物事が思ったように進まない時、
自分の周りの世界が急激に、暗く、重く、狭く感じることがある。
乗り越えるとか、打ち破るとか、
自らの向上のために立ち向かうべき壁や山ならば、
立ち上がり、挑み続ける勇気も沸く。
けれど、その勇気の火種をも打ち消すような、
途方もなく大きくて広い消火布、
逃れようもなく、突き破ることもできず、まとわりつき、覆い包まれてしまう黒い布が、
空から静かに降りてくるような場合、
呆然と眺めることしかできなかったり、する。
この感覚を絶望感と呼ぶのだろうと認識する。
この黒い布にも大小があり、又は強弱とも言えようが、
小さいものだと、
「あああ、カップ焼きそばの湯きりで麺がシンクに全て流出してしまった」とか、
「あああ、アボカドが食べたくて買ってきたのに割ったら中がカスカスだった」とか、
5分間、天を仰いで運命を受け入れ、致し方なしと次の一歩を踏み出すこともできようが、
大きいものは、なかなかそうは行かぬ。
もちろん、大小強弱は人によって異なり、
象の如きバイタリティの持ち主からすれば掛け布団にもならぬという布も、
鼠の如きバイタリティしか持ち合わせていない者からすれば天変地異になる。
よって一概には何がどうという理はないけれど、
各々が大きいなぁ重いなぁと思わずにいられない布を、
ただ唯一、まるで隠し芸のテーブルクロス引きのように、
拭い去る可能性を秘めているものが、ある。
それは、会話、だ。
金曜土曜と忙しなく、絶望感の黒い布を引きずって、
くたびれ果てた土曜の夕方、母上様の顔を見に行く。
母上の所には父上も必ずいる。夕食の食事介助をするために。
正直、こんな気分の時は両親の顔など見たくもないというのが本心。
こういう時、口を開けばつい皮肉っぽくなってしまうのが分かっているから、
出来る限り口を開かないようにする癖が身に着いていて、
ああとか、うんとか、むっつり顔で事務連絡を短時間で済ませようとするのが常。
嫌いじゃない。でも、笑っていられない。
相手により不快な思いをさせないように、最低限の不快で済ませよう。
何しろ苛立っていて、勝手に絶望しているのは己に対してなのだから。
相手はこれっぽっちも悪くない。
この癖のせいで、僕は多くの人を不快にさせてきた。
特に親しくなった女性には。
本題から逸れた。
そんな状態で病室を訪れたのだが、瓦解の一つ目は母上の笑顔だった。
看護師と父上とに囲まれ、何やら話していたのだが、
訪室した僕に気づくと、彼女はにっこり微笑んだ。
単純に、来て良かったなと思える報酬だ。
それで気分が少し晴れた僕は、彼女に質問することにした。
死にそうになってる時に聞いたのだけれど、答えられなかった質問。
「最後に食べるなら、何が食べたいか」
食事制限も長くなっている彼女に、
どうせなら好きなものを棺に入れてやりたいじゃないかと思っていた。
母が好きな食べ物は一体何か。
答えがなかった時、父や姉も居たのだけれど、二人とも首を傾げた。
特に好き嫌いもなく、舌が肥えている訳でもなく、
好奇心も旺盛だった彼女の好物はなかなか難しい。
何だろねと話す父や姉を横目に、僕には一つだけ心当たりがあった。
「イチジク、かな」
二人とも、確かに好きだったけれど最後の晩餐というほどではと、
ピンと来ない様子だった。
なぜ「イチジク」か。
彼女と僕は共に9月生まれ。
幼い時、誕生日のお祝いは合同で行われた。僕の誕生日に。
その際のデザートは、決まってイチジクだった。
僕は、果物として地味なイチジクに若干の不満を感じつつも、
まぁ確かに美味しいけれどもさと食していた。
ただ、毎年毎年、母が嬉しそうに買ってくるのを見るにつけ、
きっとこの人の好物なんだろな、と思っていた。
「イチジク」
僕の質問に、母がにっこり笑って答えた。
答えが返ってきたこと。答え合わせができたこと。
この瞬間、黒いベールがすうっと軽くなった。
その後、
母上様は「もうそろそろ出回り始めるんじゃない?」と見当違いなことを言うので、
「まだまだ先だよ」と答えておいた。
彼女は日付や時間の見当識が度々狂うのだけれど、
「あら、そう」とケロリとしているので助かる。
「今日は、くたびれたからもう帰るよ」
「夜勤?ご苦労さん」
「もう夜勤はしてないし。今は夕方だよ」
「あら、そう。朝じゃなかった?」
「もうすぐ夕食が来るよ」
「そうなの?朝ごはんじゃない?」
「夕方です」
「あら、そう」
「じゃね」
「気を付けて」
イチジクが実るまで生きてたら、ドクターにお願いして食わせてやろう。