先日、「秋分の日」に墓参りに行った。秋分の日は仏教各派で「秋季彼岸会」というのが執り行なわれるため、それにあやかって「墓参り」が社会的に慣習となったそうな。
ちなみに、我が家は「天台宗」。鑑真和上により伝えられ、最澄によって広められた大乗仏教。
みんなも「我が家の宗派」くらい知っておくといいだろう(意外と知らない輩が多いから)。
うちの墓は「瀧泉寺(目黒不動尊)」にある。分家は原宿にある長泉寺。今年は「お前、大事な時だろう。先祖の墓参りくらいちゃんとしろ。報告しなきゃならんだろう。」と、親父に誘われて「一族の本家長男同士」親子水入らず2人で行ってきた。いざ、目黒へ。

雑草を取り除き、先祖の墓を丹念に洗ってみた。すると、生まれてこの方、何度も墓参りに来ていたくせに気付きもしなかったが、我が家の先祖の墓は、なんと文化文政年間からこの場所に存在していた。今から200年も昔、江戸時代に遡る。その隣に、もっと古そうな墓もあったのだが、破損が激しく、碑文が全く読めなかった。
さて「自分の活動の報告などをしよう」と墓の前に手を合わせた瞬間、突然に涙が出てきた。不思議な感覚だった。200年前の先祖は、いったいどんな思いでこの墓に入り、それに続いた我一族の長男たちは、どんな思いで毎年この墓を洗い、受け継いできたのだろう。
ふと、隣を見ると親父がなんとも穏やかな顔で手を合わせていた。先祖たちと会話でもしているような面持ちだった。こんな息子でも誇らしく思っていてくれたのだろうか。
涙がいっこうに止まらない。「あっ!まだ雑草がこんなとこに!」と誤魔化しながら、必死に親父から顔をそむけた。
齢38のくせに「親孝行」など、まともに出来ていない。帰り道「ここは一つ、ごちそうしてやろうう」と思って入った蕎麦屋。

だが、ちょっとトイレに立った隙に親父が会計を済ませてしまっていた。「なんでー!?俺におごらせてよー!」と文句を言ったが、「お前、大事な時期だろう。お金だって大切に使え。厳しいんだろ?お前の世界は。たまには応援させなさい。」と一言。今まで、どれだけ応援してもらってきただろう。それでもまだ、応援してないと言う。応援してくれると言う。
「ああ。そうかー。」
親父と別れてバスに乗り、渋谷へ向かう車内で気がついた。「墓」の前に手を合わせた瞬間にこみ上げてきた何とも言いがたい感情の意味が。
何百年も前の先祖の墓。それ以前にも存在したハズの太祖たち。何万年もの昔から、「我が家」を守ってきた。遥か、遥か昔から先祖たち「二人」は出会い「子」を授かり、その子はまた出会い、受け継いできた「命」。伴侶、家族、子を無条件で守る「無償の愛」のもと、先祖たちの「夢」や「希望」を受け継いで自分は生きている。そう感じた瞬間だった。
「ここだ!」
そう思った。ここが自分の「守るべき場所」だと。
誰かと出会い、守り、授かり、育て、伝えていくために自分は今まで生きてきて、これからも生きていく。もういい歳だから結婚など出来ないかもしれない。それでも自分は、そうやって生きて行きたいと強く思った。
親父とお袋は幸いにもまだ健在だが、67歳と65歳になる。あと、どれだけ親孝行のチャンスがあるか分からない。せめて「良かった」と思って逝って欲しい。
今、この瞬間を懸命に生きよう。そして両親や先祖に感謝。


※目黒不動尊は正式には「瀧泉寺」といい、平安時代に開かれた由緒正しいお寺。
瀧泉寺のいわれとなる独鈷の滝、開山以来1000年以上枯れたことがない。

「瀧泉寺(目黒不動尊)」には、国学の本居宣長、甘藷考の青木昆陽、社会運動家の北一輝などの墓がある。どちらかというと「右」の本居と、どちらかというと「左」の北の墓が隣接してるのが面白い。他に本居長世の碑もある。「十五夜お月さん」、「赤い靴」、「七つの子」などの作曲家で、本居宣長の子孫 。

「夢は?」と聞かれたら、「瀧泉寺に楽譜付きの碑文を立てること」などと、今の自分なら答えてしまいそうだ。