人間が考えるようになってからというもの、
凡人から賢人までが、ずっと問うて来た「よく分からないモノ」。
よく分からないけれども、最も大切とされるモノ。
事象としては、まったく見えないモノ。
例えば、喫茶店に入り、周りの人を眺めてみる。
「コーヒーを飲んでいる」という事象は見えるが、
その人が、どういう気持ちで飲んでいるのかは、分からない。
最近、益々見かけることが増えた防犯カメラの映像。
あの映像こそ、「気持ち抜き」の分かりやすい画だと思う。
喫茶店に入り、コーヒーを注文し、
時計を見て、コーヒーを飲み、清算して、出て行く。
定点カメラの白黒の画。
フラれて悲しい気持ちでいたのか、
これからデートで楽しい気持ちだったのか。
ビデオに気持ちは映らない。
「おもしろビデオ」は、確かに面白い。
防犯カメラやホームビデオに気持ちは映らないけれど、
事象として笑ってしまう。
それは自分の気持ちの世界だから。
でも、プールに落ちる花嫁は、どんな気持ちだったんだろうか。
バースデイケーキのロウソクが消せない子供は?
「だから笑うな」というわけじゃない。
大いに笑っていいと思う。
ただ、その後の思いやりがちゃんと感じられているのかどうか。
プールに落ちるくらいのアンラッキー以上に、
大切な人に出会えたラッキーを花嫁は感じているに違いない。
だから、あんなに笑って、抱き合って。とても素敵で。
ロウソクが消せなくて悔しそうだけれども、
必ずあなたは消せるようになる。
その一所懸命さを持っていれば、必ず。
その未来ある姿に、大いに笑うのだ。
もしも感じ方が間違っていたのなら、
笑ったことを恥じ、心から謝ることだ。
相手の気持ちを思いやり、自分の気持ちに素直に。
人との関係は、ただの事象じゃない。
もしも世界が防犯カメラの映像のようにしか見えていないとしたら、
それは、世界の美しさや楽しさのほとんどを失っていると思う。
人としての美しさや楽しさを。
気持ちや心は見えないけれど、感じられるし、伝えられる。
それを怠り、世界を嘆き、自分の気持ちしか考えられない人を、
僕は信じられないし、そんな人になりたくない。
そのバロメーターは、
長く付き合っている友人や近しい人たちとの関係に他ならない。
皆から呆れられ、「どうかしちまった」と言われないよう、
僕は、自分の魂を磨いていけたらいいなと思う。