義父の忘れられない言葉…七回忌に想う |  ぼちぼち ごった日記

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慈悲 と 愛
アヒムサー

あなたとわたしの 悲しみと苦しみがなくなり

ひかりにあふれています

今日は、主人の父の七回忌です。

ついこの間のことのように感じますが、亡くなってもう6年も経ったなんて・・・。

昨日は、自宅で七回忌の法要がありました。

私はお葬式や法事、お墓参りなどをあまり重要だと思えないのですが、故人のことを想い出すと、懐かしくて、悲しくて泣けてしまうときがあります。

色々と忙しかったのですが、お坊さんがお経をあげる間は、父のことを色々想い出していました。

20年前、私はこの家に“嫁に来ました”・・・この言い方、嫌う人もいますね。

でも、私の場合は立場的に、「結婚した」というより「嫁に来た」という感じです。

いきなり、姑・舅・妹との同居で、自営業の家だったから。

このことにはそれほど不満はなかったと思うのですが、「不安」はすご~く!ありました。


私には父親がいません。

5歳のときに事故で亡くなったため、父の記憶はとても少ないです。

「お父さんがいたらなあ・・」 と思うこと、多少はありましたが 初めからいないようなものなので、特に不自由や不満もなく、おそらく“普通”に育ってきたと思います。

これは、母や周りの方々のおかげ様だと思っています。

でも、「父親」という存在がよくわかりませんでした。

「夫婦」の姿も、家庭では見てきていません。

だから、この結婚には、何となく不安な感じがありました。


主人の父は、普段は頑固で、あまりムダなことは喋らない寡黙なタイプ。

ちょっと近寄りがたい雰囲気の人でした。

主人も、子どものときから父親は厳しく、怖かったと言っています。

そんな父が、私に言ってくれた言葉がずっと心に残っています。

私の父と義父は、偶然同じ名前なのです。

嫁に来て、しばらく経ったころ、父が言いました。

「お父さんと名前が同じというのは、偶然にしてもすごいなァ。ワシの知る限りで、勲という名前の人に悪い人はおらへんで(笑)」。

「ホンマのお父さんやと思ってくれたらええで。頼りないお父さんやけどな。Kさん(私)のお父さんはもっと立派な人だったやろけどなァ」。

また別の日、父と、父のお友達と、私とが同席していたときのこと。

父のお友達は、「この方、あんたの娘さん?」と父に私のことを尋ねました。

父はニコニコと笑って、「ああ、娘や」と言ってくれました。

お酒が入っていたせいもあると思いますが、私は嬉しかったので、否定しませんでした。

呑むことが好きで、ワインやお酒、ビールを良く飲んでいました。
呑んで機嫌が悪くなり、怖い時もありましたが、機嫌が良いときは、おしゃべりになって色んなことを教えてくれました。

もちろん、良いことばかりあったわけではありません。

でも、なるべく良いことだけ覚えておきたいなあと思います。


父は検診で食道がんが見つかり、それもかなり進んでおり、がんセンターで治療を受けました。

化学療法を勧められ、治療するうちにガンは小さくなっていたのですが、きつい副作用が出て、だんだん食べられなくなり、ガリガリに痩せました。

肺炎を起こし、意識がなくなり、最後には家族の顔もわからなくなってしまいました。

「あと2年だけ、生きられたらいいんや・・・」。

父はそう言っていました。

色々整理したいこと、気がかりなことを片づけたかったようでした。

そんなことも叶いませんでした。


他にも色々思うことがあるのですが、長くなってしまったのでまたの機会に。