感動した世界バレー女子
昨日の世界バレーは、ハラハラ・ドキドキと
<以下引用>
バレーボール女子世界選手権(毎日新聞社など後援)で14日、日本が32年ぶりのメダルとなる銅メダルに輝いた。08年北京五輪銀の米国を3-2の逆転で破っての堂々の表彰台。かつて「東洋の魔女」と称され五輪、世界選手権を幾度も制した日本の復活劇に往年の名選手や競技関係者から祝福が相次いだ。
1962、67、74年の世界選手権を制した日本女子は、64年東京、76年モントリオールの両五輪で金メダルを獲得。しかし高さや身体能力にまさるキューバ、イタリア、ブラジルの台頭などがあり、五輪でも84年ロサンゼルスの銅以来メダルから遠ざかっていた。
それだけに、久々のメダル奪取となった試合は盛り上がった。格上の米国とフルセット2時間19分の大接戦の末、日本のエース木村沙織選手のアタックがブロックアウトとなり、日本の勝利が決まった瞬間、1万2000人で大入りとなった会場の東京・代々木第1体育館が揺れるような大歓声に包まれた。
東京五輪で主将を務めた中村(旧姓・河西)昌枝さん(77)は「ソ連に勝てば金メダルだった昔に比べて、今は世界中が強くなっている。メダルを取るのは本当に大変なこと。選手たちは伝統の重圧もあったと思うが、よくここまでもってきてくれた」と感慨深げだ。
モントリオール五輪の優勝メンバーだった荒木田裕子・日本バレーボール協会女子強化委員長(56)は「小さな選手たちがメダルを手にしたことを誇りに思う。海外遠征で若手にアウェーの経験を積ませたことが実った」と喜んだ。84年ロサンゼルス五輪銅メダルの中島(旧姓・広瀬)美代子さん(51)は「よくボールを拾っていたし、サーブもよかった。厳しい練習をしていないと、本番であのプレーは出ない。(日本がボイコットした80年の)モスクワ五輪が最後の金メダルの可能性がある大会だったと悔しい思いをしてきたが、このチームには可能性がある」と、12年ロンドン五輪でのメダル獲得に期待を寄せた。【
<以下引用>
バレーボール女子世界選手権(毎日新聞社など後援)で14日、日本が32年ぶりのメダルとなる銅メダルに輝いた。08年北京五輪銀の米国を3-2の逆転で破っての堂々の表彰台。かつて「東洋の魔女」と称され五輪、世界選手権を幾度も制した日本の復活劇に往年の名選手や競技関係者から祝福が相次いだ。
1962、67、74年の世界選手権を制した日本女子は、64年東京、76年モントリオールの両五輪で金メダルを獲得。しかし高さや身体能力にまさるキューバ、イタリア、ブラジルの台頭などがあり、五輪でも84年ロサンゼルスの銅以来メダルから遠ざかっていた。
それだけに、久々のメダル奪取となった試合は盛り上がった。格上の米国とフルセット2時間19分の大接戦の末、日本のエース木村沙織選手のアタックがブロックアウトとなり、日本の勝利が決まった瞬間、1万2000人で大入りとなった会場の東京・代々木第1体育館が揺れるような大歓声に包まれた。
東京五輪で主将を務めた中村(旧姓・河西)昌枝さん(77)は「ソ連に勝てば金メダルだった昔に比べて、今は世界中が強くなっている。メダルを取るのは本当に大変なこと。選手たちは伝統の重圧もあったと思うが、よくここまでもってきてくれた」と感慨深げだ。
モントリオール五輪の優勝メンバーだった荒木田裕子・日本バレーボール協会女子強化委員長(56)は「小さな選手たちがメダルを手にしたことを誇りに思う。海外遠征で若手にアウェーの経験を積ませたことが実った」と喜んだ。84年ロサンゼルス五輪銅メダルの中島(旧姓・広瀬)美代子さん(51)は「よくボールを拾っていたし、サーブもよかった。厳しい練習をしていないと、本番であのプレーは出ない。(日本がボイコットした80年の)モスクワ五輪が最後の金メダルの可能性がある大会だったと悔しい思いをしてきたが、このチームには可能性がある」と、12年ロンドン五輪でのメダル獲得に期待を寄せた。【