【澤藤統一郎の憲法日記】「たかまつななさん」朝日デジタルで、あなたの投稿を拝見しました。 | まなかつおのしゃべり場へようこそ

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安倍元首相の国葬に批判・懸念次々/弔意強制許されない 国民の分断深まる (jcp.or.jp)

2022年7月21日(木)
政府は故安倍晋三元首相の国葬を9月27日に日本武道館(東京都千代田区)で行う方向で最終調整に入り、22日にも閣議決定する見通しです。しかし、野党などが反対を表明するなかで、メディアも国葬の問題点を指摘し、国民の中からも反対の声をあげる動きが広がっています。

9月27日に実施で調整

松野博一官房長官は20日の記者会見で、国葬に反対する野党の動きに対し、以下の反論

「安倍氏は憲政史上最長の8年8カ月にわたり、首相の重責を担った、国民一人ひとりに政治的評価を強制するとの指摘はあたらない」

これに対し、全国紙・地方紙は、国葬を批判・疑問視する社説を相次いで掲載しています。

 

19日付、中国新聞

「(安倍氏の)功績の過大評価には異論も多い」と指摘し、「首相は国葬にすることで『民主主義を断固として守り抜くという決意を示す』と述べた。しかし実際は、安倍氏が民主主義の原則を軽んじた面があったことを忘れてはならない」と強調。首相による党内派閥への配慮があるとの見方も示し、「人の死を政治利用していると疑われても仕方あるまい」

17日付、沖縄タイムス

「国論を二分した安倍氏の政策は評価が定まっているとは言えない。なぜ国葬なのか。政府は追悼の在り方を再考すべきだ」

16日付、琉球新報

「憲法が保障する内心の自由に抵触する国葬には反対する」

16日付、北海道新聞

「国を挙げて功績ばかりを称賛するような葬儀に、国民の幅広い理解が得られているだろうか」。

20日付、朝日

「極めて異例の『国葬』という形式が、かえって社会の溝を広げ、政治指導者に対する冷静な評価を妨げはしないか」

20日付、東京新聞

「なぜ国葬なのか、岸田文雄首相が説明を尽くしたとは言い難い。安倍氏の葬儀を巡(めぐ)って、国民の分断がさらに深まらないか 根強い批判があることも事実だ 費用の全額を税金で賄う国葬への反対意見が出るのは当然だ。政府が国民に弔意を強制するようなことがあってはならない」

コラムニストの藤崎剛人氏

「安倍元首相の国葬に反対する」(ニューズウィーク日本版、19日配信)で、「事績に基づけば国葬に値するかどうかは疑わしい人物を、選挙演説中に殺害されたインパクトをもって強引に国葬を執り行ってしまうのは危険であり、故人の神格化に繋(つな)がりかねない」

 

 

朝日川柳西木空人選

・疑惑あった人が国葬そんな国(福岡県 吉原鐵志)

・利用され迷惑してる「民主主義」(三重県 毎熊伊佐男)

 

・死してなお税金使う野辺送り(埼玉県 田中完児)

 

・☆忖度(そんたく)はどこまで続く あの世まで(東京都 佐藤弘泰)

 

・国葬って国がお仕舞(しま)いっていうことか(三重県 石川進)

 

・動機聞きゃテロじゃ無かったらしいです(神奈川県 朝広三猫子)

 

・ああ怖いこうして歴史は作られる(福岡県 伊佐孝夫)

 

 

【ご冥福をお祈りしませんか】 安倍さんの罪の部分が許せなかったとしても、ご冥福をお祈りするということはしませんか。 こちらの朝日川柳についてコメントしました。
☆忖度(そんたく)はどこまで続く あの世まで
 
 

7/19(火) 15:28

 

 

右差し 澤藤統一郎の憲法日記 (article9.jp)

見過ごさずに反論を。「弔意」を強制して「生前の罪業批判」に蓋をする論調に。

 

(2022年7月21日)
 たかまつなな」さん。朝日デジタルで、あなたの投稿を拝見しました。「【提案】政治的な評価と暗殺(ご冥福をお祈りする)をわけて考えませんか」という表題のものです。7月16日の「西木空人選・朝日川柳」欄に掲載された7句についてのご意見。〈2022年7月18日23時52分 投稿〉というタイムスタンプが付されています。

 

実は、このタイトルだけを目にして、うかつにもこの川柳作者の立場を励ますものと早とちりしてしまいました。冷静に、「政治的な評価」と「弔意(ご冥福をお祈りする)」とを分けて考えようというご提案は、「元首相に対するいかに深い弔意」あろうとも、元首相の生前における「目に余る政治的な罪業の評価」に遠慮があってはならないとするものと誤解したのです。

 

同時に、てっきり元首相についての国葬反対のご意見かとも思いました。なにせ今巷に溢れているのは、元首相に対する「弔意(ご冥福をお祈りする)」と「政治的な評価」とをごっちゃにする意見。国民全体に「安倍さんお気の毒」という「弔意(ご冥福をお祈りする)」を強調して「政治的な評価」を口にしにくくするものが圧倒的。その風潮に悪乗りしての総仕上げが「国葬」なのだからです。

 

「たかまつなな」さん。あらためて、あなたのご意見の全部を拝読して、まったく逆の文意であることに気が付き、強烈な違和感をもちました。けっしてネトウヨ風の文体ではなく、政治的なバランス感覚ももっていますとアピールしながらの偏った結論。その手法に危険なものを感じて、あなたと同様に「言っておかなくてはいけないと思いあえて」批判の一文をしたためました。

 

以下に、あなた(たかまつ)のご意見を引用し、逐語的に私(澤藤)の意見を申し述べます。

「安倍元総理の功罪はどちらもとても大きいと思います。」

⇒安倍元総理の「罪」がとても大きいということには同感ですが、私には、彼の「おおきな功」の方は思い浮かべることができません。しかし、このことは今さしたる問題ではありませんので、あなたのご意見として承っておきます。

「私は森友・加計・桜、官僚の忖度体質などたくさんの「罪」があったと思います。ですが、安倍さんは暗殺されてしまった。暗殺されていい人などこの世にいません。暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのかと少しこの川柳を拝読して、悲しくなりました。」

⇒あなたは「暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのか」と嘆いて見せていますが、難しいはずはありません。現に、実に多くの人々が、犯行の現場で献花し、葬儀に出向き、沿道に詰めかけて葬列を見送るなどして「ご冥福をお祈り」しているではありませんか。あなたが嘆いているのは、「みんなして深くご冥福をお祈りすべきなのに、ご冥福の祈り方の足りない人がいることが嘆かわしい」ということではありませんか。それこそが、弔意の強制以外のなにものでもないのです。おそらく、このことが、あなたの文章の決定的な問題点なのです。

「無念の死に対して、あの世までというのは、さまざまな考えがあると思いますが、私は違和感を覚えました。」

⇒あなたの違和感は、「政治的な評価」と「弔意」を分けて考えないところからのものではないでしょうか。あなたが、あなたご自身の思想や感性に基づいて「弔意」の表明を大事なものと考え、元首相の死を「暗殺されてお気の毒」

「ご冥福をお祈りしたい」とすることの自由は保障されています。しかし、だからと言って「政治的な評価」を大切に思う立場の人たちに、同じ思いを強制して「政治的な評価」については口を慎めと言ってはなりません。
 

「忖度はどこまで続く あの世まで」が、死者を冒涜するとか、死者を鞭打つ表現とはとうてい考えられないところです。この程度のことを言って攻撃を受けるとすれば、それこそ政治家の死を利用した言論弾圧というべきであり、「たかまつなな」さん、あなたもそれに加担していると言わねばなりません。

「こちらの川柳は、twitter上でも、さまざまな意見があり、投稿された方にも誹謗中傷などが及んでいないかと心配で、このようなコメントをすることもさらに追い討ちをかけてしまうのではないかと悩んだのですが、コメントプラスをしているメンバーとして、いっておかなくてはいけないと思いあえて投稿します。」

⇒失礼ですが、何をおっしゃっているのか、なにをおっしゃりたいのか、理解できません。あなたは、この川柳作者たちに「誹謗中傷などが及んでいないかと心配」しながら、さらに敢えてムチを加えたというのでしょうか。ぜひとも、自分の発言への責任をご自覚ください。

「暗殺されたことを受け、ご冥福をお祈りした上で、政治的な功罪を議論するということをしませんか。」

⇒これは、まことに露骨な弔意の強制。「暗殺された人にはご冥福をお祈りしなさい」などとは、さすがに権力の座にあるものとしては恥ずかしくて言えることではありません。まさしく、政権の意を忖度して代弁している発言というほかはありません。亡くなった元首相の政治的な功罪の議論に今は蓋して、まずは「国民みんなでご冥福をお祈りしましょうよ」という、弔意強制の論理。国葬実施のホンネの理屈。たかまつさん、あなたがそのことに何の疑問もお持ちでないことが恐ろしい。あなたが、元首相の死を悼むことは結構だが、本来人の死を悼むも悼まないも、純粋に私的な領域に属すること。他からの強制になじむものではありません。とりわけ政治家の死は、利用されやすく強制されやすいもの。「ご冥福をお祈りしましょう」という弔意の強制には最大限の警戒を要します。

「投稿者の方というよりも、これを選び掲載された朝日新聞側に問題提起をと思い投稿します。」

⇒これはひどい。「これを選び掲載された朝日新聞側への問題提起」とはいったい何ですか。こんな川柳の選句は以後あってはならない、こんな川柳を掲載した朝日はけしからん、とでもいうのでしょうか。「私は違和感を覚えました」から数段飛躍しての恐るべきコメント。
 

「たかまつなな」さん。あなたには、ご自分が表現の自由抑圧の尖兵になっていることの自覚がありますか。表現の自由とは、権力をもつ者、社会的に強い者、多数者を批判する自由のことです。あなたがあげつらう川柳作者の皆さんは、まさしく、弔意の強制に抵抗して権力を批判する表現を実践しています。あなたは、権力の手先になって、これを圧殺する側の立場なのです。

あなたが批判する川柳の第7句がこう言っています。「ああ怖いこうして歴史は作られる」。この川柳作者にとって、権力も怖いが、その権力を支えているあなたこそが怖いのです。私も、あなたが怖いと言わざるを得ません。