まず私の生い立ちについて書いていこうと思います。

 

私は和歌山県和歌山市に生まれました。和歌山市は田舎の地方の中では、特に何もありませんが県庁所在地のためそれなりに町を形成している場所です。

 

和歌山市の中心部にはぶらくり丁という商店街があり、昭和のバブルのころには大阪難波の御堂筋商店街並みに栄えていたそうです。平成に入り、バブルがはじけ、世間が不景気になり消費が落ち込んだのと、日本が車社会になり郊外の多きなスーパーができたことで、お客をとられ見る見る間に衰退した悲しい土地です。((笑))

 

和歌山市の生い立ちはさておき、私はこのかつて栄えた土地で、結構な金持ちだった家系に生まれました。

 

私の祖父は地銀のえらいさんだったようで、実家の土地にマンションとアパートを建て家賃収入でかなりの果実を得ていたそうです。

 

父は東京の会社で勤務したのち、地元和歌山に戻り、地元会社の権利関係の部署で働いていたそうです。

 

厳格な父とテキトーな母のもとに三兄弟の末っ子として私は生まれました。

 

 

一番上の姉はどちらかというと芸術肌で高校まで漫画ばかり描いていました。ギャグセンスがあり、おもしろい姉だったと思います。

 

 

真ん中の姉は世話焼きで私に嫌がっているのに無理やりピアノを教えに来ていました。

 

わたしはというと、末子ということもあり、甘えん坊で頼りなく、いつもぼーっとしており、先生の話などもあまり聞いていない頭の弱い子供でした。

 

しかし読書が好きでボキャブラリーはむだに豊富でした。

 

 

あれは何だったんでしょうね((笑))

 

 

そんな家庭ですくすく大きく育っていき、、、、というわけにはいかない深い背景があります。

 

 

私が小学生6年生ごろからでしょうか。それまでは普通だったのですが、父が仕事のストレスでおかしくなり始めていました。

 

働いていた会社がかなり質が悪かったようで、弱音を吐かない父はかなりストレスをため込んでいたようです。

それでも家族の生活のため、子供の将来のため葉を食いしばって働いていたわけです。

 

しかし将来性などを考え、また仕事内容にも不満があったようで、公務員を目指すため仕事を辞めてしまいます。

 

ここから父は完全におかしくなってきます。イラついた様子で小さいことで声を荒げて怒る。節約と言って真っ暗な風呂で冷水で体を洗うなど小学生だった私にはどういう状態なのか理解できず怖かったです

 

 

そして運命の日がやってきます。私の家庭環境が急激に悪化した事件が。

 

その日いつも通り母の実家にみんなで遊びに行きました。大好きなおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行くために。

私はいとこなどと普通に遊んでいたのですが、大人たちはえらく険悪なムードでした。よくわからないが、怖かったので近づかないようにしていました。

 

そしてよくわからないままその日は終わりました。その翌日から我が家はいっっぺんしました。

 

父が完全に小和枝暴れまわるようになったのです。すでに公務員の勉強もしておらず、昼間は寝ており夜中に暴れるようになりました。

この文面だけ見ても何のことやらさっぱりわからないと思います。

 

簡単に言うと母方の祖父が放った言葉により、父は躁うつ病、統合失調症を発症してしまったのです。

 

それから約5年程度家の中はめちゃくちゃで私の今までの人生の中で最もつらい時間が待っていました。家に居場所はなく、狂気を帯びた父におびえ、学校ではヤンキーに気を使い((笑))かなりしんどかったです。

 

誰にも相談できず、ただ無事に毎日を過ごせるよう目立たないように生きていました。

 

何もかもが嫌になっていましたが、父にいかに自分が頑張って家族を養ってきたか洗脳されているうちに、勉強だけはとりあえずできる範囲でやるようにしていました。(これはいい方向に行ったなと思います(笑))

 

そして私は地元のそこそこの進学校に入学することができました。

 

そこからは看護師になってからがなかなか濃いので一気に割愛していきます。(笑)

 

次に続きます