夕飯時、酒に酔った爺様が言う。

「なぜ日本は中国のようにワクチン接種が進められないのか」と。

日に日に新規感染者が増え、

過去最高数の更新を知らせる真っ赤な日本地図を見ながら。

 

今、忌々しいウィルスに対して、

人類が抵抗できる最も有効な手段はワクチン接種。

少なくともワクチンにより抗体数が上がれば、

罹患の確率が下がり、重症化のリスクも下がる。

今までの人類史において、数々の病原体に抗ってきた人類の武器、ワクチン。

と言うのは解る。

 

しかしながら、酔った爺様は続ける。

「もっと強引にでも、皆に打たなアカン。それを国がやらなアカン」。

最初は酔っぱらいの戯言だと生返事を返しながら、

確かにワクチン接種率は上げるべきだろうと思って聞いていたのだけれど、

この物言いを聞いた時、僕の胸の中の警告音が鳴る。

が、そんなことはお構いなしに酔っぱらいは調子に乗って、

「なぜ日本はそれが出来んのだ。他の国は出来てるのに。今の政府は…」と、

批判にもならないクダを巻き続けるものだから、釘を一本差したくなった。

「昭和20年の日本政府に戻せば、今すぐ全国民に打てるだろうさ」。

 

昭和20年。1945年。

第二次世界大戦終結の年であり、その終結前は、

赤い手紙一切れで若者の未来を決定し、

「国のため」という一言で若者の生死を決定し、

全国民の衣食住や命の在り方をも決定していた政府が、

日本を統制していた年。

 

この政府であったなら、全国民にワクチンを打たせることなど容易いだろう。

どころか、感染者を強制隔離、強制収容することもできるだろう。

さらには、命令を聞かない者、

複数人で会食する、食事中に会話をする、不要不急なのに外出する、

複数人で買い物をする、マスクをしない、消毒をしない、手を洗わないような者は、

憲兵によって即刻逮捕、抗うようなら命を奪って黙らせることもできただろう。

 

埒が明かない状況の時、

ついつい強き指導者を求めてしまうのは解る。

僕も含め、多くの人間は弱く、小さき者だ。

けれど、安易な求心は、強い力を強過ぎる力へと増長させてしまう。

弱く小さい意見や存在は圧倒され、多様性など認められない社会となる。

ファシズムのスタートは突然独裁者が現れて突然始まるんじゃない。

誰かが、誰もが、強き者を求めた塊が独裁者を生み出す。

 

「誰か何とかしてよ」と思う前に、

自分で学び、自分で考え、自分で選択しているか。

誰かにもたれかかっているだけでは、自由では居られない。

自由には、責任や努力や勉強や思考や忍耐や苦痛が伴う。

「楽したいんだ。しんどいのは嫌なんだ。何もしないから自由なんだろ」

というのは、僕の想う自由とは違う。

それはただの無責任だ、と思う。

 

…ちょこっとは、それもあると思うけれど。

 

 

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朝日です。涼しい早朝に。

 

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海です。8月の終わり、この後は日中36℃の残暑。

気温が上がり切る前に、早々に帰路に着きました。