2003年実母と内夫が腎臓病を患っているS(5歳)を虐待し、

死亡させた。

 

2001年に離婚し、夫からは

「Sの病気はお前の家系のせいだ」と毎日責められ、

養育費を1度も払ってくれなかった、とあります。

 

厳しい躾をしていたが、一度も手を挙げることはなく、

食の細いSを心配してメニューを工夫しており、

定期的に病院に通っていた。

 

実母は出会い系サイトで内夫と知り合い、

「他の子と一緒に生活すれば、息子が成長すると思い

子連れの男性を探していた」という。

 

山形県村山市で内夫・連れ子・実母・Sの4人で同居を始め、

警察ごっこをするSに前科(執行猶予中)のある内夫が腹を立て、

棒で殴るなどの暴行を加え、実母にSを叩くように命じ、

愛情が薄れることを恐れた実母が加担するようになったことで

虐待が始まった。

 

同居後、通院していない。

 

新しい環境に馴染めず元気がなくなった。

連れ子より発育が悪く、いらいらした。

食事を与えなかったり、顔を殴って当たり散らした。

 

5月下旬、虐待は加速。

・衰弱に気づきながら、白米と水だけを与えた。

・殴る蹴るの暴行だけでなく、エアガンでも撃った。

・熱湯をかける。

・やかんで殴る。

・ハサミで腕を切る。

・連れ子と喧嘩させる。

・衣装ケースに正座させ、尿を飲ませる(一部報道)

 

秋田県内の母方祖母の家に行こうとしたSを連れ戻した。

リュックを背負って歩く姿を、近所の人が目撃。

 

6月15日激しい暴行でSの顎の骨が折れる(2つに割れていた)

事件後、Sを病院に連れて行かず、内夫は自分だけ病院で治療を

受けていた。

食事も摂れない状態で放置されたSは、立つことも座ることもできず、

17日「かあ(お母さん)助けて」と最後の言葉を残し死亡。

 

実母と内夫はホームセンターでスコップを購入し、事前に下見に言った山中に

実母一人で穴を掘って埋めさせる。

その際の指示(具体的な)は内夫がした。

執行猶予中のため、自分は穴掘りに参加せず、

伐採が近い木や山菜取りが入る付近を避け、

・できるだけ奥の方

・大きな木の下は深く掘れない、小さな木を下に埋めろ

埋めたあと、防虫スプレーを吹付け、まわりに防湿剤を置いた。

 

その後、実母は行方不明になり母方祖母が捜索願を出す。

内夫が実母に口止め料を要求していたため、

数回に渡って送金していた。

9月18日に発見され、同月20日保護責任者遺棄の疑いで送検。

10月9日、Sの一部白骨化した遺体が発見。

捜査員のべ982人、捜査期間20日・範囲約1万1000㎡。

 

実母は死体遺棄容疑で逮捕、内夫は薬の大量服薬で自殺を図り入院。

10月10日、司法解剖の結果、鼻とあごの骨折、尻や腕に皮下出血

をみとめ、この時点で死因は特定されていなかった。

 

12月1日内夫が退院、死体遺棄容疑で逮捕された。

内夫を庇って口裏合わせをしていた実母が、一転して

事件の経緯を供述したことが決め手となった。

実母は「罪は私がかぶり、刑務所を出たらまた一緒に暮らしうと

約束していた。今は内夫の呪縛が解けた」

「あの人についていくしかないと思い込んでいた、嫌われたくなかった」

と供述している。

 

 

 

公判でDVがあったことを述べ、次はお前だと言われ

Sを殴らないと自分が殴られる恐怖を感じていた。

 

Sへ宛てた手紙を読み上げ号泣した実母に対し、

検察側は

「恋愛感情に溺れ、母親の責任、理性を忘れた」

 

裁判長は

「自分の恋愛感情を満たすために行った犯行で、

身勝手で冷徹かつ陰湿な動機に酌量の余地はない

もっとも信頼すべき母親に裏切られたSの悲しみ、怒り、絶望は

察するにあまりある」

 

と述べた。

 

弁護士は

実母がどうしてSと共に逃げなかったのか

最後まで疑問に残ったという。

 

 

内夫は公判で

「死んでも構わないと思ったが、計画的にやったわけじゃない」

と殺意位を否定。

犯行に関する証言が実母と食い違う。

 

検察側は

「殺そうと思って虐待したのではない」との言は

罪の軽減を図った虚偽の弁解であり、実母に暴行を指示した等から

「確定的な殺意を持ち、終止主導的な役割を果たしていた。

母より刑事責任が重い」

 

裁判長は

「Sの悲しみ、恨み、絶望を思うと涙を禁じ得ない。空腹や暴行に耐えて嘔吐する

姿を目にしながら平然と虐待を続けた被告は、人間としての情を欠いている。」

動機について

「執行猶予中だったから、Sの警察ごっこに苛立ったという身勝手なもので、

酌量の余地はまったくない」

 

母方祖母の手紙を聞き、

「本当に申し訳ないことをした」

と謝罪、

 

判決後、内夫の弁護士は

「どんな判決でも甘んじて従う心境だった」

と述べ、控訴しない意向を示していたが

内夫は不服として控訴した。

 

2005年2月内夫の控訴審が行われたが、内夫は

「傍聴席からの視線に耐えられない」ことを理由に

最後まで出廷しなかった。

 

 

この件で

「複雑な問題を多く抱えている、順調に子育てしていた母親が男性の

影響で短期間に変容し、事件に繋がる例が増えている。

暴力に支配され、正常な判断ができなくなっているのではないか」

とのコメント。

 

「自分の衝動をコントロールしきれない男。その不安定さに振り回され

男の虐待を止められず、我が子を守れなかった母親。

根底に母親自身の寂しさや見捨てられ不安があり、

このような母こそ温かく安定した人間関係を切望している」

 

 

 

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わたしが感じたのは、

なにもこの事件だけが「特別異常」なのではないと

いうことです。

内夫は典型的なDVモラ夫だろうけど、

離婚したときの前夫だって、

生まれてきた子を実母と協力して育てていれば

そもそも、この離婚も子どもを守るためだったといえるのでは。

障害を持っていると分かったら、中絶したのだろうか・・・。

子どもは女ひとりだけで増殖していくのなら、

男は要らなくなる。

 

子持ち男性は、母親に問題があるから

引き取っていると世の中は理想的に見てくれる。

その安易な考え方も大きいと思った。

 

暴力は戦う・逃げるかのどっちかの選択肢しかないわけではない。

その中間のフリーズする、があって

それは感情であり、論理的に説明できない。

 

麻痺している状態のとき、

「やっぱり彼にはわたししかいない」

と恋愛感情と同じ疑似感情が出ます。

でも、心の中はモヤモヤしてて

「こんなヤツ!!」

って怒りで一杯で、離れようとしたら

その途端に寂しくなってしまい、

それを恋愛感情と勘違いしてしまいます。

 

本当は依存者が感じるものであって、

依存の対象を遠ざければ元の正常な状態に戻るのです。

絶縁するのが一番の良薬です。

なので、隔離されて初めて正常に戻り、

最初の通院させていた母親としての自分に

戻れたのではないでしょうか。

 

麻薬依存者が麻薬を断つ苦しさは

普通の人が絶食する苦しさと同じといわれていますので、

とりあえず、一週間水だけで生活してみたら

身をもって実感できるということなんでしょうね。

 

ただ、実母が言っているように

暴力は「快感」を生むのです。

だからイジメはなくならないし、

やめられないんでしょう。

イジメはやる方は楽しいです。

イジメられる側は地獄であっても。

この楽しさはパチンコで大勝したひとが

借金してでもやめられないのと同じかも。

 

相手が悪かった、とはいえ、

自己肯定感の低い弱った状態で

恋愛や結婚など、人生を決めるようなことは避けたほうが

無難です。

イジメられる方に問題があるからイジメられるんだ。

という人もいますが、

「イジメ」を「殺される」に置き換えてみてはいかがでしょう。

本心でそういえるのでしょうか。

これはただの言葉アソビですが、

リアルに起こっています。

自分のこととして自分だったらと考えることができるのも

学びの1つだと思います。

我が子の病気を前夫に責められて傷ついた心を癒やす前に

悪い男を呼び寄せてしまった。

自分の浅はかさを我が子に背負わせてしまった事だと

改めて考えさせられる。

自分だったら、どうするだろうか。

今と同じ、高校生になるまで育てて

独り立ちできるようになってから

自分の女の幸せを探そうかと考えるか、

一人でも割と楽しいと感じるのか。

どちらにせよ、心の余裕が大切な気がします。