今日は起きたら停電おわってました。




でもお布団暖かかったので全然不自由しませんでした。




寝てれば電気使わないし節電になりますね。




暖かいし。




まあちょいちょい地震とかで起きたりmixiとかで情報収集したりしてたけど。




原発怖いぬ。




うちのパパソママソが昔の職場で原発の設計に携わったことがあるそうで。




懸念の声を漏らしてまつ。




必要最低限以外の外出は控えましょう。




備えあれば憂いなし、です。




なにも無駄に外出する必要ないでしょ?




いろんな事態に備えて外出の際にはくれぐれもご注意を。




雨とか空中浮遊物質とか。




花粉予防にもなるのでマスクはしましょ。




いま自分の身に置かれている状況、よく考えて行動してくださいね。


自然災害に対しては特に、絶対安全!!なんてはかり得ないことです。


しっかしまー・・・




枝野さん頑張りすぎ(;_;)




適度に寝てください(;_;)




海江田さん頑張ってー(;_;)




管さん頑張ってー(;_;)




東京電力しっかりー(;_;)




国民の声。




いやーここ何日かいろいろ考えるきっかけになりました。




★テレビ報道について




ネットの報道のが理性的というか客観的というか必要なものを簡潔に伝えているのに対してテレビはあまりにも被害ドキュメンタリーが多すぎる。(※新聞はとってないからわからないつ。←)




本当に必要な情報がまったく伝わっていない。




被害の大きさを伝えるのも大切ですが、それよりこれからのことを考えるほうが先決でしょう。




過去はいつでも振り返れます。でも明日を考えるのは今日、今しかないのです。




しかも、いま、すべての民放で地震報道ジャックなのですから、被害や被害の大きさを知らない人間はいないでしょう。




起きた事象に対しての対策、これからのこと。今できること。今やるべきこと。




それを報道するのが先決なのではないかな?




いま、被災地の状態を細かく知っても知るだけでなにも動けない。


確かに被災地の状況をテレビで流すのは被災地⇔被災地外の安否情報にはなるかもしれないけど。


でもあきらかに毎日同じ映像が流れてたりするよね。


そこのところどうなんだろう。どんな効果を見込んでるんだろう。






★仕事をする上での責任について




東京電力に関しても、マスコミに関しても・・・




それぞれ覚悟が必要ですね。




責任を持って仕事をする覚悟。責任とる覚悟。




その仕事、職に就いたなら、最後まで全うしなくてはいけないね。




自分の命と引き換えに。




だってマスコミのレポーターだって被曝する可能性が捨てきれない場所でなんの装備もなしに報道してるでしょ。そういうのは本当に報道人の誇りだよね。被災者の心の傷をえぐる可能性のあるリポートをするのも被災地の現状を見るのも良心が痛むことでしょうし。あたしにはできないなあ・・・。自分の命<報道とはどうしても考えられない。きっと私には向かないと思うのです。




私の考え方ってやっぱりどうしても自分>他人なんだよね。


自分が安定したその上で、困ってる人がいたら自分にできることを最大限に全力で捧げたいって思う。


自分が最優先で余力があったら他人を支援する。そういう考え方なの。


自分を捨てることができないんです。捨てきれない。自分に大切な人やものが多すぎて。


自分を犠牲にしてまで人に尽くそうと思うほどあたしはできた人間じゃないです。


だから就職のときもそういう自分の属性を考えた職に尽きたいと思った。今回のことがあってから。




そこで思ったのです。


東京電力のひとたちはどういう覚悟でその職を全うしているのでしょうか?




疑問に思うところです。




頑張ってるのはわかるけど、命を捨てる覚悟があってその仕事をしてきたのかな?




原子力という人では敵わないかもしれないモノを扱っているのでしょう?




“もしも”それが制御できない事態に陥ったら自分を捨てる覚悟はあったのでしょうか?




そういう危険な仕事はきっと自分を捨てられる覚悟のある人じゃなければ就けないハズ。




そこんとこどーなの?っていうハナシです。



(この件については次の記事をご覧ください)


★電子化の弊害




懸念されるのは電子化による運営機能ストップの事実。




カルテ等の電子化、オール電化。




普通の生活では便利だけどこういう事態のときに適度なステレオタイプな生活は生きる術になりうるのかもしれないね。




しかし技術面、回線面では電話がアウト。

ネット○


テレビ○


メール○


電話×



ネットをうまく使えたらライフラインが確保できるのかも。
あと携帯の電池の弱さは今回浮き彫りになったんじゃないかしら。
強靭な携帯の電池がほしいね。
それで助かる命もあると思うし。


しかし果たして電子化ってほんとにいいのかしら?




最近、宣伝班として紙不足に陥っていて、すごく思うの。




紙媒体の大切さ。




全部デジタル化が果たしていいとは限らないんじゃーないかなって。




★災害時における一般市民の(主にインターネットにおいての)動向




インターネット上ではひとりが多くの他者に向けて情報の発信ができるので、簡単に発言できるシステムである反面、発言に責任が生じるというのは言うまでもないですし、様々なところで常々いわれてることですよね。




災害時にはその発言や行動に更なるリスクが生じます。




それは回線など技術的な面(節電・電話回線の抑制)と、それを見た相手の心理的な面、情報がうまく行き渡らないなか混乱を起こしてしまう(誤報・チェーンメールなど)環境的な面など様々な面でのリスクがありますね。




私が最近懸念しているのは心理的側面。




mixiのてつなぎ同盟とかふざけてるよな、と。




なにかできることっていうならそんなんやってないで節電と募金してください。




被災地の人が今、求めてるのは心じゃなくてモノとそれを買うお金なのだから。




余計な活動は被災地の人はおめでたい、ありがた迷惑、偽善者、そう思うに違いない。むしろ生死の境にいる人々には憤りの域かもしれません。




自分がつらいときにそんなもの見てもそんな活動を知っても嬉しくないでしょ?




「みんな」でがんばろう!っていってるから?そう思うから?




被災地にいるひとが言うみんな、は被災者のみんなかもしれないでしょう。




確かにね、遠く離れたところに自分たちを支援してくれるひとたちがいる、その存在はきっと心の支えになることでしょう。でも、その意思表示の仕方を間違えれば相手には伝わりません。




よく考えてみましょう。




手つなぎ同盟、ちょっと軽率すぎませんか?




ときにはなにもしない勇気も必要です。




自分がしていることとそのことが及ぼす効果・意味、相手が受け取るときの相手の境遇と相手の心理。




よく考えてみましょう。




本当に相手が必要なものを見極めて、それを差し出す。




まだまだ考えが甘い人も多いのではないでしょうか。




★最後に。




フィフィさんのブログ、最新の記事(2011-03-13 22:20:49)、マスコミ目指してる人は読んでおいても損はないと思います。




感銘を受けました。私も同じこと思っていたから。




リンク貼っておきます。








メディアに携わる人間が、メディアを冷静な目・客観的な目で見ること。




いまのメディアには一番大切なのではないでしょうか?






★PS




思ったことつらつら書いてみましたが、あくまで私個人の考え方なのでふーん程度に読んでくださいませ。