例えば、


「不自由」 って、どんなだろうか。



体が思うように動かせないこと。

思った通りに行動できないこと。


基本は、この二つなのかな、と思う。



これに、「自分ではない誰か」 が付随すると、

「社会的に不自由」 になるのだろう。


誰かに、監禁・拘束される。

誰かに、命令され、従わされる。


政治的な反勢力の指導者も、

ありふれた会社員も、

普通の既婚者や恋人たちも、

自分が生活している社会の規則によって、

不自由を感じるのだろう。



「自分ではどうすることもできない何か」 もあるだろう。


思わぬケガや病。

体形や体質。

生まれついた境遇。


どころか、

重力や空気や光なども、

「自分ではどうすることもできない何か」 であるに違いない。



では、

その反対が 「自由」 のはず。



体が思うように動かせる。

思った通りに行動できる。


誰かに、束縛されることも、従わされることもない。


確かに、自由だ。


さらに、

健康で、美しい容姿も手に入れよう。

お金持ちの生まれがいい?

ならば、お金もたくさん手に入れよう。


わお。最高に自由だ。



ただし、


「いるだけで気を使う」とか、

「見ているだけで不愉快」とか、

自分ではない誰かが存在すると、

自由ではなくなるので、

それはすべて、消し去ることとする。


暑いとか寒いとか、

虫とかネズミとか花粉とか紫外線とか、

歩くのも疲れるし、重たいものは持ちたくないし、

溺れるのは嫌だし、暗闇は困るし、

とにかく、

何かと思うようにならないと自由ではないので、

これらもすべて、消し去ることとする。


これで、自由だ。



何もない世界。


自分を不自由にさせるものは、何もない。

何もないから、上も下も、影もない。

眩い光に包まれている、ただ真っ白な空間。

思うように動けるけれど、どこまでも真っ白な空間。




そんな 「自由」 の白昼夢を見て、

僕は、恐怖する。


そして、一つずつ、

僕に満足を与えてくれたモノたちを、

復活させていく。


白昼夢から目覚めれば、

今の自分が、ここにいる。



自由だけれど、幸せではない。

不自由だけれど、幸せ。


自由と幸せは、単純なイコールではない、と思う。


何をどう受け止め、どう思うのか。

思いの向かう先を考える時、僕は、この白昼夢を見る。