昨年秋から、母上様の具合がよろしくない。
11月の末頃には、彼女は世を去りそうになり、
病院のICUで一晩、父上様と交代で徹夜付き添いもした。
実のところ、彼女はこれまでにも幾度か死にかけている。
持病の糖尿病をこじらせ、あちこちの臓器が悲鳴を上げる度に。
しかしながら、現代医療の効果は凄まじく、蘇生術と呼んでも過言ではない術によって、
彼女は生きながらえてきた。
今回もまた、彼女は蘇生した。
まさにアンデッド、現代ホラー映画のヒロインになれそうである。
色々と弱っていらっしゃるので、ずっと入院生活は続いているけれど。
ま、そんなことがあったものだから、
父上様と家探しして、彼女の写真を捜索するなんてことも行った。
遺影及び葬儀場などで見る故人様ヒストリーボードなどのために。
僕のアルバムは、たった1冊。
産まれてから小学3年生くらいまでの、
さして重要とも思われない日常のスナップ写真が、
時系列も狂いがちで張られた、
10ページあまりのアルバム。
カメラは嫌いじゃなかった父は、もっと撮っていたと思うけれど、
まとめるとか、片付けるとかが超苦手な両親であるから、
とっ散らかしてアルバムにはならなかったのだろう。
1冊でも残ったのはまさに奇跡的で、
大切な、たった1冊である。
今日、病院で母上様に見せたら、
写真の僕と現在の僕の顔を見比べては、にっこり笑って頷いていた。
認知機能も衰えているので、劇的に感涙するなんてことはないのだけれど。
ただ、彼女には笑うという感情が残っている。
見せたのは、その確認のため。
それが昔からの彼女の素敵なところであり、
認知症が始まっていても可愛らしくいられる彼女の魅力だから。
一命を取り留めてもらった翌日にも見せたのだけれど、
その時はぼんやり眺めるだけで何の反応もなかったことを思えば、
ずいぶん生き返ったものだ。
まさにアンデッドである。
ちなみにアンデッド母は、アンデッド息子の顔や名前を忘れていないので助かる。
ついでに昼間、面白がるかなぁと職場でスタッフにも見せてみた。
ウケるにはウケたのだけれど、感想の多くが、
「面影があまりない…。だって可愛らしいし、丸々してるじゃないですか…」だった。
俺にだって可愛くて福福しい時だってあったんじゃ。
3歳くらいがピークだったけど。