23日、記事を書きかけて、まとまらず寝落ち。
24日、同業関係者の連絡会及び飲み会で寝落ち。
25日、小学校イベントのためパパママスタッフが休みで、てんてこ舞い。で、寝落ち。
僕の気力体力は、簡単に底をつく。
今日、目が覚めたら正午を回っていた。
昨夜は、夕食を食べた後、洗濯機を回しながら録画した番組を見始めた所で電池が切れた。
はっと飛び起きたのは日付が変わった後で、完全停止の洗濯物をしぶしぶ干し、
グダグダの自分にもシャワーを浴びせ、中途覚醒を宥めるべく、もう一度録画機を起動。
夕食から6時間以上経ってしまっているからお腹も空き、
スナック菓子で済まそうとするも足りなくて、インスタント食品を啜って慰める。
再び眠気が訪れた時は、もう早朝という時刻で、小さな溜息と浅い呼吸でベッドに潜る。
で、雨予報が外れた冬晴れの高い日差しをまどろみに見て、小さな溜息と共に目覚める。
ダメな日の夜のルーティンは、大体こうなる。
次の日が仕事だと、おかしな寝不足のまま、朝飛び起きて。
眠っているのに眠った気がしないままに。
女子マラソン、松田選手。
大相撲、徳勝龍関。
頑張ったね、二人とも。ブラボー。
二人のインタビューに当たり、アナウンサーや解説者から出た言葉は、
「とても人間らしい応えでしたね」。
二人とも、計り知れない重圧の先で勝ち取った勝利に、
涙と笑顔を交錯しながら、聞かれるままに、思ったことを、
時に稚拙に、勢いのままに、話し言葉で応えていたから。
見ているこちらも、その素直さに感情がよく伝わり、
「可愛らしいなぁ。頑張ったもんなぁ」と、もらい泣きしそうになるような。
しかし、この「人間らしい」という表現。
彼らのような発言に対し、修飾されることが常套となっているけれど、
では、反対はどうなのだろうか。
無表情で、思っていることよりも礼儀作法を優先し、慎重周到に、
文語的言葉を選んで、応える。
どこかで、よく見かける応えだ。
同じ人間が話しているのだから、そんなことはないのだけれど、
この修飾語的に反対と考えれば、「人間らしくない」言葉ということになる。
「めっちゃ嬉しいです」と
「大変喜ばしく思います」だと、
どちらが賢いイメージだろうか。
「ばりばりインタビューの練習しました」と、
「まったく予想外のことで、恐悦至極です」だと、
どちらが賢いイメージだろうか。
ということは、「賢い」=「人間らしくない」ということにならないか。
だからどうと言いたいわけじゃない。
人間という生き物の抱える矛盾が、この「人間らしい」という言葉に、
よく表れてるよなぁって、いつも思うだけ。
懸命で、素直で、人を喜ばせたくて、的を得ているのは可愛い。
テキトーで、我が儘で、自己中心的で、的外れは可愛くない。
賢かろうが、そうじゃなかろうが、
この可愛らしさをちゃんと感じられた時の「人間らしい」が、僕は好きだ。
と、テキトーでダメな休日を過ごしながら、思う。
赦されよ、みつを。