いは「紅茶味があるかないか」。純露の数少ない紅茶味は当たり感があって、より旨味が増します。なお、ペルシャのチャイ(紅茶)の飲み方は、角砂糖や飴を先に口に含んでおいて、紅茶を流し入れます。この飴、基本はべっこう飴で、僕は最初に口にした際、「黄金糖やん」と思いました。