中秋の名月。
今年は昨日9月21日で、8年ぶりに満月と同日だったんだとか。
残念ながら、僕の住んでいる地域は雨で見れなかった。
ただ、前日の20日19時ごろに、雲間から覗く明るい月が見えた。
雨雲が広がりつつある夜空に丸い月。
絵に描いたような朧月夜だった。
つい先ほども、雨雲の隙間に月を見た。
帰宅途中はワイパーが忙しなく動くくらいの雨降りだったのに。
何だか貴重なものを見たようで、心が少し踊った。
雲一つない夜空に浮かぶ月は、その明度と浮遊感に驚嘆する。
感じるのは非日常的な感嘆で、
単純に「夜なのに明るい」とか「何であんなものが浮かんでるんだろ」とか、
光や重力の当たり前、“いつも”が覆された驚きにときめく。
まるでコンサートやミュージカルに魅了されるような、別世界感。
比して、雲間の月は、その儚さや刹那感に悲哀の美を感じる。
日常的、現実的な憂いで、
単純に「あああ隠れてしまう」とか「ちょっとだけ見えた」とか、
時間の当たり前、“いつも”が覆らない嘆きに心が揺れる。
ただし、この寂しさは只々落胆するものではなく、
「無常の美」や「詫び寂び」に通じる美を纏っている。
ゆえに和歌や俳句に月は多く詠まれ、愛しい人や大切な友に例えられる。
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな
~小倉百人一首57番 紫式部~
僕が見たのは宵の月だけれど。
隠れてしまう嘆きではなく、出てきた歓びだったけれど。
庭に1本だけ現れた彼岸花。
後ろに写っているのは月ではなく庭石です。
河井寛次郎邸の庭石に焦がれて、
いつだったかの誕生日に父にねだって買ってもらいました。
また別の一角には数本。去年はいなかったような。
近くの田んぼの畦道はもっと群生していて、真っ赤になってます。
勤め先の庭の擬宝珠(ギボウシ)。秋って紫の花が多い。
おまけ。