最近、幸福論by寺山修司さんを読んでおります。


すごくいい。

論文?みたいな感じなんですけど、もちろんわかりにくいんですけど、

言いたいことはちゃんとわかるような、そんな文章の書き方です!



ようするに、って私は解説できる立場ではないので今回はひかえときます。



まぁあれですね、

幸福ってなんなんでしょーね!(´・ω・`)!


私は今生きていること自体に幸福を感じています。

こんな状況だし、五体満足でこの場にいれることを本当にうれしく思うし、

自分は幸せ者だなぁ、こんな自分の将来について考えて悩めて、

って思います。



それが苦であることに間違いはありません。

自分のやりたいことが正直まだよくわかっていないし、

迷うことだってたくさんあります。

周りからの意見に振り回されないように頑張ろうとか、

でも助言を聞いておかなければ後で身を滅ぼすのは自分だ、とか。



色々思うところはあるんです。

本当に苦しくて、逃げ出したいって思う時だって何度も何度も。



でも、そうやって悩めて、選択肢がある私の人生は、

なんて恵まれていて、幸福の詰まった人生なんだろう、って思います。




そういう状況にありながら、最良の道を選ばないのもなんだかなぁ。って。

でも、じゃぁ私の「最良の道」ってどこなんだろう?


それが最大の謎なんです。



自分のことを一番知っておかなければならないのは自分か、

それとも他人か。

どちらがより「自分」を知って、わかっているのかは、よくわかりません。




私はこういう人間だ!と主張したい時もあれば、他人の意見から

ハッと、自分を気付かされる時だってあります。


それが、生きるということなんじゃないか、と。

つまり、自分が生きて人とかかわっていくことにより生じる「気付き」。

そのひとつひとつの積み重ねが、私を作り上げるものであり、

私の心臓が機能しなくなるまで、私は気付き続けるのではないか、と。




でも、気付かないことだってあると思います。

永遠に気付けずに終わってしまうもの。

それを気付くためには、どうすればいいのか。








こうやって、進路の話から、私の人生について、ゆくゆくは命について、

自分の生き方についての領域にまで至ってしまうのです。




大学。進路。将来の夢。

そんなものは、ドラマや映画、映像、文字により映された世界でしか知らないものだった。


人は生きていくうちに、自然と夢を持っているものだと思っていた。

それに向かって生きていくだけだ、と。



世の中には、そうすることの出来る人もいるでしょう。

でも、私にはできない。

きっと私も大半の人々と同じように、自分の漠然とした未来を見据え、将来を考え、

それに一番近い大学を選び、勉学に励むのでしょう。

また時に、ストレス発散として足枷を外そうと、安全な領域で暴れ、満足するのでしょう。





それが、私なのであろうと、今の時点では考えます。








「幸福論」を途中まで読んで、私の中から生まれてきた言葉です。

記録として、ここに残しておきます。




これを読み終わる頃、私は新しい私に一歩近づいているような、

そんな淡い期待が、なくはない。

それを現実に出来るのは、まぎれもない、私自身ですね。




ではでは^^