記憶障害じゃないかと思うほど、色んな事を忘れていく。

読書に乱読と精読があるように、僕は人生を精読して生きてきたはずなのに。

老いてしまえば諦めもつくのだろうか。

老いの始まりは、あまりにも残酷だ。

 

だから今年は、簡単な文章で1日一つ考えたことを書こう、と思った。

起承転結も、文章のまとまりも、大義や意味も、なくていい。

日記。

自分だけの秘密の日記ではなく、

夏休みの宿題のように、誰かに読んでもらう体で書く日記。

 

なのに、昨日は寝落ちで終了。

元来の三日坊主を存分に発揮した。

何とも情けないかぎり。

 

 

今日は、勤め先の役職者の新年会。

役職でもない頃から便利屋として呼ばれ、もう何回目か。

今でも役という役はもらってないけれど。

出来事は、以上。

 

 

知る。知り合う。

ということは不思議だ。当たり前で、使い古された話だけれど。

その一つの現象が、

それまでは全く目に留まらなかったものが、全く違って見えるようになること。

全国の天気予報を見て、

「ああ、あの人が住んでいる所は雪かぁ」とか、

「旅行で行った海岸は大荒れだな」とか、想う。

同じように、台風や地震の災害のニュースを見れば、殊更心配になる。

無関心が関心に変わる。

こんなに不思議で、素敵なことはない。

 

シャンゼリゼ通りのクリスマスイルミネーションのニュースを見て、

ホットワインを飲みながら眺めたことを想う。

年末の買い出しで賑わう築地場外市場のニュースを見て、

あいつと最高に美味い朝ラーメンを食べたことを想う。

箱根駅伝中継の背景に映る景色を見て、

あの人と富士屋ホテルに泊まったことを想う。

受験生が詣でる太宰府天満宮のニュースを見て、

幼い子供たちを抱えて牛の銅像を撫でさせたことを想う。

 

知ることを、僕は忘れたくない。