明日はきっとやってくる~震災からの復興を願って~

明日はきっとやってくる~震災からの復興を願って~

いわき市久之浜で旅館をしてました。「ワインの宿」として少しずつみなさんに知られるようになった矢先、東日本大震災にあい被災。旅館は全壊、町の中心部は壊滅。瓦礫の街から希望の明かりを灯そうと新たにブログを立ち上げました。

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今日 、復興会議に出席して「ちょっとおかしいくないですか?」が


爆発しそうでした。いま、復興住宅について話し合いをしてます。


そのなかで、嫌な感じを受けるのが「被災者の被害者意識」なん


です。


もちろん、被災者の事情は十分すぎるほどわかっています。


でも、復興住宅についての要求には、あまりに自己努力をなしに


言いたい放題の様な気がして不快を感じました。


復興住宅は被災者の事情を配慮して、家賃は通常の公共住宅の


約3分の1以下なのに、1世帯に無料駐車場を最低2台分確保して


ほしい。さらにディーケア施設、学童施設を完備してほしい。コンビニや


便利な買い物が出来るように施設を充実してほしい。などなど要求が


でるわでるわ・・・確かに復興整備計画の一環ですから、同じお金を


かけるならより充実したかたちを望むのはわかります。


でも、私達は被害者なのだから「なんでもあり」はわらえません。


2代目の駐車場は自分達で確保して、それも整備の一環に加えて


ほしいとか、学童施設も入居世帯の親で運営し補助を求めるとか


主体的な関わってゆく姿勢がより行政を動かす力となると思うのです。


例えば、わが家が旅館は道路や緑地帯へ変わるため営業はできなく


なります。さらに自宅は避難道路を拡充という大義で立ち退きになり


そうです。自宅は建ててからまだ4年です。それでも復興計画に必要


なら従うつもりです。わずかに残った建物の所有者も痛みと苦しみと


将来への不安を抱えています。でも、なんとか前を見て歩いてゆこうと


考えています。


私達はたくさんの人の善意をうけ、たくさんの税金から復興支援を受けて


立ち直ろうとしています。感謝とその思いに応える気概がなければ、この


さき何も変わらず、身勝手で自堕落な人間になってしまいます。


被災者だからやるべきことがたくさんあると感じています。身近なところでは


多くのボランティアや支援者に礼状をだす。近況を知らせる。それが最低の


礼儀です。


私達は甘えてばかりではいつまでも自立できません。もう、被害者意識は


捨てて、誠実に現実に向き合いましょう。そうしないと、みなさんに見捨て


られる気がしてます。


何をいますべきかを考えてほしいと、被災者のひとりとして強く願ってます。

九州地方を中心に豪雨による自然災害、心が痛みます。


私達は「東日本大震災」で全国、全世界の多くの方から


支援を受け、いま復興再生の途上です。


突然の自然災害の被害や被災者の痛みが手に取るよう


に伝わってきます。いままで普通に暮らしていた家や生活


がある日を境にできなくなる。たぶんいまは不安と放心状態


ではないかと思います。それでもみんな片づけを始め、前へ


前へと歩みはじめる、人は逆境になればなるほど強くなる。


私達もたくさんの支援や応援をいただきました。こんどは


九州のみなさんに少しでも返したい。


できることから支援活動をはじめます。


豪雨で被害に遭われたみなさん、共に頑張りましょう。

昨日は、同級生4人で郡山に避難している恩師の


見舞いに行ってきました。恩師は双葉郡富岡町に


在住で、地震・津波・原発事故でいまが5度目の避難


先だと笑ってました。


いまは同居していた息子さん夫婦と離れ離れで、ご夫婦


2人で暮らしています。帰朝も、賠償も見通しが立っていない


ので、次の行動が出来ない。先の見えない暮らしは老いた者


には応えると話していました。


先生も人恋しいのかひとりで2時間近く様々な話をし、私達は


それの聞き役に徹してました。まだ名残惜しい様子でしたが


私達にも用事があり失礼させて頂きました。


自宅へは何度か見に出かけたけど、放射能測定値は室内で


2~4マイクロシーベルト、室外では7~8に上がると話して


いました。被災地、原発事故の現実がいまもそこに大きな壁


としてそびえ立っている。


事故のあの日から何も変わってない現実が被災地の現状です。


そして、今日は我が町の「復興会議」でした。


いつも会議に参加して思うのは、会議に参加している地域や各


団体の代表者ですら、話すことは同じ。行政に要望し、なんとか


ならないかとの意見。対応する役所のみなさんもたいへんです。


自分の町をどうしたいのかというビジョンが見えない。


復興再生は自分達がどうしたいのか、そのためにどう汗をかくのか


そのためにどういう方法や手段、予算の確保ができるのか、勉強し


働き掛けてゆくことが大切だと思っています。


復興の先にあるものを見据えて、私達が努力を重ねなければ行政も


計画通りの形の町を造るだけです。もどかしい思いを抱きながらも仕事


に追われてしまう現実。


旅館は緑地帯、区画整理地内に入り、測量も始まったのであと2,3年くらい


でしょうか。さらにわが家も道路拡張区域に入り、場合によっては取り壊しに


なるかもしれません。でも、形あるものはいずれ滅びるのですから、計画の


対象地域に入れば、街再生のためなら協力します。


話し合いで納得できれば、こだわることもありません。


この町の復興もようやく動き出しました。5年後くらいにはかたちが


見えてくるでしょう。5年は長いけれど、さきに展望が開けたことは


頑張ろうとする原動力になります。


これからも久之浜に少しでも関わったみなさんに関心をもっていた


だき、支援やアドバイスをお願いします。