2001年(平成13年)8月、兵庫県尼崎市の運河でポリ袋に梱包された

子どもの遺体が発見された。

児童養護施設入所中のK君(小学校1年生)だった。

 

警察は行方不明になっていた実母と継父を逮捕、

2人が一時帰宅中のK君に暴行を繰り返し、

死亡させたと明らかにした。

 

2003年(平成15年)2月、両者それぞれ懲役8年の刑を言い渡す。

実母と継父はレンタルビデオ店で返却しない「要注意人物」と

マークされていた。

アルバイトで生活を工面しており、実母すぐカッとなる性格」と自認し、

近隣トラブルが絶えず5年間で少なくとも5回転居している。

 

実母は複雑な家庭環境で、学校で暴れて教護院に入所していたり、

両親の離婚・復縁・離婚や兄の1人が友人に殺害されている。

実母はKの実父と結婚、17歳で出産。1歳8ヶ月で離婚し親権は自分が、

養育は実父の祖母・叔母であった。

 

1998年(平成10年)継父と再婚し、Bを出産する。

2001年1月19日「一緒に暮らしたくなった」という理由で

6歳のKを強引に引き取り、5年間一度も子どもに会っていなかった。

 

一週間後の2001年1月25日実母が電話で児童相談所にKがBを

イジメて困ると相談し、26日に面会予約するが現れず2月1日に訪問。

 

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児童相談所の聞き取りー実母の前では「怒られただけ」と述べる。

 

その後の聞き取りー自分はBをイジメていない。部屋の鍵を開けたら

Bが泣いていた。

 

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実母にゴルフのパターのようなもので殴られたと訴えたという。

児童相談所の調べでKは眼帯をつけており、全身の痣、両鎖骨骨折など

全治1ヶ月の重症をおっており、即日一時保護した。

入所後に実母が電報や電話など、やり取りを行っていたため

施設側は、親子関係が作られつつあると考えていたという。

 

 

 

これはわたしの思ったことなのですが、6歳になるまで母親の存在を

知らなかったし、その間に1度も会いに来なかった。

知らないオバちゃんがいきなり来て、誘拐のように知らない家に連れて行かれたら

不安と恐怖で頼れる大人もいなくて、

知らない人がお父さんですよ、お母さんですよ、弟ですよ~。

と紹介されても困ると思います。

今まで自分と暮らしていた家族が世界の全てだから。

 

なぜ施設側がその事実を知らない、調べようとしなかったのかが

疑問でもあります。

そして、わたしがこの事件に一番触れたくなかった理由は

ゴルフのパター。

 

私が23歳の時、これで殴ってやると父と母が楽しそうに笑って会話していたのが、

今でも忘れられない。

ゾッとする。

今、実家の倉庫に保管されていると思う・・・。

 

 

 

前回も書きましたが、なぜこの事件に触れたくないのかというと

わたし自身が父親と母親に

「鉄パイプで殴る」と談笑しているのを見ているからです。

木刀でフルボッコされ、殺されると思いました。

普通のひとなら

「抵抗する」と考えるだろう。

しかし、長年こういう暴力・虐待を受けてきた人間は

逃げないし、抵抗もしない。

ただ、「殴ってください」と差し出すだけです。

 

それは「なぜ」か。

 

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親を愛しているから。

拒絶すると愛してもらえないから。

依存で脳が麻痺しているから。

 

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そんな答えもわからない人が”母親神話”を振りかざして

「育ててくれた親に恩があるくせに、親を悪くいうなんて」

と責める。

 

6歳の子どもは殺された。

 

 

 

・生育歴について

実父の家族の詳細不明。

実母の家族、きょうだい順位不明。

 

両被告とも親から十分な愛情を注がれずに育った。

不遇な生い立ちであるが、一時帰宅でプールや祭りに

連れて行くなど絆を深めようと努力したとある。

Kを強引に引き取ったが、子ども2人を養えるほど経済的・

精神的な余裕がなかった。

 

・事件の流れ

2001年8月1日、施設は児童相談所に連絡せず一時帰宅。

4日、盆踊りに行くが実母の体調不良のため20分で帰宅し、

Kは不機嫌だった。その態度に実母は苛立ちを覚える。

 

5日、Kのシャツに前夜食べたカレーの染みを問い詰めると

「気づかなかった」と答え、実母は嘘をついていると思い、

平手で顔を2回叩いが、Kが謝らず自分たちにも馴染まないため、

Kの本心を聞き出そうとする。

・家がええんか、施設がええんか

・誰が一番好き

など。

 

継父が「もう、こいつ、しばくぞ」というと実母も応じ、虐待が始まる。

Kが2人の顔色を伺い「継父がいい」というと、嘘をついていると思い

顔面を拳で殴る。「うち(実家)がいい」と答えにも拳で殴った。

傍にいた実母もKの顔を数回殴っている。

食事はほぼ与えられていない。

6日深夜から31時間、2人はほとんど寝る間も与えずKに暴行を

繰り返し、Kが「施設から持ってきたそうめんを食べたい」と訴えると

2人は生のそうめん一束をKの口に押し込み、さらに生のそうめん7束

とつゆを袋に入れて食べさせ、残そうとするKに布団たたきで殴打。

6日、午後3時以降にKを正座させ、足を崩す度に布団たたきで

背中や足などを殴った。

 

6日午前9時半すぎ頃、Kの両手両足を紐で縛り、口を粘着テープ

でふさいで外出した。

午前11時半頃に戻るとKは紐を外しており、怒った実母はKの腹を

蹴った。再び両手両足を縛り、タオルで口を塞いで外出した。

 

戻るとまたK紐を外していたため激怒して殴る蹴るをする。

実母はKを正座させ、足を崩すと背中を蹴って顔を壁に強打させた。

 

児童相談所を訪問してKを引き取りたいと申し出るが、認められなかった。

しかし、児相は安否確認をせず17日まで、一時帰宅の延長を認めている。

7日午前1時頃、独り言を言いだしたKの顔を継父が蹴り、実母は腹を足で

踏んだり、首を両手で絞めるなどの暴行を午前6時ごろまで繰り返した。

 

午前7時、Kがパンツを手に振っていた事に腹を立てた継父が、頭を右足で

回し蹴りしてKは床に倒れたまま動かなかったが、

演技をしている、医者にみせると暴行がバレると思い放置した。

Kは午後1時頃、脳内出血で死亡した。

 

両被告は遺体をゴミ袋に詰め、同日午後9時

自宅からタクシーで運河に運び投げ捨てた。

 

 

時系列

 

・1987年5月 母方祖父母、離婚。(母:小5)

           9月 母方祖父母、再婚(復縁)。(母:小5)

 

・1989年   母方祖父母、再び離婚。(母:中1)

 

・1990年  母方祖父、死去。(母:14歳)

 

・1991年8月 母、教護院(1年間の入所)を退所。

                 大阪市内の中学校に編入。

 

・1994年1月? 実父母、結婚。(母:17歳)

            9月 K,出産。(母:17~18歳)

 

・1995年9月 実父母、離婚。(母:18~19歳)(K:1歳)

              親権者は母だが、Kは父の親戚宅で暮らす。

 

・1996年 母の4人の兄の1人(4歳上)が、友人に殺害される(母:20歳)

 

・1998年7月 母と継父、結婚。(母・継父:21歳頃)(K:4歳)

         11月  B、出産。

 

・2000年5月21日  母・継父・B、アパートに入居。住民票にKの名前なし。

 

・2001年1月19日   母がKを引き取る。母・継父・Bとの4人がアパートで

                          暮らす。(K:6歳)

            1月25日   母、Kの躾について児童相談所に電話で相談。

                          翌日の面接約束。

            1月26日  児童相談所の約束時間に訪問せず。

            2月1日   母(と継父?)がKとBを連れ、躾相談のため児童相談所

                        を訪問。Kの骨折や皮下出血(全治1ヶ月)が見つかり職権一時保護。

           3月21日   K,被虐待の理由で児童養護施設に入所。

           4月          K、小学校に入学。

           4月27日   K、一時帰宅。1泊2日の予定がうまくいっていたので2泊3日に延長。

                         児童相談所の身体検査では、Kに異常なし。

           8月1日    児童養護施設を訪れ、Kの一時帰宅(10日の予定)を申し出る。

                         同施設は児童相談所に相談せずに一時帰宅を認める。

           8月3日   「子どもを引き取りたい」と児童養護施設に連絡。児童相談所は

                       この時始めて一時帰宅を知る。

           8月5日   母の体調不良もあり、母からKへの暴行が始まる。

           8月6日   母・継父によるKへの断続的な暴行が始まる。両親が児童相談所

                        を訪れ、Kを引き取りたいと申し出るが認めず。しかし、Kの

                        安否・所在確認をせず17日まで一時帰宅の延長を認める。

          8月7日    母方祖母が両新宅で、顔を腫らして寝かされているKを目撃。

                       両親に病院に連れていくように言うが「捕まる」と言って拒否される。

                       午後1時頃、K脳内出血などで死亡。

                      両親、自宅付近で粘着テープを購入。

                      夜、両親が「Kを母親の実家に預けていたが、行方がわからなくなった」

                      と、警察に捜索願を提出。     

                      両親、Kの遺体を運河に遺棄。

 

        8月8日  未明、両親に頼まれ母方祖母が、K虚偽の捜索願を提出。

                    未明、施設職員が両親宅を訪れる

                    両親、Bを知人宅に預けて行方不明に。

       8月10日  母高祖母、母と継父の捜索願を出す。     

                    Bを預けられた知人が警察に届け出、Bは児童相談所に保護される。

       8月13日  運河で黒いポリ袋に入れられたKの全裸遺体が発見される。

                    警察が死体遺棄事件として捜査。身元が判明。

       8月14日  警察は被疑者不在のまま、殺人と死体遺棄容疑で両親のアパートなどを

                   家宅捜査。

                  Kの司法解剖、死因は左側頭部を強打したことによる脳内出血。死後7~10日経過。

                 行方不明になっていた両親が発見され、事情聴取後、死体遺棄容疑で逮捕。

 

 

 

ー引用ー

以下略。

 

この後は逮捕・実況見分・児童虐待防止専門家会議でプログラムを県に提出。

2003年2月26日両親の判決公判。懲役8年の判決。

 

ここで問題なのは

祖母が横たわるKが血を流しているのを見ており、

口裏合わせに応じ、虚偽の捜索願いをだしたこと。

 

また、8日にBを「自宅が火事になった」と嘘をついて

知人にあずけている。

両親も虚偽の捜索願出したり、留守と見せかける張り紙を玄関に貼ったり、

Kの遺体を包むのに使ったポリ袋や粘着テープを購入する際、

「ふすまの修理に使う」と説明。

Kの衣類を処分するなど

ずさんであるが、犯行を隠す偽装工作をしていた。

 

 

親だけでなく、施設も児童相談所に連絡ぜず一時帰宅をさせ

子どもの危険を低く見積もっている。

親(大人)に守ってもらえない子どもが取る態度は

ときに反抗的で手に負えない。

 

親元に帰すときは関係諸機関との連携をしっかりとることを

反省材料としている。