東京は、関東は、初雪だってね。
こっちは雪じゃなく、雨だった。
久しぶりの湿り気で、畑や木々はようやく潤った。

以前は雪が降る前に、「あ、来る」って、当てられたのになぁ。
最近は外れてばっかりだ。
ティンカーベルも座敷わらしもトトロも、
僕はもう見えなくなっちゃったんだろうか。


Montmartre 。モンマルトル。
セーヌ川を中心に広がる平野。そこにできた街、パリ。
その北端、唯一ぽこっと盛り上がった丘が、モンマルトルだ。

殉教者の丘。
修道女のぶどう園。
イエズス会。
元はキリスト教に縁のある丘なんだね。

その後、芸術家の集まる場所になった。
19世紀半ば、芸術が大衆のものになった時期から。

ちょうどその頃、パリが大改装された。
貧しい者たちは郊外に追い出された。
ぶどう園のワインが、移民やボヘミアンの多様な文化が、
貧しき者たちの知恵と人情を集めて、丘は街になった。


「芸術を志す者は貧乏だ」ってイメージができたのは、きっとこの頃だな(笑)
分不相応な夢を抱いたがばっかりに、生活を営むことが下手くそで、
まともな職にもつけず、酒と涙と男と女。デカダンス。

ピカソ、モディリアーニ、コクトー、マティス、
ルノワール、ドガ、ユトリロ、ロートレック・・・。
後世に名を残すこととなった大馬鹿者たちが、金もないのに集まってた。
画家だけじゃない。
歓楽街モンマルトルのキャバレーには、
多くのシャンソン歌手やダンサーが、脚光を浴びる夢を抱いて集まった。

ゴッホみたいな馬鹿もたくさんいたんだろう。
絵を描くのが下手くそなのに画家を志し、オランダからのこのこやってきて、
弟の庇護の下、一枚も売れない絵を部屋に溜め込み、
誰からも馬鹿にされ続け、絶望の淵に立って、自ら命を絶った。
彼の絵が認められたのは、彼の人生とはまったく関係ない、ところだった。


「モンマルトルのアパルトマンで暮らす」
そんなことをほざいてた頃もあったな(笑)
ティンカーベルが、また見えたら、行けるかもしれない。



サクレ・クール寺院。快晴♪ ここまですっきり写っちゃうと絵葉書みたいだ。
1914年完成で、エッフェル塔より新しいんだって!知らなかった~。ピカソが住んでた頃だよ。
ちなみに、この広場で「ムコウイケヨ~」の兄ちゃんたちが観光客を捕まえてる(笑)


Noel でメリーゴーラウンドが出てた。寺院の騎馬像はジャンヌ・ダルクだそうだ。
ビザンティン様式は、イスラムのモスクと同じ。なんで喧嘩しなきゃいけないんだろ。

  
観光客と、Noel 前の土曜のミサで大混雑。ミサの修道女による聖歌は素敵だった。
ただし、ミサ中にて寺院内の写真撮影は控えたので無い。
寺院前からはパリが一望できるが・・・思いっきり逆光で眩しいったら。

西側から。手前、白い画板を持って2人で話してる彼ら。似顔絵詐欺の画家たちw。


寺院の周りには、Noel の屋台。ホットチョコはここで飲んだ。
坂道を観光するのに、トロリー列車が走ってる。


テルトル広場。観光客相手の商売画家がイーゼルを並べる。見て回れねぇよってくらい林立。

ここからは、モンマルトルの散歩を。
パリの風情は残ってるね。京都に日本の風情があるように。





 



 



 



 

 


賑やかな通りもあるけれど、静かな小路もあって、散歩するにはいい感じ。・・・治安がよくない場所や坂道さえ怖がらなければね。
最後の風車は、ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット。ルノアールのね。昔はダンスホールで、今はレストラン。映画『アメリ』のカフェ・デ・ドゥ・ムーランもモンマルトルにあるけれど、素通りしちまった(笑)


丘からムーラン・ルージュへ下る通りは、商店街のようにマルシェが並ぶ。左からチーズ屋、お惣菜屋、肉屋。チーズ屋のロゴが可愛らしい。この通りで買ったスモークチキンのサンドイッチはおいしかったな。もちろん散歩しながら頂きました。


下りきって大通りに出ると、ムーラン・ルージュ。フレンチ・カンカンで有名な老舗キャバレー。
観光客相手に、昼間っから営業してるんだね(笑)


その並びが、アダルト・ストリート♪ ストリップにアダルトグッズ屋。こちらも昼間から営業中。

 
「エロティック博物館」なるものまで(笑)「国際秘宝館」のパリ版だね~。日本語案内あり。
観光っぽい女性たちが、興味津々で覗いてらっしゃった(笑)


通りの向かいも、もちろんイカガワしい並び。・・・モノプリのネオンも疑っちまうよ(笑)