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残念ながら現代は、当たり前な「感覚」がどんどん麻痺していって、何が当たり前かなのかさえ戸惑うような無秩序な混沌とした時代になっています。その当たり前なコモンセンス「常識」を取り戻し、その本当の力を再び発揮させること。忙しさにまぎれてしまう現代人にはなかなかむずかしいことですが、現代人に課された、最も必要な仕事のひとつと言っていいでしょう。この書は、そのための大きな一助となる偉大な「常識」感覚に溢れた本です。

 

ベートーヴェンの後期の音楽は、わたしはとても、宗教的でエキゾティックな感じを受ける。

宗教的だと感じるのは、わたしだけではないと思うが、ベートーヴェンの場合は、ある特定の宗教を感じさせない、いわば、自由な宗教感情にあふれている。ここが、バッハなどとは、明らかに違うところのように思える。Op101から特にその感じが強くなっているように思う。

エキゾティックと書いたが、当の東洋人のわれわれにとっては、それこそ精神的に正当と思える感覚である。

ベートーヴェンの耳が聞こえなかったことは、本当に大きな意味を持っていて、耳が聞こえなかったからこそ、驚くべき精神の内奥を表現し得たと考えた方が良かろう。障害を乗り越えた者の瞠目すべき成果である。言い換えれば、障害者だからこそ書けた音楽であると言える。

そして、精神の内奥を表現することが、なにゆえ、東洋的になるのか。わたしには分からないが、後期のベートーヴェンの音楽は、はっきりと西洋文化の直中にありながら、それを乗り越えた境地に達している。

因みに、有名な第九の喜びの歌の旋律は、ベートーヴェンの自作ではなく、他の作曲家から、

借りてきたものである。後期のベートーヴェンには、あのような単純な旋律は、絶えて見られない。後期の「ディアベリ変奏曲」とよく似たやり方と考えて良い。