とある葬儀屋のテレビCMに、
「どうして日本のお葬式は、一番悲しいはずの家族が一番忙しくしているんだろう」
というセリフが出てくる。
まったくだよ、と思う。
僕の本音、何ものにも縛られない僕個人の自由意思、としては、
母との別れをゆっくり惜しむことができるであろう家族葬が理想だった。
今までに出席してきた葬儀や手伝いをしてきた葬儀、
さらには喪主に立ったことのある友人などの話を鑑みれば、
いかに一般的な葬儀が大変か、僕には想像がついていた。
ゆえに、母の死亡確認を終えた際、
「父よ、家族葬にしないか」という提案が、もう喉の先まで出かかっていた。
けれど、僕はそれを飲み込んだ。
何ものにも縛られない僕一人の気持ちよりも、
我々家族は、
何ものかと繋がり、何ものかに支えられ、何ものかと共に生きてきたという事実を、
ちゃんと受け入れ、優先すべきだと思ったから。
その結果は、ご想像の通り。
一般葬とした母の葬儀で、喪主となった僕に悲しんでいる時間など与えられなかった。
備忘録として、その時の思いに加えて、
葬儀の流れや段取りを少しは記録しようと思ったのだけれど、
もう思い出すのも面倒だと思うくらい面倒だったので、
印象深かったことを記しておくことにしようと思う。
まずは、「家を片付けておいて良かった」。
危なかった。本当に母上はよく持ち堪えてくれた。
てか、貴方のせいでこんなに苦労したのだけれどね。
生きてるうちに何とか自宅に帰してやろうという願いは、
もうちょっとの所で叶わなかったけれど、一度は家に寝かせてやりたかった。
なので、病院から直接式場への搬送ではなく、一旦、家に搬送してもらうことにし、
通夜も当日の夜ではなく、翌日の夜に設定した。
そうすれば、一晩ゆっくりと家で過ごすことができるから。
と思いつつ、
病院のロビーで葬儀屋に搬送や葬儀の依頼連絡をしながら、
えーと後は何だ?と全く未知の段取りを僅かな経験から推測し、
思いつくままにメモってみたり、爺様に親類に連絡せよと指示したり、
到着した姉夫婦に状況を説明したりとウロウロしていると、
搬送迎え予定の約1時間後なんてのはあっという間に訪れる。
もうじきだなと思った時に、気づいた。
「で、誰が家で迎えるんだ?」と。
しょんぼり爺様は嫁の亡骸から離れる気配は全くない。
葬儀のことはもちろん、家のことなど毛頭になく、
「ワシはもうアカン。全部お前に任せる」と完全放棄が最近の定番だ。
泣き虫姉夫婦には実家の状態が分かるはずもない。
ということは。
やべぇ、こんなとこで感傷に浸ってるどころじゃねぇと、
とにかく姉に病院側を任せて、一目散に家に引き返した。
そして思う。片付けておいて良かった、と。
それでも、玄関やら寝かせる布団やら、
生活体制から葬儀体制にするには一手間かかる。
コレを押し込みアレを出して、ああココは掃除機もかけないとと、
気づくのが遅れた分、ペースアップしなければならず、
一人でヒーヒー汗をかいて準備する羽目になった。
途中で親族の叔父が一人駆け付けてくれたため、
何とか30分足らずで、母上の到着に間に合わせることができたけど。
母上に付いて「やっと家に帰って来られたぞ」と、
しょんぼりしつつも喜ばし気に語り掛ける爺様が、
さも何事もなかったように家に上がってきた時には、
「うんうん今は悲しみなさい」とか「孝行が出来て良かった良かった」とか、
そんな気持ちとは正反対の殺意しか湧かなかったのは言うまでもない。
一般葬にするか家族葬にするかは、
新型ウィルスのこともあって、悩ましい所だった。
ちゃんと送ってやりたい。けれど、クラスターを起こす訳にはいかない、と。
葬儀だけではなく、結婚式や入学式、卒業式など、
人が人を思う気持ちを大切にし、誰かと繋がっていることを実感し、
己は唯一人で生きているのではないと再確認するためのセレモニーというセレモニーが、
新型ウィルスによって脅かされている、否、崩壊しかかっているのが現状だ。
人と会することが悪行であり、何もかもが中止禁止になってしまうなんて、
本当に残念で、本当に忌々しく思う。
ただし、そこには反面もある。
人は自らが良かれと思い作り上げた形式も、維持するとなると途端に面倒になったりする。
なのに、形式がないと不安で仕方なく、
意味も分からないままに形式にしがみついて「安定は変わらないこと」と思い込む。
人は不安定で愚かで卑怯な生き物だから、善いことだけでは生きられない。
「卒業式だりぃ」「校長の話は長すぎて眠い」
「結婚式の余興って意味ある?」「引き出物って要らないモノばっかだよね」
「通夜って焼香だけで良くね?」「告別式って親族だけで十分でしょ」
そんなことを思ったことがあるのは、僕だけじゃないはずだ。
無駄な形式なんて無くしてしまえばいいのに、と。
自らのルールを自ら変えるには相当の労力が必要だ。
それで上手くやっている者からは当然、大反対を受ける。
それを覆し、より優れている方法を構築し、説得できなけれ適わない。
その労力を払い、矢面に立つくらいなら、長いものに巻かれて従う方がマシ。
人は、愚かだ。
それを新型ウィルスが、救世主のように、打破した。
入学式なんてやらなくても学校教育に問題はない。
遠方から遠い親族の葬儀に出なくても問題はない。
会議はわざわざ一同に会して長時間やらなくても問題はない。
嫌いな上司の嫌いなアルコール飲み会に出なくても問題はない。
帰省ラッシュで疲れ果ててまで義理家族に会わなくても問題はない。
すべて「ごめんなさい。新型ウィルスがねぇ」の一言で済む。
自らが労力を払わずとも、新型ウィルスのせいにすれば片が付く。
人は、卑怯だ。
僕は、母の葬儀をどう執り行うべきか。
母が何度も死にかける度、何度も考えてきた。
そして出した答えが一般葬。
父母の元職業からしても、ひっそりこっそりでは後々が大変になるに違いない。
お世話になった人、関わってくれた人の数が並大抵じゃ済まないんだから。
彼らが現役時代、幼き僕は、
家に届く年賀状は片手では持ち切れないのが普通だと思っていたくらい。
セレモニーの意義の良いところを残し、
田舎のしきたりの面倒なところを感染予防対策事由にて端折り、
最も良い形で、僕みたいな人間が喪主でも間に合うような葬儀。
そんな葬儀を、考えていた。
実際はてんやわんやで、予期せぬことも多々あり、
右往左往したり、慌てたり、呪詛したりとてんてこ舞いだったけれど、
それでもまぁ何とか収まったんじゃないかと、思う。
後から叔母に、
「あなたがこんなにちゃんと出来るとは思わなかったわ。上出来よ」
と言われたんだから上出来でしょう。
ちなみに葬儀後の2週間は、
どうかクラスターの知らせが届きませんようにとヒヤヒヤしてましたが、
どうやら無事、何もなかったようです。
昨日、久しぶりにラヂオ屋と2人で息抜きツーリング。
向夏の候、藤があちこちに咲いていた。
奥伊吹の道の駅。上の藤棚もここにあった。
伊吹ミルクファームの手作りアイスクリーム。
「おっさん二人でジェラートってどうだ?」と罵り合いつつ、
「濃厚でミルキーな甘味を食したいなぁ」と寄った次第。
だがしかし。
僕はいつものコーヒー牛乳でOK。
けれどラヂオ屋は洒落たベリー系のを頼んだ結果、
「…これってシャーベットじゃねぇか…」と。
「俺は涼感や水分を欲したんじゃねぇ!爽やかにも程があるだろ!」と、
ミルクファームで全くミルキーじゃないアイスを頼んで憤る男。
「まあまあ。手作りは手作りなんだよ。シャーベットだけど」
と宥める振りでマウントを取りつつ、僕はコーヒー味を美味しく頂きました。
あー久しぶりに腹筋が痛くなるくらい笑った。