20年ぶりに鞍馬山に紅葉を見に行ってました。鞍馬山に着いたのがお昼過ぎでした。お腹が減ってたので駅前でたい焼きを買って食べてから上りました。日本人より外国人の観光客の方が多かった様です。飛び交う言葉が日本語より中国や韓国語や英語、日本語も関西弁より違う方言が聞こえてました。上りより下りの方が足腰に堪えました。やっぱり年のせいかもしれません。ステッキ持って行って正解でした。下りて来て丁度電車が来てたので座って出町柳駅まで帰って来ました。お腹が減ってたので出町柳駅で何かお店を探そうかと思いましたが母が電車の中で食べようかと言うので私はサンドイッチとコーヒーを買って電車に座るなりすぐにパクパク食べました。恥ずかしいけどお腹が減って目が回る寸前でした。母は特急仕様の座席なら座ったら大丈夫と思ってだけど乗った電車が快速急行だったので特急仕様の座席ではなかった。普通の横の長い座席でした。電車中での飲食は本当は好ましくないけど空腹に耐えられず食べました。それも結構な早さで食べてたので向かいに座っていた方が驚いた顔してました。
言葉って難しい、この前施設内研修で「共感と共働」をグループワークをしつつ勉強したけど、朝の申し送りの時間にうちの職場の職員が遅れて行きそれが最近多いのでお叱りがあった。「忙しいのをアピールするな」「時間は決まっているのだからだらだらとしてるから」「他の部署はちゃんと集まってる」と言われる。当たり前です。朝の申し送りは各部署が集まる唯一の時間です。後に繋げる仕事も大事です。「忙しいのをアピールするのは」と言う言葉が悲しいやら虚しいやら、遅れて行く事は他の部署に迷惑をかけるのでダメです。「アピール」はしてません。二度言われないようにしょう。こんな思いはしたくない。すっきりしない気持ちで夜勤に向かいます。
今日は公休日です夕方から職場で施設内研修があるので、夕方から出勤です。昨日明けで帰宅夜勤明け10:00で定時終わりなのに帰れない、あれもこれもなんで?本来日勤務する業務まで済ませたのにもうなんだかどうして?段取りの悪さが流れを悪くする。昨夜は終末ケアの方がひとりモニターを装着ドクター「今夜は大丈夫だろう。」と言われてた。家族さんは近くに住んでないので夜中に呼吸が止まっても来れないので知らせだけ入れて欲しいとの事でした。食事が取れなくなり延命はどうするのか?という話しをする予定だったが急に容態が変わって酸素流用する。酸素飽和濃度が低いので酸素を2㍑で流用呼びかけには反応は目を開けるぐらいです体温以外はバイタルサインは低い数値軽い顎肩呼吸から自然な呼吸を繰り返してる。旦那様は先に旅立たれた。健在な頃面会に来て食事介助されていた。歩くのも危なかしい時も運転して面会に来られてました。その旦那様も食事が出来なくなり亡くなった。写真たてが置いてあったから旦那様が亡くなった事を知る。遺影という写真だったので消頭台に置くのが怖いと言う職員がいて巡回に行くと写真たてが伏せてある時があった。笑顔の写真なら良かったのかも証明写真の様に表情の硬い写真だから怖いと感じるのかもしれないけど私は家族の意向と思って行く写真たてを入居者さんの方に向けて置くそうして来ました。酸素飽和濃度が低い時に写真たてを向けた時に不思議どんどん数値が上がった。昨夜も写真たてをその方が見える位置に置いてケアしました。家族さんを待ってる様に思えました。その方は自分で話す事はありません。でも目を見開いて呼吸している。心の中で「頑張らなくめいいよ。もう休んでいいよ。」と話しかけた。私が仕事終わり帰る頃まだ頑張ってた。お世話していて一番辛い時間です。