夏目漱石の『坊ちゃん』は、常に僕の好きな小説の上位に在る。

主人公坊ちゃんの快活さや潔さ、情け深さは、まるで少年漫画の主人公だ。

周りの登場人物もそれぞれ個性あるキャラクタで、これも少年漫画に引けを取らない。

悩みや問題を、失敗をしてもめげずに、

痛快に解決していく坊ちゃんは、元祖少年ヒーローと言っても過言ではない。

 

それを、魔術や超能力や武器や異世界を使う訳ではなく、

一目瞭然の作画や一聴瞭然の音の効果を加える訳ではなく、、

人間の、人間ための、人間による生活を、

明快な言葉で、簡潔な文章にして、読者に想像させる物語として、

漱石は見事に小説にした。

 

 

「難解なものを作るのが賢者」とするのは、僕は好きじゃない。

本当の賢者は「難解なものも理解していて、なおかつ平易にする術を持つ者」だと思うから。

「『坊ちゃん』は単純だからね。確かに面白いけど小説入門って感じだよね」と言う人がいる。

何を隠そう、思春期の僕がそうだった。

けれど、年を拾い、部屋の模様替えをした時に、ふと手が止まって読み返した時、

その印象はまるで違ったものだった。

夏目漱石は、紛うことなき、賢者だった。

 

「親譲りの無鉄砲で」の始まりは、本当に素晴らしい。

小説世界に一気に引き込まれ、続く坊ちゃんの幼少期のエピソードで、

あっという間に人物像や背景設定が出来上がる。

手紙を書こうと思った時、冒頭の書き出しが決まらず、

結局諦めたことがある人は結構多いと思う。

それくらい書き出しって悩むのに、

さらりと軽やかに、前置きじゃないような前置きで、壁ドンのように物語に連れ去られる。

冒頭だけでやられること、僕は多い。と思う。

 

 

『坊ちゃん』が好きなのは、父も同じだった。

彼の好きな小説で知っているのは『坊ちゃん』くらい。

思春期に聞き、その頃の僕の一位は『人間失格』だったので、真逆な人だなと思っていた。

それが年を経て、ああ分かるなと思い始めた頃、彼は退職した。

 

教育者として勤めてきた彼は、退職と同時に臨時教員として、とある小学校に雇われた。

その学校は、当時話題になり始めていた学級崩壊が起きていて、

キャリアのある彼に何とかしてくれと白羽の矢が向いたようだった。

そして、彼はしばらく務めた後、「もう辞めようと思う」旨を僕に話した。

 

これまでの人生を、坊ちゃんそのもののように生きてきた彼が、

僕にそんなことを吐露するなんて、とても稀なことだった。

だから最初は、一度引き受けたのに投げ出すのかと、

完全なるお前が言うな方式で返答した。

が、酒の力を借りながら、彼はいつになく落ち込んだ様子で話を続け、

どうやら白羽の矢は期待ではなく、責任放棄の末の押し付けに近いものだったらしく、

現役教員たちの気概の無さに、悔しさを感じているようだった。

「俺みたいなロートルじゃなく、これからエースになるようなやつが頑張るべきだ」

坊ちゃんのような男が、次の坊ちゃんを期待して吐いた言葉だった。

 

その時の僕は、ほぼニートだったと思う。

そんなダメ人間に相談するなんて、彼もかなりダメだったんだろう。

が、時間だけは自由だったので、だったら辞めなよと彼に勧め、

気晴らしに旅行でもするかと、再度完璧なお前が言うな方式で提案をした。

もちろん、旅費は彼持ちでだ。

お前は馬鹿かと呆れられると思ったのだが、彼は提案に乗った。

「『坊ちゃん』が好きだと言ってただろう。道後温泉なんてどうだ」

彼はこの提案が気に入ったらしかった。

 

父と二人で旅行に出かけるなんてのは、幼児期を除いて一度もなかった。

あちこち連れて行ってもらったが、家族の誰かが他にいた。

なのでその旅では、別段、車中で話が弾むことはほとんどなかった。

けれど、こんな予定のない旅は、彼にとっては久々だったのだろう。

あれは何だ、寄ってみよう、面白い、大したことないな。

気の向くままに行動し、少しずつ気分が晴れていくようだった。

人を喜ばせようとはしゃぐ姿は嫌と言うほど見てきたが、

自分のためにはしゃぐ姿はあまり見なかったから、若干気味が悪かった。

 

一番閉口したのは、高松か松山の市内で行列を見つけた時だ。

何だ何だと寄って行ったら、地方裁判所の傍聴券の行列で、

それなりに注目を集める事件だったらしく、報道人も大勢集まっていた。

さすがに止めとけと言ったのに、こういう抽選って本当にあるんだな、

どうせ外れるから何事も見聞だと行列に加わり、これが運悪く当たっちゃうものだから、

どうするよ、これが欲しい人いっぱいいるのに野次馬が当てちゃってと右往左往し、

とにかく報道らしき人にもらってもらおうと声をかけたら、

並んで券を引くアルバイトと思われて3000円をもらうという始末。

やったな、儲けたぞ、こういうアルバイトって本当の話だったんだなとはしゃぐ彼を横目に、

恥ずかしいやら申し訳ないやらで、僕はそそくさと場を離れるしかなかった。

 

その後も、金毘羅山や霊場のいくつかに寄ったりしながら道後温泉に泊まった。

「坊ちゃんは、この湯で泳いだんだよな」って彼が言い出した時は、さすがに止めた。

その後、彼は吹っ切れたのか、いつもの迷惑な父に戻った。

それが、僕の最初の道後温泉の思い出だ。

 

 

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早朝の本館。

開け放たれた障子から見える休憩所は、

かのアニメ映画の油屋のモデルになった感を感じる。

 

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この玄関も、やはり油屋的。否、こっちが本物だけれども。

早朝6時開店を待つ列に並ぶ。

 

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3階の個室。最上等ですよ。

神の湯、霊の湯のどちらにも入れて、貸タオル、貸浴衣、お茶に団子付き。

利用時間は1時間20分。

ちなみに2階は大広間の休憩所で、2等級。

利用時間1時間。団子じゃなくておせんべいが付く。

 

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霊の湯から上がり、部屋に戻ると、お茶と団子で休憩。

千の5倍くらいの御年齢のお姉様が給仕してくれます。

団子は、道後名物「坊ちゃん団子」。

 

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畳にごろり。

坊ちゃんが、漱石が、こうして転がってたんだなぁと思うと、

なおさら休まる気がするから不思議。

最高。

 

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上等のみ許される景色。

が、木製の露台に乗り出すと、さすがに古さで心許ない。

 

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3階通路。

この狭さと、プライバシーやセキュリティー無視の仕切りに、

年季と日本建築の大らかさを実感。

 

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3階の角にある「坊ちゃんの間」。

漱石先生がお気に入りで使ってた部屋だそうで、見学用に空けてある。

うむ。感慨深い。

 

なお、上等には「又新殿(ゆうしんでん)」の観覧料が含まれている。

又新殿とは、明治32年に増設された日本唯一の皇族専用の入湯施設で、

入り口から居間、玉座、浴室、雪隠(トイレ)まで用意された場所。

のべ10人の皇族が利用したらしいけど、1952年を最後に、以降一度も使われていない。

ちなみに雪隠は一度も使われていないんだとか。

もったいないこと。

 

 

こうして我々は、利用できる重要文化財、道後温泉本館を心行くまで堪能し、

朝食を食べに宿に戻った。

 

この時、どうしても道後温泉に行きたかった理由の一つは、

2019年1月からの本館保存修理工事が決まっていて、

その前に見にいかないとだめだろってのがあったから。

なお、今現在も工事中で、神の湯だけ入れるそうです。