ここしばらくの間、私が毎週毎週密かに楽しみにしていたドラマ、スナナレこと「素直になれなくて」。
先日放送された最終回の録画を今朝、明け方に見ました。
・・・さえかさんあら号泣(笑)。
そこで、昨日学んだマス・コミュニケーション概論と一緒に「素直になれなくて」とさえさんの号泣の関連性について、マス・コミュニケーション論的思考で考えてみましょう
<参考文献>
「昼の連続ドラマの研究」
H.herzog
最初に、「ドラマ」が人々に与えると考えられる効果は3つあります。
★情緒的開放感
★願望達成感
★解決策取得感
まず「情緒的開放感」ですが、これはドラマの登場人物と自分を重ね合わせて共感したり、自分と同じ境遇の人がいるということを知り、情緒的な安心感を得ることをいいます。
つまり、さえさんが「ハルの気持ち分かる~(;_;)」とか「こういうことってあるよね~(;_;)」と思って自分の今の境遇と重ね合わせて共感すること、それによって「自分の身に今起きてることは案外、現実でもありふれた普通のことなのかな?」と思って安心するといった事象もこの「情緒的開放感」だったりします。
次に「願望達成感」。ドラマで展開されている幸福な場面や理想の場面を目にし、あたかも自分の願望が成就したかのような嬉しい感情になること、またはいわゆる感情移入をし、登場人物の成功を自分の成功のように捉え、疑似体験をし、嬉しい感情になることをいいます。
「ハル・・・よかったねぇ~(;_;)幸せになってね~(;_;)あたしも嬉しいよ~(;_;)」っていうさえさんのぼやきと感涙はこれに相当します。
そして「解決策取得感」。これは日常生活における自分の様々な悩みや問題を解決するヒント、解決策をドラマの主人公の行動や考え方から見出し、それを知恵として吸収し、手本として役立てることをいいます。
リンダの死あたりのエピソードと自分の置かれた状況を照らし合わせて「そうだよね、生きてなかったら元も子もないんだよね(;_;)あたしもやっぱりまだ側にあるうちに後悔のないように行動しよう(;_;)!!」・・・などといった教訓とこれからの策を生み出した、それがこの「解決策取得感」。
すなわちドラマはただの暇つぶしや娯楽ではなく、人間が社会で生きていく中での教科書になったりもするのです。ちゃんと考えて作られてるんですねー♪
実はね、お笑いもそうなんだよー(^ω^)っていうのはあたしのこれからの研究テーマなのでここには書けないですが(*^^*)まぁちょいちょい考えていこうかなーと思ってます♪
こういう研究は本当に楽しいなぁ・・・
私の「らしさ」「アイデンティティ」がでるのはやっぱりこのテの分野だと思うんだよね~・・・
研究して論文を何十枚と書くのならあたしはやっぱりやりたいことをやるべきだと思うんだよね。
だってあたしの興味の矛先は娯楽だもの。
自分に嘘をつくことだけはしたくないからこのスタンスは変えないで行こう!
もっとたくさんいろんな知識がほしいなぁ。
もっともっと研究したいなぁ。
ずっとやりたかった研究だから本当に楽しい!!
幸せ~(^ω^*)