ここにまとめておこうと思います。
過去10年分くらいになると思います。

今現在3人暮らしです。

重度知的障害者(先天性)の兄と、母親と、統合失調症の私の3人です。 

これは2013年11月下旬の出来事です。

まず、私達は、元父親から日常的にDVを受けていました。
そして元父親が包丁を出して来た時、私は咄嗟に110番通報していました。
警察によって引き離され、なんとかその場から逃げ出せました。
その時元父親は般若のような形相をしていました。
警察の人が元父親を宥めていましたが、怒り心頭といった顔でした。
それが私が最後に見た元父親の顔です。

そして私達3人は、区役所に逃げ込み、DV窓口?で、DV被害を受けていることと、今戻れば殺される事を説明しました。
現金も所持しておらず、身一つで来ました。

緊急事態だったので、役所の人に今夜泊まれるDVシェルターを紹介してもらいました。
そこは男性禁止だったのですが、知的障害者でもある為、そこはなんとかなりました。

その時私は大阪市鶴見区に住んでいました。
DVシェルターはそこから遠く離れた、天王寺になりました。
そこまではタクシーで行きました。
タクシー代は確か相手が出してくれたと思います。
シェルターに着いた時には真っ暗。寒かったです。

そして携帯類の没収。
何故か私の携帯は没収されませんでした。
GPSついてないからかな?と思いました。
(その時まだガラケーだったので)

部屋を紹介され、そこで生活することになりました。
広々とした部屋です。居心地が良かったです。

食べ物や布団毛布類を分けて貰い、1日を過ごしました。

そして今後の話しと、カウンセリングを受ける事になりました。
カウンセリング代は確か1時間で千円だったと思います。

私はそのカウンセリングでAさんの事を紹介しました。
他に話すこともなかったので。

そして、元家に、荷物を取りに行くべく、礼状?(保護命令だったかな?)を出してもらいました。
何ヶ月かまでは加害者はこの家から出て行くように、とのことで。

そして荷物を取りに行きました。
通帳、印鑑、衣類、必要不可欠なもの。

礼状があっても、接近禁止礼が出てても不安でした。

職員さんが荷物の荷造りのお手伝いをして貰いました。
ダンボール何個分かは忘れましたが、少なかったと思います。
ダンボールは近所のコンビニ?で配達依頼してもらいました。

そして次にする事は、引越し先の準備。

まず候補となる地域を探します。
できるだけ加害者から遠く離れた場所。
県外も検討していました。

そして口座にいくらあるのかによって家探しも変わってきます。
当時確か25万以上所持していたと思います。
ので、その額での場所を探します。
それと同時に、生活保護への紹介もされました。
居場所があってもお金がないと何もできないとのことで。

候補地は大阪府枚方市になりました。
鶴見区からは十分に離れています。
職員さんと一緒に不動産に行ったりしてました。

そして枚方市の生活保護課の人と他の人達も一緒に手続きを行うことになりました。
そして2014年1月27日から生活保護受給者になりました。

それまで働いていた会社を弁護士さんを通して辞める手続きをしたり、健康保険証を返していたりしました。

シェルターにいる間、病院にかかったりしていました。 
その時は10割負担になっていました。

生活保護受給者になったといってもまだ住民票はまだ鶴見区にあります。
離婚届はまだ出されていません。
と、いうのも、相手が拒否するからです。
なので離婚調停になりました。
それでも相手は出てこず、裁判になろうとしてた時にやっと折れてくれて、離婚が成立しました。
ここまでで半年掛かりました。

そして苗字を変え、携帯も新規で契約、旧姓の携帯は解約といったことをしていました。(新姓と旧姓の請求が同時にきました。8万くらい)
通帳は苗字と住所を変えるだけで済みました。

子供の苗字変更は別途かかるみたいだったので、それも申請して苗字変更しました。
母親の旧姓になりました。

そして世帯分離と離婚届を同時に出しました。
そして加害者が被害者の住民票閲覧を不可にする手続きもしました。
母親は閲覧無理でも、血の繋がった子供は閲覧できるので、閲覧不可にしてもらいました。
それから住民票を現在の枚方市に移しました。

そしてそこからが問題なのです。

元父親は、家の中にあった連絡先を頼りに、私達を探していたのです。何年も。

枚方市に母親の友達が居て、その友達のところに何回も電話が掛かってくるといったことが起こっていました。
主に私達の居場所を聞いてきたとのことです。
その友達は恐怖を覚え、着信拒否にしたということです。

私は生活保護を3ヶ月で脱しようと思って面接とかに行ってたりしてました。
が、落ちたりしていました。
この時まだ統合失調症ではありません。
統合失調症は2017年4月発症です。

そして私はいつこの居場所がバレてもいいように、すぐに逃げ出せる準備もしていました。

DVセンター(女性相談センター)で閲覧不可許可を何年も取ったりしていました。

税金事務所も税金免除申請と共に閲覧不可にしてもらいました。

知的障害者である兄は服を破くのが日常的で、服代も掛かります。
通販で5万〜6万ほど。
それは兄の年金から捻出していました。
今現在進行形です。
服代が浮けば、貯金できるのですが、貯金がなかなかできないでいます。
あと、古着屋さんに行ったりもしましたが、1ヶ月分の衣類があるかと問われればないに等しいのです。
なので確実な通販サイトに頼っています。

そして私は3年くらい無職になっていました。
病んでいたのです。

そして我慢の限界がきたのか、2017年に統合失調症を発症しました。
そして地域活動支援センターの職員からの勧めで精神科を受診しました。(職員さんと一緒に精神科に行きました。現在は1人で行っています)
そしてあっという間に寛解しました。
その時私は就労継続支援B型に通っていました。

そしてB型からA型に移り、仕事をしていました。
が、その働く場所の環境が悪く、統合失調症が再発してしまいました。
そこでそのA型作業所を辞めました。
一昨年くらいです。

仕事をしてない間、ケースワーカーから就労指導など受けたことは一度もありませんでした。
逆に、病院に行けとばかり言われていました。
なので就労指導と言われてもてんでわかりません。
生活保護受給する前は、1か月のうちに何回も病院に行ったりしてたのですが(毎月)、生活保護になってからは滅多に行かなくなりました。

そして母親が耳の手術を受けることになりました。
真珠腫性中耳炎で。
骨が溶けていたみたいで、1週間入院していました。
大部屋希望だったのですが、空きが無かったのか、完全個室部屋になっていました。
本来そこで実費が発生するのですが、最終的には発生しませんでした。
手術は成功しました。
経過としては、将来、両耳聞こえなくなるかもしれないとのことです。(次に手術を行ったら)
今は片耳しか聞こえていません。
大量の薬を処方されて戻ってきた時はビックリしたものです。(多分2ヶ月分)
こんなに処方されるものなのかと。

そして私は病んだ状態のまま就労継続支援B型を再開しました。
現在働いているところです。
週1からOKとのことで、そこにしたのもあります。
あと、在宅ワークなので、外出しなくても良い利点があります。
私の体力じゃ、まだ一般就労は難しそうです。

そして私は障害年金を申請しました。
兄は年金1級と生活支援者給付金を貰っています。
私が年金が通った時は2級で、生活支援者給付金は貰っていません。
貰えるなら貰おうかな?とは思ってはいるのですが、また手続きするのがめんどくさそうなので放置しそうです。
年金は今月から貰っています。

母親は、老齢年金を貰おうかなと思っていたらしいですが、そうすると生活保護廃止になってしまうことを恐れて申請していません。
主な理由は病院代が掛かるとのことで。

長く?なりましたが、これが今までの過程です。

今でも当時の書類を持っています。
ちなみに、DVシェルターの職員さんから人数分の毛布を頂きました。
今も愛用しています。


書き忘れていましたが、生活保護なりたての頃は家具家電無かったです。
生活必需品ほぼ全部寄付で貰いました。
現在も寄付で貰える物は貰っています。
食器も炊飯器も冷蔵庫も電子レンジも洗濯機も寄付です。
エアコンだけ実費です。


最後に。当時の写真を撮ってきました。