https://ameblo.jp/skana0109/entry-11433532376.html

 

2000年に、愛知県で起こった虐待による死亡の件。

児童虐待防止法が施行されて、最初の死亡事件であり、

2004年に最高裁は殺人罪の成立を認め、

懲役7年が夫・妻それぞれに確定。

 

その後は不明。

 

現在はライフシフトなどが主流となったため、

時代の流れがパラレルワークなどを取り入れる

ようすすめる社会となり、大きな視野を持つようになった結果、

バブルが弾けて以降の闇の20年をなかったことに

されている傾向にある。

 

現在40代の人は「狭間」の世代であり、

団塊Jr世代の親・大人たちから

「女は家事・育児、男は外で働き金を稼ぐ」

という考え方がまだ主流であった。

わたしはそういう躾を受けている。

結婚した時に、元配偶者側の親戚一同の男たち6~7人が

わたしを中心にして輪になり、

正社員で働くことを否定してきました。

「女は働くな!!!」

と、大の男が20代の女性1人を取り囲み、

逃げられないようにして

洗脳しようとした。

 

 

世の中はこういう時代であった。

だから、アスペルガー気味であると言われると

そういう躾を受けて育った人全員がそれに

当てはまってしまう。

 

 

わたしは加害者たちと同年代だ。

 

いまでこそ夫婦共働きが常識となり、

女性やシニアの社会進出が声高に叫ばれています。

 

 

わたしが「なぜ」この事件にこだわるのかというと、

妊娠出産が重なったからです。

 

被虐待児が子どもを出産するかどうかを

悩むのも、

そもそも、結婚するかを悩むのですが、

 

「毒となる母親」の夢が結婚披露宴をってものだったので、

それに逆らえるなんて、

ごく普通に生活できてきた羨ましい人たちだけの特権なので、

わたしには「無い」のです。

 

だから、

「折檻死」とわたしが子どもを出産した時が同じで、

しかも、その理由が生育歴も関係していると報道されて

もしかしたら自分も産んだ子を同じ目にあわせるのではないかと

恐れがありました。

 

結果的に「毒親」と絶縁することで今の幸せが保てています。

 

現在、冷却期間を置いて再び「児童虐待」について

学び始めました。

 

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・夫婦の生育歴

 

実母 21歳

1979年愛知県で生まれた。両親は見合い結婚したが父(祖父)がパチンコ依存症

のため、3歳のときに母(祖母)が家出をする。

父(祖父)が兄と自分を連れて母(祖母)の実家に移る。

 

実家は曾祖母と内縁の夫。

曾祖母は内縁の夫にDVを受けており、自分や兄も標的になることもあった。

また、母は自分が6歳の時に不倫相手の子どもを妊娠し、

家出から戻って出産し、離婚してないので籍はそのまま、

法律上嫡出子となり、翌年、父の子を出産、

兄妹は合計4人となっている。

 

9歳のとき再び母が家出をし、父はパチンコで給料を使い果たし

生活は困窮していた。

しかも、親たちは子どもの世話をしないため、自分が代わりをする。

12歳の時に離婚が成立し、自分と兄は父のもとに、

弟2人は母のもとで生活する。

中学の時にイジメにあい、卒業後に寮のある会社に就職し、

定時制高校に進学するが1ヶ月ほどでレイプ被害にあう。

退職・退学し、夜遊び異性交友などが始まる。

 

 

実父21歳

19979年に京都府でうまれた。父は建設関係の仕事をしており、独立後

事業に失敗して両親は負債を抱え、職を転々として

あまり手をかけられずに育ち、しばしば暴力を受けた。

弟は自分が1歳の時に、母が目を離したすきに列車に轢かれて死亡。

その後、妹が生まれる。保育園年長時に両親は離婚。

3年生のときに母が再婚・養子縁組をして姓を変更。

小学校時は成績優秀であったがイジメにあっていた。

名古屋の工業高校に通う。1年時は進学クラスだったが、

2年で普通クラスに移籍、この頃に2人はポケベルで知り合い

保育園が同じだったことで急速に親しくなる。

 

実母は実父の家族と一緒に暮らし始める。

1997年1月に妊娠するが、実父の母の反対で中絶し、

実父の母に憎悪を覚え実家に戻る。

翌月2月に再び妊娠し、父が高校3年生時に出産した。

 

 

*両者の生育歴をたどると、のちに○ちゃんをネグレクトする。

実父と実母がネグレクト家庭に育っており、こうした生い立ちが

事件に大きく影をおとしている。(引用)

 

 

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生育歴が我が子殺しや親殺しに繋がるのなら、

わたしはとっくの昔に殺人犯になっているはずである。

 

17歳で妊娠・出産は親が反対するのは「当たり前」だと思う。

せめて、高校卒業はして欲しいと願うのが親じゃないのか・・・。

せめて、就職して自分の稼ぎで生活できるようになってからでも

遅くないとわたしなら説明します。

息子を奪った女が憎いのでなく、

女性は結婚で今後の生活が変わるのです。

妊娠出産すると、正社員を続けるのか、

パートに変更するか、も考えなきゃいけない。

また、子どもを持つかどうかも選択肢の1つです。

 

 

 

時系列

 

・1996年10月 父母の交際が始まる。

・1997年1月 父の実家で同棲を始める。母、妊娠するが祖母の反対で中絶

           2月 母、実家に戻る。○ちゃんを妊娠。

          11月20日 ○ちゃん誕生。母、父の実家に移る。

 

・1998年2月 出掛けた先のホテルで、○ちゃんがベッドから落ちて頭を打つ。

           3月 3ヶ月検診、○ちゃん異常なし。父、高校を卒業。

           4月 父、就職。母○ちゃんを連れて実家に戻る。

           7月 父母入籍。

           9月7日 父母、武豊町のアパートに移る。

           9月8日 父の揺さぶりで○ちゃんが脳から出血、急性硬膜下血腫の

                      ため入院。10月に再入院、11月に手術を受ける。

           9月    母、弟を出産。

           11月21日  ○ちゃん退院。

 

・1999年6月1日  保健センターで1歳半検診。両親、○ちゃんに発達の遅れ

                       を感じる。

            6月30日  弟を出産。この頃から○ちゃんに対する身体的虐待・

                         ネグレクトが始まる。

            8月20日  保健センター保健師訪問。

            8月30日  児童相談所、保健センター会議。祖母と○ちゃんに面接。

           11月17日  2歳児歯科検診。母、○ちゃんに発達の遅れを感じる。

 

・2000年4月~  父、家事・育児にまったく関わらず、以前にも増してゲームに没頭。

                     母、買い物依存症。

            5月~  母、自宅に○ちゃんを放置し、弟を連れて自動車教習所に通う。

           8月15日  痩せた○ちゃんに驚いた母方祖母の勧めで受診。標準体重より

                        大きく下回るため、医師は入院を勧めるが、母は拒否する。

           8月17日  保健所の保健師、保健センター保健師、病院医師、看護師の

                         4人でミーティング。

           8月21日  母、○ちゃんを連れ再度受診。体重2kg増のため、ネグレクトでは

                        ないと判断される。

           9月3日  祖母、○ちゃんを預かる。

          10月2日  ○ちゃん、実家に戻る。

          11月15日  父母、いたずらを理由に○ちゃんを3畳間に入れる。

         11月17日  3歳児検診欠席。保健センター保健師が自宅を訪問するが不在。

        11月19日  父母、○ちゃんが動かないように段ボールに入れる。

        12月10日  ○ちゃん死亡。

        12月11日  父母、保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕。

        12月28日  父母、殺人罪で起訴される。

 

・2002年10月30日  名古屋地裁が殺人罪を認め、両親に対しそれぞれ7年の判決。

            11月13日  父母、名古屋地裁の判決を不服として、名古屋高裁に控訴。

 

・2003年10月15日 名古屋高裁が両親の控訴を棄却。

 

・2004年4月2日  最高裁は殺人罪に問われた両親の上告を棄却。ネグレクトに

                       対して殺人罪の成立を認めた一・二審の懲役7年がそれぞれ確定。

 

 ー引用ー

 

1997年11月、父の実家に同居するが祖母の一方的な振る舞いや

家事分担が嫌で実家に戻る。

 

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17・18歳で子どもを産むことと親になることは別である。

子どもが子どもを産むのだから、まだ満足に家事をこなせない。

ペットじゃないのだから、育児も簡単ではない。

親に頼ることとなるだろう。

母親もそれを承知で出産させたと思う。

当時、TV番組で「美魔女」が流行っていた。

「毒となる母親」の女優型でなんでも思い通りに

するタイプにも、自分の若さをアピールするために娘を妊娠出産させ、

周りから

「年の離れたお子さんね。えっ、ウソ、お孫さん!?若いお婆さん~」

「ババかわいい~」

と言われたい人もいます。

しかし、この事件の場合は違うと感じました。

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○ちゃんが10ヶ月の時に3人での生活が始まります。

直後、脳内出血で手術を受けて、発達の遅れも多少あった

かもしれません。

しかし、虐待の影響も捨てきれません。どちらとも言えないのです。

(手術前より笑わなくなり、甘えやいたずらがひどくなったと感じたそうだ)

1歳6ヶ月検診で○ちゃんは、座ることも歩くこともできず、母は不安を訴え、

父は恥をかかされたと感じた。

そんな中、第二子を出産し○ちゃんが赤ちゃん返りした。

生死に関わる体験をしたこと、弟が生まれたことで

落ち着きがなくなったり退行したりすることを受け止められず、

虐待が始まり、エスカレートした。

 

周りの援助、(保健センター保健師、児童相談所、病院、祖母)があったが、

夫婦関係も良好とも言えず、援助を受けることを避けている。

特に父方祖母を憎んでおり、○ちゃんを預けて帰宅後に抱っこを

せがむようになり、「甘やかされた」「祖母の子になった」と

叱る・怒鳴る・叩くという対応をした。

 

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3歳の子どもが抱っこして欲しいというのは普通だと思う。

嫌いな人に子どもを渡し、順調に育つから不快に感じた・

劣等感を煽ったのでしょうか。

祖母でなく幼稚園・保育園などに一時預かりをすることも

できた。

そもそも、自分たちが子ども時代の時に、母親は何をしたのかが

問題です。

書籍での知識ですが、母方祖母は恋多き乙女のようです。

2歳の娘を置いて家出(男と同棲してたかも)から帰ってきた時、

娘は6歳だった。

そして、よその男の子どもを夫の子として出産しています。

お母さんが帰ってきたら、弟ができた。

おかしいです。

わたしも離婚してすぐなのに、イジメ3人組から子どもを産めって

意地悪されましたが、実行するほどバカじゃない。

倫理観を問われます。

曾祖母に至っては、なぜ「内縁の夫」なんだろう・・・。

戦争があった時代だから、ちょっと怖い。

これは父方の祖母も同じようなことが言えます。

多少のモラルはあるようですが・・・。

これからの時代、結婚と離婚を繰り返す人が大勢出てくるでしょう。

ですが、嫁の悪口を言いふらすのが目的なのか、

孫を守りたい意思、実行する勇気など疑問がいくつも出てきます。

祖母は2000年10月を最後に○ちゃんと会えなくなります。

どこの親も自分の結婚・子育ての失敗を

我が子にはしてもらいたくないと考えていたことでしょう。

 

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自分の考えを書いてみました。

かなり偏ったものだと思っています。

虐待を受けていた時は、親が絶対だと信じてましたが

離れて見ると「異様」だと分かります。

うちは極端に怒鳴り声が飛び交う家でしたが、

それ以上に

「えへら、えへら」とニヤけるバカ親でもありました。

常に暴力と罵声で支配するだけじゃなく、

奇妙な優しさの時もありました。

親の気分次第ですが・・・。

それに再び取り込まれることが恐ろしいし、

完全に縁が切れることもないのです。

親ですから。