今日は出かける用事があったのですが、

時間がお昼近くになりそうだったので、

お腹が空いても良いように、

シリアルバーを持参しました。

 

用事が終わったらやっぱり、

小腹が空いたので、

もぐもぐしながら、駅へ向かいます。

 

一番お気に入りのゴールデンベリー味です。

 

甘さ控えめなので、

口に入れた瞬間は甘さを感じないのですが、

噛めば噛むほど、優しい甘さがじんわりラブラブ

 

ちょっとぐねぐねしていて、

ドライフルーツを食べているような

味と食感が気に入っています。

 

ショップで販売中です音符

 

そうしたら、ちょうどタイムリーに、

先日、シリアルバーを買ってくれたお友達が

投稿をあげてくれてましたラブ

 
 

 投稿はこちら 

 

 

 

お子さんが、砂糖を摂ると、

精神的に揺らぎやすくなるとのこと。

 

そんなことがあるなんて、知らなかったびっくり

 

そこで、お子さん用の、

お砂糖なしのおやつとして、

選んでくれたとのこと、嬉しかったですラブラブ

 

私自身が、外出先で小腹が空いた時、

いろんなことを気にせずに食べられたらいいな、

と思って選んだ商品だったので、

活用してもらえて嬉しかったラブ

 

スター

 

よく「愛情を込めて料理をする」

とかって言うじゃないですか。

 

でもぶっちゃけ、

 

普段の料理をするために、

いちいち愛情って

込めなくないですか?笑

 

でも私自身は、一人暮らしで、

自分の食事を作っているのですが、

 

作っている最中は、

「愛情を込める」と言う意識は全くない。

 

ただ、料理に集中しています。

(集中しているから、気分は良い)

 

そもそも愛情を込めようが、

込めなかろうが、とりあえず、

毎日ご飯は食べていかないと行けない。

 

ドライで、すんません(笑)

 

でも、すごく不思議なんですが、

料理をし終わって、

さぁ食べようと思った時、

 

自分のために用意された食事を見て、

なぜか

「ものすごく愛を注いでもらった」

と感じるんです。

 

別に注いでないのに!(←注いでないんかい!笑

 

スター

 

それで私、仮説を立てたんですが、

「無条件の愛」ってあるじゃないですか。

 

スピリチュアル的にいう、

「私たちを生かしている大きな存在」

みたいなもの。

 

その存在は私たちに常に

「無条件の愛」を注いでいて、

だから私たちは生きていることが出来る、と。

 

「食べる」「食べさせる」行為は、

命をつなぐ根本的な行為。

 

だから、

そこにわざわざ

愛情を込めなくても、

それをするだけで、

「無条件の愛」と繋がれる。

 

私たちはもともと、

愛されていて、生かされている、

と言う感覚に、アクセスするんだと思います。

 

「食べる」「食べさせる」行動自体が、

もうすでに、

「無条件に愛する」行為だということ。

 

自分で作った料理に、

愛情を感じる現象は、

これで説明がつきます。

 

スター

 

これは別に、

手作りの料理に限らないと思っていて。

 

自分のために、食事を与える。

自分のために、口に入れるものを選ぶ。

(もちろん、「誰かのために」の時も同じ)

 

食べたいものや、

健康を気にしたりして選ぶと思うけど、

 

ほとんどの人が、別に

いちいち「愛情を込めて」

選ばないと思うんです。笑

 

選び方は、こだわって選ぶ、

とりあえず選ぶ、など、

度合いは人それぞれだと思うけど。

 

私が言いたいのは、

愛情を込めても込めなくても、

適当に選んでも拘って選んでも、

 

「食べさせる」だけで、

「食べものを選ぶ」というだけで、

もうすでに

「愛している」のだということ。

 

その上でさらに、

丁寧に選ぶ、身体に良いものを選ぶ、

というのは、本当にもう、

ものすごい愛情

だと思います。

 

先ほどの友人が買ってくれた時に、

「子どもにあげたい」とメッセージをくれて、

ものすごく嬉しかった。

 

その嬉しさはきっと、

私の選んだ商品が、

誰かが「愛する」ことの一旦を、

担えた気がするからだと思います。

 

 

自分や大切な人を、

「愛する」ために選んでほしい、

身体に優しくて美味しい、

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