ナポレオン・ボナパルト。
フランスの英雄。世界の英雄。そして、ヨーロッパの悪魔。

自由、平等、博愛。
民主主義の理念は、1789年7月のフランス革命での市民蜂起が始まりとされる。
その革命の寵児であり、10年余りに及ぶ革命の混乱を収拾させたのが、ナポレオンだ。

今や、高級ブランデーの名の方が有名かもしれない。
されど、彼の思想は、今も僕らの生活に浸透している。

世界の近代民法の基礎は、彼が考案した『ナポレオン法典』だ。
万人の法の前の平等、宗教の自由、経済活動の自由など、
日本を始め、世界の民主主義民法制定は、この法典が叩き台にされた。

メートル法の普及も、彼の功績とされる。
缶詰(ナポレオン時代は瓶詰)の技術も、ナポレオン軍の携帯食開発から。

ね、至るところにナポレオン。
おかしな帽子を被った、ただの小ちゃいオッサンじゃないんだよ。


語弊があるかもしれないが、
A・ヒトラーと同じで、混乱の時代に忽然と現れ、
民衆の熱狂を集め、強大な権力を掌握し、連戦連勝の英雄となる。
そして、その体制の磐石のためには、非道なまでの粛清、虐殺も厭わない。

英雄とは、そういうものなのだろう。
混乱の時代を一喝し、収めて欲しい。
民衆の切なる願い。
その結晶が、善悪含めて、英雄となる。

今の日本も、英雄を求めてはいまいか。
“ 誰か ” 何とかして。
闇雲に願い、求めれば、同じ過ちをも引き起こしかねない。

民主主義の旗の下、帝政を築いてしまったナポレオン。
民主主義は、英雄は、自らの心の中に登場させなければならない。


はい、お勉強はここまで。次は観光~。


ライトアップされた凱旋門。
想像以上に大きい。この広場を中心に12方向へ放射状に道路が延びる。
周りはロータリーになってて、5、6車線分の車幅を使って、それぞれが行きたい道路を目指す。
もちろん、信号は無し。・・・クラクションと勇気で、皆乗り切っていくようです。
遠くでビームを出してるのは、エッフェル塔。


凱旋門の真下から。股下(笑)
ロータリーは渡れないので、地下道を通って凱旋門の島に辿りつきます。

  
左:真下。右:無名戦士の墓。
真上写真を撮った真下には、ボナパルト家の紋章の鷲が。ずいぶん踏まれちゃって・・・。
無名戦士の墓は、第一次世界大戦での戦没兵士を弔ったもの。
僕が訪れた時には、炎が灯されてた。今も遺族が管理しているんだろうな。


脚の中の螺旋階段。
258段だったかな。休まずに登ったら、息が切れた(笑) 案外、観光客が登らないのは、料金もあるけど、これかぁ。
右脚(どっちから見てだw)から登って、左脚から降りる。
天上部分には、屋根裏部屋みたいな空間がある。知らんかった・・・。売店やトイレもあるんだよ。
こっそりエレベーターも設置されてた。そりゃそうか。


屋上からのエッフェル塔。うむ、逆光。南だから。
 
東に延びるシャンゼリゼ通り。
地平線の一番右にモスク状のアンヴァリッドが見える。ナポレオンが眠る場所。

西。新市街、ラ・デファンス地区の高層ビル群。通り正面に見える四角いのは「新凱旋門」。 

北東。地平線の左、小高い丘がモンマルトル。2本の角みたいなのがサクレ・クール寺院。


そして、凱旋門の上。パリの空。これはエッフェル塔では撮れまい(笑)
よく晴れてて、冬の空気が清々しかった。


ナポレオンは、1806年アウステルリッツの戦いの戦勝に、凱旋門の建設を命じた。
しかし、完成を待たずして、大西洋の孤島セント・ヘレナで世を去った。
凱旋門は、1836年に王政復古政権の下、完成し、1840年名誉を回復したナポレオンは、棺に入って、この門をくぐった。
その後は第二次世界大戦でパリを開放したシャルル・ド・ゴール将軍が、ここからパレードを行っている。

英雄たちの栄枯盛衰に思いを馳せつつ、
僕は、僕の自由を、ありがたく満喫する。